引っ越して3週間たった今日の夕方の出来事。
買い物から帰ってきて、荷物を置いた直後にドンドンドンと玄関ドアを叩く音。
誰ですか?とドア越しに聞くと、
「○○確認ですよー」とおばちゃんの声がした。
確認ですよって言われても全然イミがわからない。
恐る恐るドアを開けると、まるで町内会会長のようなアジュモニ(おばちゃん)が何やら書類を持って、ドアの隙間から玄関にのしのし入ってきた。
「最近引っ越して来たのよね?ハイここ(と書類を差し)、世帯主の名前…あってる?アナタの名前入ってないけど…ああそう、新婚なのね」
書類の件名には「転入確認書/通帳確認書」と書いてあった…ような気がしたが、これ何ですか?と聞く前に、アジュモニは無遠慮に部屋を眺めまわし、
「あらー、内装やったのねー、キレイにしてるわねえ。ちょっといい(わよね)?」
と、ずかずか入ってくるではないか。
居間をぐるりと見て「あらあ、広く感じるわねえ」「本が好きなのねえ(=本棚しかないわねえ)」と。「あ…まだモノがあんまりないもんで」と、ついこっちがヒクツに応答してしまう。
「あらあら、これなあに?!すてきねえ!」と目を付けられたのは、格子の形に開くブラインドで、「どこで買ったの?いくらだった?」とたたみかけてくる。
さすがにこの辺で(やっと)我に返って「で、ご用件は?」と言いかけたタイミングで、アジュモニは転入確認の書類のサインを求めてきた。
ところが、書類の確認もそこそこに。
「旦那は?まだ帰ってきてないの?遅いわねえ」
「あなたいくつ?あらそんなお年なの?若く見えるわ。…なんで結婚がそんなに遅かったの」
「子どもは?いないのね?まあ早く作らなきゃね」
「旦那の出身地はどこ?あなたは?」
「働いているの?週何日?何時出勤?」
久しぶりに見知らぬ人の厚顔無恥力に圧倒され、腹が立つより呆気にとられ、思わず一問一答してしまう私。
そんでもって。
「明日は何するの?」と幼稚園の友だちのような無邪気な質問をされた後、
「教会には通ってる?」と聞かれて、ようやく再びハッと我に返った。
「いいえ」と答えたら、まるで心外というような表情で「なんで?」と聞かれたので、
「わたし仏教徒ですから」とまじめな顔で答えておいた。
「そう…私もね昔は違ったんだけど、教会でイエス様にお祈りしたら病気が治ったのよ、それ以来イエス様を信じるのよね。で、明日1時間くらい時間あったら教会に…」
「いや、無理っす」
「どうして」
「私にはお釈迦様がいますから。」
また何か言い出しそうなアジュモニをやっと玄関先まで追いやった。
出る間際にアジュモニが残した言葉は、(開けっ放しだった)トイレを見て「あらここも改築したのね…いくらだった?」
「知りません、覚えてません」
玄関を出ながらアジュモニは、
「イエス様を信じなさい〜」
と言い放って、去っていった。
いやあ。
正月+週末は家でダレていた自分に、このアジュモニの登場は
青唐辛子並みの刺激でした。
油断ならぬなあ、と思った新居生活。
というわけで、この機に「引っ越し顛末記」をちょっとずつ思い出しながら書いてみようと思う。
つづく。(つづかないかもしれない)
2015/12/31
1年を振り返ってみる。
結構昔から自分の恒例行事なので、大晦日に1年を振り返ってみる。だれでもやってることだけど。
1月、ビッグイシュー日本の知人をはじめとする研究会の韓国訪問のコーディネート&同行通訳。やりがいを感じて、今後こういうことをやりたいなあと漠然と思う。そして今後につながる出会いのあった月。
2月、日韓の大学の教授陣のフォーラムのため福岡、長崎へ。そういえばソウル一人暮らし1周年。
3月、誕生日。韓国の歳ではずっと40だと思ってたのに、考えてみれば39歳になったのであった。へんなの。上海での「東アジア地球市民村」イベントに参加→雲南省の大理スタディーツアー。大理すてき!
