もう、毎日利用しているのに、乗るたびに毎回思う、おなじこと。
韓国の、とくにソウルのバスは、
ソウルのせっかちさ(いわゆる”パルリパルリ(早く早く)文化”)の象徴ではないかと思う。
まず、乗るときに、バス停の「乗り場」でぼーっと待っていてはいけない。
大きめの停留所なら、道路の真ん中の長いバス停にひっきりなしにいろんな番号のバスが着いて、2,3台はいつも連なっている。
後ろの方のバスは、バス停のおしりの方に着いた瞬間ドアを開けるので、乗る人はダッシュで目当てのバスまで乗りにいかねばならない。
最初は、なんで人々がバス停の後ろのほうに走っていくのかわからず、先頭で待っていたら、目の前でぴゅーっとバスが行ってしまうこともしばしばあった。
乗ったら乗ったで、ドアが閉まるか閉まらぬかの内に発車するので、
もたもたとTカード(交通カード)を取り出していてはいけない。
大体、最近はカードを携帯カバーにしこんでいる人が多いので、いつでもどこでも手に持っている携帯でピッとやって、そのまま乗り込みながら携帯で話しはじめる。よくある光景。
降りるときには、
降りる一つ前の停留所をすぎた瞬間、降りますボタンを押している。「次は〜●●前です」というアナウンスが入るより前に必ず押す。
そして停車するずっと前に席を立つ。そうとう荒っぽい運転の中、よたよたしながら降車口付近に立つのである。降車口でTカードをピッとかざすのもがんがん走行中に済ませる。
でないと、降りるのが間に合わない(ような気にさせられる)からだ。
バスは、停留所が目の前に迫るまで速度を落とさない。そしてああっ、通りすぎてしまう!もしくは前のバスにぶつかる!と思う直前に、キキーっと急停車する。チキンレースのように。
そして完全に停車する直前に降車口が開くので、乗客たちはもうそのブレーキの勢いで転がり落ちますよ、といった感じで降りる。
なので、停車してから席を立ち、カードを出して、ピッとやって、降りる。などという行動が間に合わないのだ。
このバスの荒さとせっかちさはどうも好きじゃないのだが。
バスは、路線がわかればソウルのどこへでも便利に行けるので、市内の欠かせない足となる。
それで、乗りこなしているうちに何だかこの乗り方が染みついてしまったらしい。
先月、日本に行った際に久々にバスに乗ったら、発車のなめらかさ、停車のゆっくりさ、きちんと止まってから降りるゆとりにちょっと感動した。
しかし一緒に乗っていた妹に笑われた。
「ちょっと、構えすぎ構えすぎ。」
無意識に、わたしは降りるバス停のだいぶ前から、カードをにぎりしめ、荷物を肩にかけ中腰になって、スタンバイオッケーの姿勢になっていたらしい。
習慣ってこわい。
とにかく、
ソウルを制すにはバスを制せよ。
そして、揺れるバスの中で足腰を鍛えよ。
2014/10/11
コーヒーの味。
同じ職場の職員さんが、
「日本のコーヒーはまずい。」
と言ったので、のけぞってしまった。
悪いけど、韓国のコーヒーはなんでこんなに美味しくないんだろう。と、常々苦々しく思っていたから。
最近でこそ、ハンドドリップやら自家焙煎やら自前の美味しいコーヒーを追求するカフェも増えたけれど。(ただし高い。わたしの普段の昼食代よりはるかに高い。)
その職員さんが日本で飲んだコーヒーは、ド●ールコーヒーだったそうで。
そりゃまあ、ド●ールはとっても美味しいコーヒーじゃないけど、価格対比、許される味だと私は思っている。
って主張してみたが、彼女は「いいえ、まずいまずい。韓国の方がマシ。」と譲らなかった。なんとなく、腑に落ちず。
別の機会に、「去年日本に初めて行きました」という職員は、
「日本で感動したのは、とんかつとコーヒーがうまかったことっす!」と。
見るからに「僕とんかつ大好物っす!」って感じの体格の男性だったが、
彼がうまかったと言ったコーヒーもまた、ド●ールだったらしい。
えー、でも韓国のコーヒーの方が良いと言う人もいますよ、と意地悪く言ってみたら、
「それはないっす。日本ではどこへ行ってもコーヒーがすごい安いのにうまかったです!」
彼は日本で「美味しい食べもの」と「親切な店員さん」に出会って、日本に対するイメージがすこぶる良かった。日本で見聞きしたことを話すとき、楽しそうだった。