4月、日韓ミュージカル「A Common Beat」の話が舞い込んでくる。会議の通訳を引き受けたつもりが、3回目以降の会議では「共同代表」になっていた…。
5月、ミュージカルの体験会(参加者募集)スタート。初めての合宿。日本からコアプラスやキタシバのメンバーが来て、またソウルツアーの同行をさせてもらった。
6月、東アジアリーダーシッププログラム(日韓若手宗教者のワークショップ)の日本ツアーで、埼玉県小川町フィールドワーク。あ、そうそう、やっと国民健康保険に加入。
7月、コモンビート練習。日韓台そしてアジア各地の学生達のワークショップ in うちの大学。これが最後のシゴトとなる。
8月、日韓クルーズ「Peace & Green Boat」参加、楽しかった。帰ってくるなりミュージカルの最後の日韓合同合宿。
9月、ミュージカル A Common Beat ソウル公演!!秋夕(チュソク=旧盆)のお休みに初めて彼の田舎に行く。
10月、A Common Beat 福岡公演!感無量。いっぱい泣いた。その後、彼が来日、親に挨拶。
11月、世界人権宣言大阪連絡会議と多民族共生人権教育センターの来韓、同行通訳。その後、去年ソウルでの「国際社会経済フォーラム」で会った川崎市の職員さんがたが来韓し、飲む(飲んでばっか)。
12月、日本で「東アジア地球市民村」のスタディツアーで東京、長野、山梨、綾部。その後石巻でのコモンビートミュージカル鑑賞。韓国に帰ってきて、12月9日二人で住む家契約、11日に引っ越し、新生活はじまり。遠くから友だちが会いに来てくれる。我が家族が日本から訪韓、ほぼ初めて4日間家族と旅行をした。そして、28日に、法的に結婚。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
2015年の1月に書いていた日記。
「この1年しかないって思おう。
この1年で、すべてやる。
シゴトを軌道に乗せるのも
韓国生活も
私が私としてできることをみつけるのも
一人で自由にいられるのも。
やろうと思ったことを、必ずやろう。
がむしゃらになれるのも、この1年しかない」
とかいって。
できなかったことも、いっぱいあるけれど。^^;;
いつもの事ながら、今後のことをもやもや模索している私であるけれど、きっと一生もやもやするのが私ということで、今年は気分よく締めることにしよう。
2016年、平和で喜びがあふれる年になりますように…
今年の最後に、心につきささった、石巻の風景。
1月、ビッグイシュー日本の知人をはじめとする研究会の韓国訪問のコーディネート&同行通訳。やりがいを感じて、今後こういうことをやりたいなあと漠然と思う。そして今後につながる出会いのあった月。
2月、日韓の大学の教授陣のフォーラムのため福岡、長崎へ。そういえばソウル一人暮らし1周年。
3月、誕生日。韓国の歳ではずっと40だと思ってたのに、考えてみれば39歳になったのであった。へんなの。上海での「東アジア地球市民村」イベントに参加→雲南省の大理スタディーツアー。大理すてき!
4月、日韓ミュージカル「A Common Beat」の話が舞い込んでくる。会議の通訳を引き受けたつもりが、3回目以降の会議では「共同代表」になっていた…。
5月、ミュージカルの体験会(参加者募集)スタート。初めての合宿。日本からコアプラスやキタシバのメンバーが来て、またソウルツアーの同行をさせてもらった。
6月、東アジアリーダーシッププログラム(日韓若手宗教者のワークショップ)の日本ツアーで、埼玉県小川町フィールドワーク。あ、そうそう、やっと国民健康保険に加入。
7月、コモンビート練習。日韓台そしてアジア各地の学生達のワークショップ in うちの大学。これが最後のシゴトとなる。
8月、日韓クルーズ「Peace & Green Boat」参加、楽しかった。帰ってくるなりミュージカルの最後の日韓合同合宿。
9月、ミュージカル A Common Beat ソウル公演!!秋夕(チュソク=旧盆)のお休みに初めて彼の田舎に行く。
10月、A Common Beat 福岡公演!感無量。いっぱい泣いた。その後、彼が来日、親に挨拶。
11月、世界人権宣言大阪連絡会議と多民族共生人権教育センターの来韓、同行通訳。その後、去年ソウルでの「国際社会経済フォーラム」で会った川崎市の職員さんがたが来韓し、飲む(飲んでばっか)。
12月、日本で「東アジア地球市民村」のスタディツアーで東京、長野、山梨、綾部。その後石巻でのコモンビートミュージカル鑑賞。韓国に帰ってきて、12月9日二人で住む家契約、11日に引っ越し、新生活はじまり。遠くから友だちが会いに来てくれる。我が家族が日本から訪韓、ほぼ初めて4日間家族と旅行をした。そして、28日に、法的に結婚。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
2015年の1月に書いていた日記。
「この1年しかないって思おう。
この1年で、すべてやる。
シゴトを軌道に乗せるのも
韓国生活も
私が私としてできることをみつけるのも
一人で自由にいられるのも。
やろうと思ったことを、必ずやろう。
がむしゃらになれるのも、この1年しかない」
とかいって。
できなかったことも、いっぱいあるけれど。^^;;
いつもの事ながら、今後のことをもやもや模索している私であるけれど、きっと一生もやもやするのが私ということで、今年は気分よく締めることにしよう。
2016年、平和で喜びがあふれる年になりますように…
今年の最後に、心につきささった、石巻の風景。
2015/11/25
そのひとことを飲み込んで。
ずっと思っていたことを、ちょっと書いてみる。
銀行の窓口で、タクシーで、何かを問い合わせたり申し込んだりする電話口で、
最初の一言を発するときの緊張が、いまでも苦手だ。
タクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げると、最初のほんの少しの会話で気づく人はこう言う。
「ハングッサラム アニシネヨ(お客さん、韓国人じゃないね)」
そのとき私に元気があれば、韓国人だけど日本出身の在日同胞です、と言うし、元気じゃなかったり面倒であれば日本から来ました、とだけ言う。
日本から来たという言葉でなぜか大抵、運転手さんは「やっぱり当たった」とばかりに満足げに、日本に関する自分の関心事を話したりする。
私は、『ああやっぱりバレた』と、小さくがっかりする。
この「バレた」と「がっかり」という感情は、どこからくるものか。何故、そんな風に感じてしまうのか。
韓国生活、トータルで2年7ヶ月たった。思い返せば、来たばかりの頃はいまよりもずっと、韓国語を話すのがぎこちなかった。
銀行で初めて口座を作るとき、住民登録証でも外国人登録証でもない「居所証明」を持って要件を伝える私の前で、係員は隣りの係員に「外国人なんだけど、担当者呼んで」と言った。
そのとき、私はキレた。
自分でも止めようのない感情が膨れあがって、押さえられなかった。
以来、外国人と扱われること、日本人と思われることに対して過剰に反応してしまうようになった。携帯電話の加入のとき、郵便局の窓口で、店で物を買うとき、何気ない会話で。
友人に「あなたがそういう反応を示すとき、顔がとてもこわばってる」と諭され、ハッとしたこともある。無意識に肩に力が入っていたのだ。
2年くらい経ち、さすがにもうそんなに反応しないな、と思っていた。が、忘れた頃にこの『アナタ外国人/日本人ダヨネ爆弾』は炸裂する。そして少しずつ心を傷つけられる。
「いい年して今さらもう傷つくな!」と一方の自分が突っ込むときもあるけれど、しばらく心の奥でいじいじしているのだ。
なんでなんだろう。と素朴に考え直してみる。私は「韓国人」として認められたいのか?
「イルボンサラム アニラニカヨ! ハングッサラムイエヨ!」
(日本人じゃないってば!韓国人なんですよ!)
何度も口にしたこの言葉は、実際叫んだりはしないけど、いつも絶叫のように心を行き来する。
それから、
「日本にいても外国人、韓国にいても外国人……」
この哀愁に満ちた節も、何かにつけて心寒く流れる。
でも。
そもそも韓国人なのか、私は。東京で生まれたときは朝鮮籍で、韓国国籍は18歳から始まった。
韓国に住むことになる、というのはある意味ハプニング—思い掛けなかったこと—ではある。
すらすらと韓国語を話せるようになって、住民登録も得て、韓国の習慣も気質も身につけて、すっかり「韓国人」となれたらそれが段階クリアなのか?迷いがなくなるのか?