彼女(職員さん1)は、日本の食べものが「美味しくなかった」と言っていた。
日本語も好きじゃない。日本のコーヒーも好きじゃない。
と、いうか、日本に対してそもそも良いイメージを持っていなかった。
クニに対するイメージがまず全部を覆って、食べ物とか言葉とか人とか個々の部分に対する好みを色づけてしまうのか。
それとも、食べ物、ドラマ、音楽、コスメ…それら個々の好き嫌いが強く反映されて、クニに対するイメージがつくのだろうか。
まあ、コーヒーの味はそもそも単なる好みの問題かもしれないけれど。
職員さん1は、感動的に美味しいコーヒーを日本で飲んでいたら、日本に対するイメージが変わっただろうか。
もしくは、日本に対して少し良いイメージを持てていたら、ド●ールのコーヒーはまた違った味わいだったろうか。
そんなことを、
日本で馴染みの喫茶店「蜜蜂」に5年ぶりくらいに訪れ、コーヒーをすすりながら、思った。
「日本のコーヒーはまずい。」
と言ったので、のけぞってしまった。
悪いけど、韓国のコーヒーはなんでこんなに美味しくないんだろう。と、常々苦々しく思っていたから。
最近でこそ、ハンドドリップやら自家焙煎やら自前の美味しいコーヒーを追求するカフェも増えたけれど。(ただし高い。わたしの普段の昼食代よりはるかに高い。)
その職員さんが日本で飲んだコーヒーは、ド●ールコーヒーだったそうで。
そりゃまあ、ド●ールはとっても美味しいコーヒーじゃないけど、価格対比、許される味だと私は思っている。
って主張してみたが、彼女は「いいえ、まずいまずい。韓国の方がマシ。」と譲らなかった。なんとなく、腑に落ちず。
別の機会に、「去年日本に初めて行きました」という職員は、
「日本で感動したのは、とんかつとコーヒーがうまかったことっす!」と。
見るからに「僕とんかつ大好物っす!」って感じの体格の男性だったが、
彼がうまかったと言ったコーヒーもまた、ド●ールだったらしい。
えー、でも韓国のコーヒーの方が良いと言う人もいますよ、と意地悪く言ってみたら、
「それはないっす。日本ではどこへ行ってもコーヒーがすごい安いのにうまかったです!」
彼は日本で「美味しい食べもの」と「親切な店員さん」に出会って、日本に対するイメージがすこぶる良かった。日本で見聞きしたことを話すとき、楽しそうだった。
彼女(職員さん1)は、日本の食べものが「美味しくなかった」と言っていた。
日本語も好きじゃない。日本のコーヒーも好きじゃない。
と、いうか、日本に対してそもそも良いイメージを持っていなかった。
クニに対するイメージがまず全部を覆って、食べ物とか言葉とか人とか個々の部分に対する好みを色づけてしまうのか。
それとも、食べ物、ドラマ、音楽、コスメ…それら個々の好き嫌いが強く反映されて、クニに対するイメージがつくのだろうか。
まあ、コーヒーの味はそもそも単なる好みの問題かもしれないけれど。
職員さん1は、感動的に美味しいコーヒーを日本で飲んでいたら、日本に対するイメージが変わっただろうか。
もしくは、日本に対して少し良いイメージを持てていたら、ド●ールのコーヒーはまた違った味わいだったろうか。
そんなことを、
日本で馴染みの喫茶店「蜜蜂」に5年ぶりくらいに訪れ、コーヒーをすすりながら、思った。
2014/10/06
そんな10月のはじまり。
10月最初の三連休。
みごとに、なにごともなく過ぎにけり。
連休初日にちょっとしたことをやらかしてしまい、ちょっと身体の調子をくずした。
外に出られない…を言い訳に、ずぶずぶと半径500メートル生活に突入。
あーあ インターネットとパソコンがある生活って
本当に時間をむしばむよなあ
などと考えながら、やらねばならない課題がぐずぐずと終わらず、三日間ひっぱる。
このかん、目に見える成果物といえば
・手書きのカレンダーをつくった。(2ヶ月分のみ)
・なぜかとつぜんキャンドルをつくった。
なんなんだ、そりゃ。
それなのにこの三日間、みごとにピーカンの秋晴れ。
あまりに空が青いので部屋にいるのが切なくなって、ちょっと買い物に出てみた。
バスに乗ると、
後ろの方の座席がなんと全員、登山ルックの中年の方々で埋まっていた。
そしてほぼ一人も余すことなく、爆睡。
壮観ですらある。
そうかー、山登りにはベストな休日だったんだよね…。私は登山用のシューズを買ったまま、一度も靴に山の土を踏ませていません。
そうだ、衣替えだ。洋服を買おう。
と思ってデパートに入ったが、ぐるぐるぐるぐる回って一枚も買えずに終わる。
なんで買おうとするときに買いたいものはなく、買いたいものがあるときカネがないのだろう。損する人生の法則。
ほどよく疲れて帰ってくる頃には夜のとばりが降り。
…まあ、こんな日(×3)があってもいいよね、ある意味充実だよね。と自分を慰める。
10月からはがんばろー!と5日前には思ったのに、出だしはまたこんな感じか。
みごとに、なにごともなく過ぎにけり。
連休初日にちょっとしたことをやらかしてしまい、ちょっと身体の調子をくずした。
外に出られない…を言い訳に、ずぶずぶと半径500メートル生活に突入。
あーあ インターネットとパソコンがある生活って
本当に時間をむしばむよなあ
などと考えながら、やらねばならない課題がぐずぐずと終わらず、三日間ひっぱる。
このかん、目に見える成果物といえば
・手書きのカレンダーをつくった。(2ヶ月分のみ)
・なぜかとつぜんキャンドルをつくった。
なんなんだ、そりゃ。
それなのにこの三日間、みごとにピーカンの秋晴れ。
あまりに空が青いので部屋にいるのが切なくなって、ちょっと買い物に出てみた。
バスに乗ると、
後ろの方の座席がなんと全員、登山ルックの中年の方々で埋まっていた。
そしてほぼ一人も余すことなく、爆睡。
壮観ですらある。
そうかー、山登りにはベストな休日だったんだよね…。私は登山用のシューズを買ったまま、一度も靴に山の土を踏ませていません。
そうだ、衣替えだ。洋服を買おう。
と思ってデパートに入ったが、ぐるぐるぐるぐる回って一枚も買えずに終わる。
なんで買おうとするときに買いたいものはなく、買いたいものがあるときカネがないのだろう。損する人生の法則。
ほどよく疲れて帰ってくる頃には夜のとばりが降り。
…まあ、こんな日(×3)があってもいいよね、ある意味充実だよね。と自分を慰める。
10月からはがんばろー!と5日前には思ったのに、出だしはまたこんな感じか。
2014/09/24
秋夕(チュソク)の風景。
あわわ。
9月は足早に過ぎていく。
この月はけっこういろいろと思うところあって、書きたいネタは胸にあたためていたのに。
あたためすぎてもう腐乱しかけている。
それでも思い出しベースで無理矢理書き留めておこう。
秋夕…チュソク(旧暦のお盆)は、韓国では正月と同じくらい大切な節目で。
ご馳走を並べ、ご先祖を招く祭祀(チェサ)をする。
最近では連休のレジャーで海外旅行など行っちゃう人も多いらしいが、周りで聞くかぎりではおおかたが実家に帰り、家族や親戚とすごす。
私はこちらで帰る実家なんぞはないけれど。
チュソク直前の週末、(自分の)買い物のために市場めぐりをしてみた。
9月は足早に過ぎていく。
この月はけっこういろいろと思うところあって、書きたいネタは胸にあたためていたのに。
あたためすぎてもう腐乱しかけている。
それでも思い出しベースで無理矢理書き留めておこう。
秋夕…チュソク(旧暦のお盆)は、韓国では正月と同じくらい大切な節目で。
ご馳走を並べ、ご先祖を招く祭祀(チェサ)をする。
最近では連休のレジャーで海外旅行など行っちゃう人も多いらしいが、周りで聞くかぎりではおおかたが実家に帰り、家族や親戚とすごす。
私はこちらで帰る実家なんぞはないけれど。
チュソク直前の週末、(自分の)買い物のために市場めぐりをしてみた。
普通の路上の秋の芸術に、目がとまる。
うちの近所の古い市場も、やけに盛況だ。チュソクの食材の買い出しに奥様方の財布は開く。つられて私もなんだか訳もなく買いそうになってしまうので気をつけねばならぬ。
むやみに色鮮やかなのだ。これは、松餅というおもち。(Tシャツの豹が狙ってる…)
海苔とか唐辛子粉とか、いたってフツーの買い物をしたあと、思い立って、南大門市場(ナムデムンシジャン)に行ってみた。
南大門市場は、運動会のように万国旗。
別にチュソクのためではなく、いつものことだけど。
ところが、見誤ったのは、