○○人とはなにか、というのは自分にとってずっと考えるテーマではあるけれど、
「わたし韓国人です」と主張するひとことを、いったん飲み込んでみる。
もう、わたし韓国人ですって言うの、やめます。とりあえず。
韓国人とは、なんなのか。そして、在日コリアンとは何かということを見出す必要がある。自分自身で。
これは個人的な問題ではないし、同時に個人の問題でもある。
こんな悩みは20年30年前から変わっていないし、いまも韓国に来る若い在日コリアンの友人たちが同じように傷つくのを見て、心底、胸が痛む。
もう、こんな悩みが後世代にも続かないよう解決すべきだという思いもあるけれど、
反面、在日コリアンであるがために考え、傷つき、悩むことを大切だとも思いたい。
国家や、国民や、○○人という枠組みにはまらない自分自身の存在を悩むことは、
しんどいけれど、尊いことだと思うからだ。
銀行の窓口で、タクシーで、何かを問い合わせたり申し込んだりする電話口で、
最初の一言を発するときの緊張が、いまでも苦手だ。
タクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げると、最初のほんの少しの会話で気づく人はこう言う。
「ハングッサラム アニシネヨ(お客さん、韓国人じゃないね)」
そのとき私に元気があれば、韓国人だけど日本出身の在日同胞です、と言うし、元気じゃなかったり面倒であれば日本から来ました、とだけ言う。
日本から来たという言葉でなぜか大抵、運転手さんは「やっぱり当たった」とばかりに満足げに、日本に関する自分の関心事を話したりする。
私は、『ああやっぱりバレた』と、小さくがっかりする。
この「バレた」と「がっかり」という感情は、どこからくるものか。何故、そんな風に感じてしまうのか。
韓国生活、トータルで2年7ヶ月たった。思い返せば、来たばかりの頃はいまよりもずっと、韓国語を話すのがぎこちなかった。
銀行で初めて口座を作るとき、住民登録証でも外国人登録証でもない「居所証明」を持って要件を伝える私の前で、係員は隣りの係員に「外国人なんだけど、担当者呼んで」と言った。
そのとき、私はキレた。
自分でも止めようのない感情が膨れあがって、押さえられなかった。
以来、外国人と扱われること、日本人と思われることに対して過剰に反応してしまうようになった。携帯電話の加入のとき、郵便局の窓口で、店で物を買うとき、何気ない会話で。
友人に「あなたがそういう反応を示すとき、顔がとてもこわばってる」と諭され、ハッとしたこともある。無意識に肩に力が入っていたのだ。
2年くらい経ち、さすがにもうそんなに反応しないな、と思っていた。が、忘れた頃にこの『アナタ外国人/日本人ダヨネ爆弾』は炸裂する。そして少しずつ心を傷つけられる。
「いい年して今さらもう傷つくな!」と一方の自分が突っ込むときもあるけれど、しばらく心の奥でいじいじしているのだ。
なんでなんだろう。と素朴に考え直してみる。私は「韓国人」として認められたいのか?
「イルボンサラム アニラニカヨ! ハングッサラムイエヨ!」
(日本人じゃないってば!韓国人なんですよ!)
何度も口にしたこの言葉は、実際叫んだりはしないけど、いつも絶叫のように心を行き来する。
それから、
「日本にいても外国人、韓国にいても外国人……」
この哀愁に満ちた節も、何かにつけて心寒く流れる。
でも。
そもそも韓国人なのか、私は。東京で生まれたときは朝鮮籍で、韓国国籍は18歳から始まった。
韓国に住むことになる、というのはある意味ハプニング—思い掛けなかったこと—ではある。
すらすらと韓国語を話せるようになって、住民登録も得て、韓国の習慣も気質も身につけて、すっかり「韓国人」となれたらそれが段階クリアなのか?迷いがなくなるのか?