チュソク休み前ということで、市場の洋品店は午後早い時間から軒並み店仕舞いしていたのだ。友人の子どもの服を見つくろいに来たのに…。なめてはならん、チュソク。
南大門市場のように、もはや都心で観光客だらけの見世物市場なところでも
面白いなあと思うのは、こういう風景。
洋服を売り出している露店の目の前で、ナマの鶏肉さばいてます。
ザ・混沌。
目抜きのうまいもん通りでは、これでもか!と食材が。
その場でじゅーじゅー焼いているからそそられないわけがない。ええもちろん、パンツとかももひきとか売ってる前で。
この「ぶっ刺し果物」を見て、新宿のアルタ近くの果物屋を思い出し、郷愁に駆られるとは。なんだかなあ。
何か屋台で食べたくなって、さんざんフラついた挙げ句、威勢のいいおばちゃんにつられてホットバー(魚のすり身の練り物を串刺しにして揚げたもの)を買うが、
1本3000ウォンも取られて、やられたーと思う。普通その半額でしょ。
しかも「アツアツだよ!」って言うから買ったのに、目の前でレンジでチンしやがって…
都心の屋台は油断なりません。
腹の虫をおさめるために、地元にもどって行きつけの(?)屋台で。
いつも無愛想なおばちゃんに、途中で買った缶ビールを見せて恐る恐る「ここで飲んでいい?」と聞くと、「飲んだらいいじゃあないかい」と男前な返事。
プシュ、ふう。……ってオイ。屋台に缶ビールで落ち着くお一人様、もはや後戻りのできないところに来た気がする。
去年のチュソクには、帰る実家のない侘しさを充分味わった。大学の寮だったため、周りの食堂は軒並み閉まっており、他の留学生のルームメイトたちと泣く泣くコンビニ弁当と缶ビールで満月に乾杯したのだった。
そんなわけで、今年のチュソク休みは、わたくし今度こそ実家に帰らせていただきます!という勢いで、
日本に滞在することにした。つづく。
2014/08/26
流行はシースルー。
夏が終わりゆくなあ、と思うと
なんだか「夏の思い出」らしきものを書き留めておかないと、と意味もなく焦る。
それで、思い出でもなんでもないけれど、この夏気になっていたこと。
韓国の、というかソウルの女子のファッションは露出度が高い。
どこと比べてより高いといえばよいのかわからないが…年々露出が高くなるなあ、と思うのは客観的なのか私がおばさん化してるためなのか。
ショートパンツの超ショートっぷりは前からだけど(去年、日本から遊びに来た友だちの一番共通した感想が「パンツが短すぎる」だった。ほんとに。)
今年は、さらに、シースルーのシャツが目立った。
どれくらいシースルーかというと、下着がほぼ見えるくらいスケスケなのである。
最初、街なかでいちゃいちゃ歩くカップルの女子の方が着ていたTシャツが透っけすけでブラ丸見えだったので、ぎょっとして、おいおい彼氏は注意くらいしたれよ。と思った。
ところが、その後、しょっちゅう見かけるんだなあこれが。なるほど流行なのか。その、一歩間違ったら「洗濯しすぎて生地が薄くなっちゃった」風なTシャツが。
いっとき流行っていた「見せブラ」なのか? 一見ふつーのブラジャーだけど…。いいのかそれで。
流行って妙なものだ。タンクトップを着るとき、ブラの肩紐が見えると恥ずかしいからストラップレスにしたり透明なストラップにしたり、と夏のスタイルは案外苦心するのに。
いっそ全体図を見せてしまうのが「流行」なら、恥ずかしくなくなるものか。
ちなみに、透けシャツを着て歩いているのは、比較的胸の大きい女子で(超個人的観測上)。どうしたって得意げなバストが強調されてるんだけど、
「みんな着ているから」の感覚のためなのか、特にじろじろ振り返って見る人もいず。
(私はおもいっきり見ているけどな。)
なんなんだろう。慣れって、いや、思い込みっておそろしい。
韓国と日本の女の子のファッションは近いものがあるのにも関わらず、
おしゃれの感覚がぜんぜん違うなあ、って日々思うので、ついつい目が行ってしまう。
女の子たち、かわいいんだけど…そしておしゃれなんだろうけど…つまり流行なんだろうけど…でも、正直、なにそれ?!!とツッコミたくなるものもある。
流行の透けシャツは、私の好みの感覚でいえば完全にアウトなんだけど、
まあ、つい目が行ってしまう、という時点で、見せるのが目的のおしゃれとしては成功なのか。(?)
あ、ちなみにそろそろシーズンも終わりなので、期待してソウルに来ても透けシャツ女子には出会えないかもしれません。
それから、写真はありません。あしからず。
なんだか「夏の思い出」らしきものを書き留めておかないと、と意味もなく焦る。
それで、思い出でもなんでもないけれど、この夏気になっていたこと。
韓国の、というかソウルの女子のファッションは露出度が高い。
どこと比べてより高いといえばよいのかわからないが…年々露出が高くなるなあ、と思うのは客観的なのか私がおばさん化してるためなのか。
ショートパンツの超ショートっぷりは前からだけど(去年、日本から遊びに来た友だちの一番共通した感想が「パンツが短すぎる」だった。ほんとに。)
今年は、さらに、シースルーのシャツが目立った。
どれくらいシースルーかというと、下着がほぼ見えるくらいスケスケなのである。
最初、街なかでいちゃいちゃ歩くカップルの女子の方が着ていたTシャツが透っけすけでブラ丸見えだったので、ぎょっとして、おいおい彼氏は注意くらいしたれよ。と思った。
ところが、その後、しょっちゅう見かけるんだなあこれが。なるほど流行なのか。その、一歩間違ったら「洗濯しすぎて生地が薄くなっちゃった」風なTシャツが。
いっとき流行っていた「見せブラ」なのか? 一見ふつーのブラジャーだけど…。いいのかそれで。
流行って妙なものだ。タンクトップを着るとき、ブラの肩紐が見えると恥ずかしいからストラップレスにしたり透明なストラップにしたり、と夏のスタイルは案外苦心するのに。
いっそ全体図を見せてしまうのが「流行」なら、恥ずかしくなくなるものか。
ちなみに、透けシャツを着て歩いているのは、比較的胸の大きい女子で(超個人的観測上)。どうしたって得意げなバストが強調されてるんだけど、
「みんな着ているから」の感覚のためなのか、特にじろじろ振り返って見る人もいず。
(私はおもいっきり見ているけどな。)
なんなんだろう。慣れって、いや、思い込みっておそろしい。
韓国と日本の女の子のファッションは近いものがあるのにも関わらず、
おしゃれの感覚がぜんぜん違うなあ、って日々思うので、ついつい目が行ってしまう。
女の子たち、かわいいんだけど…そしておしゃれなんだろうけど…つまり流行なんだろうけど…でも、正直、なにそれ?!!とツッコミたくなるものもある。
流行の透けシャツは、私の好みの感覚でいえば完全にアウトなんだけど、
まあ、つい目が行ってしまう、という時点で、見せるのが目的のおしゃれとしては成功なのか。(?)
あ、ちなみにそろそろシーズンも終わりなので、期待してソウルに来ても透けシャツ女子には出会えないかもしれません。
それから、写真はありません。あしからず。
2014/08/17
8月15日。
8月15日を韓国で過ごすのはぜんぶで3回目だけれども、
今回、ここで暮らしていてある発見があった。
13、14日になると、軽トラックの荷台にたくさんの太極旗を積んで
商店街の軒下に差して回る地域の担当さんを見たのだった!