○○人とはなにか、というのは自分にとってずっと考えるテーマではあるけれど、
「わたし韓国人です」と主張するひとことを、いったん飲み込んでみる。
もう、わたし韓国人ですって言うの、やめます。とりあえず。
韓国人とは、なんなのか。そして、在日コリアンとは何かということを見出す必要がある。自分自身で。
これは個人的な問題ではないし、同時に個人の問題でもある。
こんな悩みは20年30年前から変わっていないし、いまも韓国に来る若い在日コリアンの友人たちが同じように傷つくのを見て、心底、胸が痛む。
もう、こんな悩みが後世代にも続かないよう解決すべきだという思いもあるけれど、
反面、在日コリアンであるがために考え、傷つき、悩むことを大切だとも思いたい。
国家や、国民や、○○人という枠組みにはまらない自分自身の存在を悩むことは、
しんどいけれど、尊いことだと思うからだ。
2015/09/12
スパルタ・マッサージ。
ここのところ、体があまりにカチコチで、首から肩にかけてが痛すぎたので
人に勧められた地元のマッサージ屋に行ってみました。
知人曰く、そこは「マッサージをされてる間中、隣りのマッサージ台からうめき声が聞こえた」くらいで、「強めが好きな人におすすめ」とのこと。
なんか怖いなあ…と躊躇したけれど、「すごく効いたし、コスパも良い!」とプッシュされて、予約。
雑居ビルの3階で、見るからに怪しい。オススメされなかったら自分からは決して入らなかったであろう外観。
なにせ、営業時間が「深夜2時まで」となっていたので、一瞬別のマッサージかと思った。
行ってみると、階段の踊り場に立てかけてあった看板には、「2時」の横に棒が1本手書きされ修正されていた。さすがに2時まではつらいよねマッサージ師さんも。
ピンクの体操着みたいなのに着替えて、台の上にうつぶせになる。
はじめての担当さんは、愛想よりも貫禄をウリにしているような感じのアジュモニ(おばちゃん)で。
最初にそっと背中に手を当てられたとき、「お、これはなかなかヤル人だな」と直感した。…というのは誇張だけど、何か小手先のマッサージではないものを感じた。
黙々と揉まれていき、最初はうとうとするくらいの余裕があったのだけど…。
私は左肩がウィークポイントで、ずっと昔にケガした部分が不完治なのか、急に曲げると肩筋がつってしまう癖がある。なので、マッサージをしてもらうときいつも左腕を触られると体が緊張してしまう。
おばちゃんの手が左肩に来たとき「力を抜きなさい」と言われ、かくかくしかじかと肩の容態を話したのだが…
「いいから、力を抜いて私にまかせなさい」と。
頼もしいんだけど、痛いんだよ。それに怖いんだよ!何度も「力抜け」と言われ「もうあまりいじらなくていいです」と訴えたところ、
「じゃあどうするの?ほっとくの?治さなくていいの?!」
…と、喝を入れられてしまった。
それから何分、いや何十分経過したのか…。ひたすら痛みと恐怖に耐え、力を抜くことに集中し(矛盾)、必死で呼吸をし…もはや「ヒッ ヒッ フー」の境地でしたよ。
知人よ、今ならわかる。マッサージ中延々とうめいていた人の気持ちが。
最後の方でやっと手を緩めてくれたおばちゃんに、あなた日本人?と聞かれる。
ああ、やっぱり出たこの質問(言葉のイントネーションでバレるんだよね、って、バレるっておかしな発想だけど。)…と思いつつ、まあ日本人じゃないけど日本から来た在日同胞なのだよ、と答えておく。
おばちゃん、ふーんと納得顔で、
「日本人のお客さんもたまに来るけどね、普通このマッサージに耐えられないよ。泣く人もいるよ」と。
ちょっと、もうちょっと優しくしようよ、おばちゃん!
大げさだけど大げさじゃなく、苦行の45分を耐えしのいだのだが、
起きてみてあらびっくり、上半身が明らかに軽い!
左肩がちゃんと回る!
この効果を持って、おばちゃんマッサージ師はカリスママッサージャーに昇格。私のなかで。
そんな地元のマッサージ屋さん、全身たっぷり1時間で40000ウォン(4千円)。
けっこう、通ってます。
人に勧められた地元のマッサージ屋に行ってみました。
知人曰く、そこは「マッサージをされてる間中、隣りのマッサージ台からうめき声が聞こえた」くらいで、「強めが好きな人におすすめ」とのこと。
なんか怖いなあ…と躊躇したけれど、「すごく効いたし、コスパも良い!」とプッシュされて、予約。
雑居ビルの3階で、見るからに怪しい。オススメされなかったら自分からは決して入らなかったであろう外観。
なにせ、営業時間が「深夜2時まで」となっていたので、一瞬別のマッサージかと思った。
行ってみると、階段の踊り場に立てかけてあった看板には、「2時」の横に棒が1本手書きされ修正されていた。さすがに2時まではつらいよねマッサージ師さんも。
ピンクの体操着みたいなのに着替えて、台の上にうつぶせになる。
はじめての担当さんは、愛想よりも貫禄をウリにしているような感じのアジュモニ(おばちゃん)で。
最初にそっと背中に手を当てられたとき、「お、これはなかなかヤル人だな」と直感した。…というのは誇張だけど、何か小手先のマッサージではないものを感じた。
黙々と揉まれていき、最初はうとうとするくらいの余裕があったのだけど…。
私は左肩がウィークポイントで、ずっと昔にケガした部分が不完治なのか、急に曲げると肩筋がつってしまう癖がある。なので、マッサージをしてもらうときいつも左腕を触られると体が緊張してしまう。
おばちゃんの手が左肩に来たとき「力を抜きなさい」と言われ、かくかくしかじかと肩の容態を話したのだが…
「いいから、力を抜いて私にまかせなさい」と。
頼もしいんだけど、痛いんだよ。それに怖いんだよ!何度も「力抜け」と言われ「もうあまりいじらなくていいです」と訴えたところ、
「じゃあどうするの?ほっとくの?治さなくていいの?!」
…と、喝を入れられてしまった。
それから何分、いや何十分経過したのか…。ひたすら痛みと恐怖に耐え、力を抜くことに集中し(矛盾)、必死で呼吸をし…もはや「ヒッ ヒッ フー」の境地でしたよ。
知人よ、今ならわかる。マッサージ中延々とうめいていた人の気持ちが。
最後の方でやっと手を緩めてくれたおばちゃんに、あなた日本人?と聞かれる。
ああ、やっぱり出たこの質問(言葉のイントネーションでバレるんだよね、って、バレるっておかしな発想だけど。)…と思いつつ、まあ日本人じゃないけど日本から来た在日同胞なのだよ、と答えておく。
おばちゃん、ふーんと納得顔で、
「日本人のお客さんもたまに来るけどね、普通このマッサージに耐えられないよ。泣く人もいるよ」と。
ちょっと、もうちょっと優しくしようよ、おばちゃん!
大げさだけど大げさじゃなく、苦行の45分を耐えしのいだのだが、
起きてみてあらびっくり、上半身が明らかに軽い!
左肩がちゃんと回る!
この効果を持って、おばちゃんマッサージ師はカリスママッサージャーに昇格。私のなかで。
そんな地元のマッサージ屋さん、全身たっぷり1時間で40000ウォン(4千円)。
けっこう、通ってます。
2015/08/17
フリーな生活のはじまり。
6月、7月は大きめの行事があったのと、気持ちのヨユウがなかったのとで、あらあらっ?!という間に過ぎてしまった。
息もつけないほど忙しかったのか、というとそういうワケでもなく、手帳を見返してみれば突然バトミントンを習っていたり(1回で終了)、2年ぶりのカラオケに行ったりしているので、それなりに時間的余裕はあったようだ。
ただ、7月いっぱいでこれまで勤務していた仕事が任期終了するというリミットを前に、
気持ちばかり焦って、気づくといくつかの案件を同時に抱えていてあっぷあっぷしていた、らしい。
6月末〜7月、日本での東アジアリーダーシッププログラム、
7月末、日韓台+在韓アジア留学生たちのサマースクール(inうちの大学)、
8月、日韓クルーズ・ピース&グリーンボート、