どうりで。万遍なくどこもかしこも国旗だらけなわけだ。
個人宅もそうなのだろうか? アパートの大家さんは、どこかで配布されたという太極旗を嬉しげに買い物カゴに差して帰ってきた。
8月15日。日本では終戦記念日、敗戦日。
どこか重々しく、悲痛な気持ちで、平和を祈る日だった。
日本に暮らしている間、自分にとっても。
ここ韓国では、「光復節」と呼ぶ。植民地支配からの解放記念日である。
今年改めて、ああ、この日は日本とはまったく違う意味を持つのだな、と感じる。わかってはいたけれど。
解放なのだ。お祭りムード、までは今ではないけれど、晴れ晴れとした、胸をはって迎えて良い日なのだ。まさに祝日なのだ。
私にとって8月15日はいつも複雑な思いがある。
「出自」からすれば紛れもなく解放の日として晴れ晴れと迎えていいはずだ。でも日本で生まれて生きてきて、そんな風にこの日をすっきりと捉えられた試しがない。
初めて韓国でこの日を迎えたのは2005年、釜山でのことだった。
300人の日本人参加者とともに釜山港に降り立ったその日、幾度かの議論の末、韓国側の受け入れ先は光復節の祝典に日本の人々は参加しない、という判断を下した。
300人という数の日本人が祝典に参加するというのは前例がなかった。韓国人の気持ちが高ぶるこの日、これだけ大勢の日本の人々を、そこにいる釜山市民みなが寛容に受け入れられるかどうかはまだ「時期尚早」と判断したという。
2005年の春、小泉首相が靖国神社を参拝した、そういう年だった。日本と朝鮮半島、中国の政治関係に緊張感があった。
(でも、それでも、「現在ほどひどくはなるとは思わなかった」。悲しいかな、いまはそう思う。)
その時も、私は複雑な思いをもてあました。私はどの立場でこの日の意味を捉えているのだろう。私は日本の参加者の引率担当でもあった。釜山の人々の判断はもっともだったし、気持ちは痛いほどわかった。でも私は祝典に参加はしなかった。
あれからもう9年もたっているのか〜。
まさかソウルに住むようになって8月15日をまた迎えるとは思いもしなかったけれど、こう、住んでみて感じるのは、あの時ほどの緊張感というか複雑さは薄まるなということ。
淡々とした気分でいる。ただ、国旗に対する、というか、国旗を掲揚するという行動に対して生理的な拒否感は、どうしてもある。
それについてはまた、別の機会にじっくり考えてみるとします。
そういえば、婆ちゃんは69年前のこの日を、日本でどんな思いで迎えたのだろう。と、ふと思った。
今回、ここで暮らしていてある発見があった。
13、14日になると、軽トラックの荷台にたくさんの太極旗を積んで
商店街の軒下に差して回る地域の担当さんを見たのだった!
どうりで。万遍なくどこもかしこも国旗だらけなわけだ。
個人宅もそうなのだろうか? アパートの大家さんは、どこかで配布されたという太極旗を嬉しげに買い物カゴに差して帰ってきた。
8月15日。日本では終戦記念日、敗戦日。
どこか重々しく、悲痛な気持ちで、平和を祈る日だった。
日本に暮らしている間、自分にとっても。
ここ韓国では、「光復節」と呼ぶ。植民地支配からの解放記念日である。
今年改めて、ああ、この日は日本とはまったく違う意味を持つのだな、と感じる。わかってはいたけれど。
解放なのだ。お祭りムード、までは今ではないけれど、晴れ晴れとした、胸をはって迎えて良い日なのだ。まさに祝日なのだ。
私にとって8月15日はいつも複雑な思いがある。
「出自」からすれば紛れもなく解放の日として晴れ晴れと迎えていいはずだ。でも日本で生まれて生きてきて、そんな風にこの日をすっきりと捉えられた試しがない。
初めて韓国でこの日を迎えたのは2005年、釜山でのことだった。
300人の日本人参加者とともに釜山港に降り立ったその日、幾度かの議論の末、韓国側の受け入れ先は光復節の祝典に日本の人々は参加しない、という判断を下した。
300人という数の日本人が祝典に参加するというのは前例がなかった。韓国人の気持ちが高ぶるこの日、これだけ大勢の日本の人々を、そこにいる釜山市民みなが寛容に受け入れられるかどうかはまだ「時期尚早」と判断したという。