帰ってすぐ、日韓ミュージカル A Common Beatの合宿。
と、駆け抜けてみて、本日やっと一息。
さて、晴れてフリーター生活のはじまりだ。
このかん、いろいろ考えてみたり、
周りの方々にたくさんご心配いただいたりしたけれど、
これからちょっとの期間は、「落ちつく時間」にしようと思う。
私はどんな仕事についていても、「忙しそうですね」「大変ね」というねぎらいの言葉をいただくことが多い。
ねぎらっていただくのは大変ありがたいんだけど、実はそんなに忙しくも大変でもないんです。
でも、よほど慌ただしく、落ちつきなく見えるのだろうなあ、と反省する。
だから、ちょっと落ちついて。
これまでやり散らかしたシゴトをちゃんと振り返ってみたり、
新聞やニュースをじっくり見たり、
たまってる本を読んだり、映画を見たり。
そんな当たり前のことが、ぜんぜん出来ていなかったのは、時間がある/ないの問題ではなく、
気持ちが前を向いていなかったからかも、と思う。
9月19日(ソウル)、10月3日(福岡)でのA Common Beat公演までは、そのスタッフ作業に集中しつつ、じっくり丁寧に生きてみよう。
そしたら、まあそのうち何かが手に残るでしょう。
ところで。
この蒸し暑い真夏、ほぼ半月部屋を空けていると、どうなるでしょうか…。
日常生活のはじまりは、まずキッチンのシンク下の大掃除で半日を費やすこととなりました。
2015/05/22
焼き肉屋でアルバイト。
日本からのご一行様を連れていった、焼き肉屋さんでの出来事。
下見がてら直接予約をしに行ったときに、店長のおばちゃんが私を見て、「あなたガイドさん?」と聞いた。
いいえ、臨時の通訳みたいなことを頼まれたんです、と答えておく。
すると「どこに住んでるの?」と畳みかけるので、なんでだろう?と思いつつも最寄りの駅を伝えておいた。(これが独身ぽいイケメンだったら電話番号もつけとくんだけど…聞かれなくても…)
おばちゃんは、ふーん…と何か考えているようすだった。
そして、ご一行様がたらふく焼き肉を食べ終えて、会計をお願いするころ、
ずっと何か言いたげだったおばちゃんは、最後にもじもじしながら、
「あの〜、週に1、2回この店に来て、日本語を教えてくれないかしら」
と言うではないか。
鍾閣(ジョンガク)の飲食店街にあるこの店はオープンしてまだ数年らしいのだけど、
予想以上に日本からのお客さんが多いのだそうだ。
中国からのお客さんに対しては、店に中国出身の店員さんが多いので、言葉の問題はないらしい。でも日本語ができる人がいない。
何か、簡単な会話でもできたら…と思って、日本語の語学教室に行ってみたのだが、
「必要な言葉を、なかなか教えてもらえないのよね〜。注文を聞く言葉とか、豚肉にしますか、牛肉にしますか、とか。」と。
…そりゃ、教室では教わらないでしょうよ。
そんなわけで、ひょんなことから焼き肉屋で「日本語を教える」アルバイト、をすることになった。
要求が要求なだけに、超初級からかなりカスタマイズした授業を行うことにした。
なので、
「おはようございます」「ありがとうございます」
などの基礎挨拶の次には
「これは、ぶたの、さんまいにくです。」「ロースいちにんまえです。」
などという言葉から教えるという…。
店長さんは人の良さそうな素朴なおばちゃんで、覚えた日本語を使ってみたいが、いつも勇気がなくてお客さんに言えないのだそうだ。
でも、日本のお客さんの方がちょっとは韓国語ができる人が多くて、
せっかく来てくれたのに、迎える側の自分が全然日本語がわからないので申し訳ない、と言う。
なんか、ちょっと感激してしまった。
もちろん明洞などの観光客商戦場では、店員がモノを売るために限定的な日本語・中国語をたたき込んでいるけれど、
おばちゃんの動機は、ちょっとでも「わかりたい」し、自分で「伝えたい」という気持ちが素朴にあるような感じがして。
言語を学ぶ動機には、「伝えたい」「わかりたい」があればそれで充分。