2005年の春、小泉首相が靖国神社を参拝した、そういう年だった。日本と朝鮮半島、中国の政治関係に緊張感があった。
(でも、それでも、「現在ほどひどくはなるとは思わなかった」。悲しいかな、いまはそう思う。)
その時も、私は複雑な思いをもてあました。私はどの立場でこの日の意味を捉えているのだろう。私は日本の参加者の引率担当でもあった。釜山の人々の判断はもっともだったし、気持ちは痛いほどわかった。でも私は祝典に参加はしなかった。
あれからもう9年もたっているのか〜。
まさかソウルに住むようになって8月15日をまた迎えるとは思いもしなかったけれど、こう、住んでみて感じるのは、あの時ほどの緊張感というか複雑さは薄まるなということ。
淡々とした気分でいる。ただ、国旗に対する、というか、国旗を掲揚するという行動に対して生理的な拒否感は、どうしてもある。
それについてはまた、別の機会にじっくり考えてみるとします。
そういえば、婆ちゃんは69年前のこの日を、日本でどんな思いで迎えたのだろう。と、ふと思った。
2014/08/10
風邪はお客さま。
前回(健康がいちばん。)に引き続き、
風邪が思いがけず長引いた。
風邪が思いがけず長引いた。
風邪ひき始めの日に、早朝便で日本に行ったり、そのために前夜はチムジルバンに泊まって床で雑魚寝したり、昼間からビール飲んだり、小雨のなか花火を見たりしたから、自業自得なのはよくわかっている。まあそれら全部、精神的にはたいへん癒やしになったのだけど。
喉がつぶれて、かすれかすれの桂銀淑ヴォイス(←分かる人だけ分かっていただければよいです)のまま1週間。
ある日、仕事でお世話になっているJ牧師にどうしたんだと聞かれ、「冷房に当たって風邪を引きました」と言ったところ、
「冷房が風邪の原因ではないでしょう。身体のバランスが崩れていたので、冷房の寒気に身体が負けたんです」
と、諭された。
J牧師いわく、風邪は病気ではない、と。
いわく。韓国語で風邪を「감기(感気)」というが、これは身体が「気」を「感じる」ということ。
「気」はエネルギーのことで、これは分散している方がよい。だから「気分がよい」というのは気がうまく分かれてバランスがよいことを言うし、「気分が悪い」のは気が集中して凝り固まっている状態を言う。
身体が気の変調を「感」じて、「感気(風邪)」が起こる。熱が出たりするのは、汗をかいて老廃物を出すためである。だから、熱を抑えようとしてはいけない。出し切ってしまうこと。
西洋医学は病気を悪と考えて、症状をなくそうとする。そこへ資本主義が結びついて、大量の薬投与や病院治療が一般化したのだ。
…と、西洋医学と資本主義の批判に話がいたるJ牧師。東洋医学に造詣が深い。
へー、と面白く拝聴していた。
「東洋の考えでは、感気はお客さまなのだよ。
自分の体に感気がやってきたら、丁重に迎えなきゃならん。
自分の体に感気がやってきたら、丁重に迎えなきゃならん。
栄養のあるおいしい食べ物を与えて、ゆっくり休んでいただく。
するとお客は満足してすぐに帰って行かれるよ。
しかし、忙しいとかなにかを理由に、ろくな食べ物を与えず、休みもせず働いてると、
お客は怒って、いつまでも居座ってしまう」
なるほどー。
すごくしっくりと来る話だった。
つい「風邪ぐらいで」と思って日常通りに過ごそうとしてしまうし、
市販の風邪薬に頼って、はやく治そうとしてしまう。そのくせ、夜更かししてる。
なにより、「大して働いてもいないのに、体調を崩して休むなんて何だかすみません」という、出所のよくわからない罪悪感が働いてしまう癖がある。
J牧師のお話をありがたく拝受して
この週末はマッサージを堪能し、思うさまだらだらと過ごしているのであります。
市販の風邪薬に頼って、はやく治そうとしてしまう。そのくせ、夜更かししてる。
なにより、「大して働いてもいないのに、体調を崩して休むなんて何だかすみません」という、出所のよくわからない罪悪感が働いてしまう癖がある。
J牧師のお話をありがたく拝受して
この週末はマッサージを堪能し、思うさまだらだらと過ごしているのであります。
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