そんな思いのお手伝いができるなら、と、教えるのも楽しくなってくる。
というわけで、
牛肉の部位の言葉を日韓両語で調べながら、ニッチなテキストを作り。
香ばしい匂いの漂う日本語教室やってます。
下見がてら直接予約をしに行ったときに、店長のおばちゃんが私を見て、「あなたガイドさん?」と聞いた。
いいえ、臨時の通訳みたいなことを頼まれたんです、と答えておく。
すると「どこに住んでるの?」と畳みかけるので、なんでだろう?と思いつつも最寄りの駅を伝えておいた。(これが独身ぽいイケメンだったら電話番号もつけとくんだけど…聞かれなくても…)
おばちゃんは、ふーん…と何か考えているようすだった。
そして、ご一行様がたらふく焼き肉を食べ終えて、会計をお願いするころ、
ずっと何か言いたげだったおばちゃんは、最後にもじもじしながら、
「あの〜、週に1、2回この店に来て、日本語を教えてくれないかしら」
と言うではないか。
鍾閣(ジョンガク)の飲食店街にあるこの店はオープンしてまだ数年らしいのだけど、
予想以上に日本からのお客さんが多いのだそうだ。
中国からのお客さんに対しては、店に中国出身の店員さんが多いので、言葉の問題はないらしい。でも日本語ができる人がいない。
何か、簡単な会話でもできたら…と思って、日本語の語学教室に行ってみたのだが、
「必要な言葉を、なかなか教えてもらえないのよね〜。注文を聞く言葉とか、豚肉にしますか、牛肉にしますか、とか。」と。
…そりゃ、教室では教わらないでしょうよ。
そんなわけで、ひょんなことから焼き肉屋で「日本語を教える」アルバイト、をすることになった。
要求が要求なだけに、超初級からかなりカスタマイズした授業を行うことにした。
なので、
「おはようございます」「ありがとうございます」
などの基礎挨拶の次には
「これは、ぶたの、さんまいにくです。」「ロースいちにんまえです。」
などという言葉から教えるという…。
店長さんは人の良さそうな素朴なおばちゃんで、覚えた日本語を使ってみたいが、いつも勇気がなくてお客さんに言えないのだそうだ。
でも、日本のお客さんの方がちょっとは韓国語ができる人が多くて、
せっかく来てくれたのに、迎える側の自分が全然日本語がわからないので申し訳ない、と言う。
なんか、ちょっと感激してしまった。
もちろん明洞などの観光客商戦場では、店員がモノを売るために限定的な日本語・中国語をたたき込んでいるけれど、
おばちゃんの動機は、ちょっとでも「わかりたい」し、自分で「伝えたい」という気持ちが素朴にあるような感じがして。
言語を学ぶ動機には、「伝えたい」「わかりたい」があればそれで充分。
そんな思いのお手伝いができるなら、と、教えるのも楽しくなってくる。
というわけで、
牛肉の部位の言葉を日韓両語で調べながら、ニッチなテキストを作り。
香ばしい匂いの漂う日本語教室やってます。
2015/05/14
ぶらりと島へ。
昔から5月が好きだけど、ソウルでの5月は殊更空が青く見えて、良い。
長い冬が終わって、4月。桜はいつの間にか咲きあっという間に散り、なんだか飾り物みたいであまり心に響かなかったな、と思った。4月は、悲しみが漂っていた季節でもある。
気がつけば、ジャケットを手に持って袖まくりして歩く季節になっていた。ソウルの人は暑さに敏感というか、さっさとTシャツ姿で歩いている。
空が青く、空気に密度を感じる。そうして見回してみると、新緑のなんと力強いことか。
バスから眺める街路樹が、うんと枝葉をのばして、風に揺れているのを見るだけで心が躍る。なにか、黙って日々を過ごしていてはもったいないようでどきどきする。
それで週末、ふいに思い立って、
地下鉄とバスを乗り継いで2時間半、西海の北にある島に行ってみた。
なんの計画もなく行ったので、着いてから適当にぶらぶらする。
なんとなく、標識に沿って山の方へと歩いてみたら、
思ったより傾斜のきつい山道で、はあはあ言いながら登りきると、古い城郭の跡地にたどり着いた。
登ってみたら拍子抜けするくらい小さい山だったけど、遠くに海が見え、陸地が見える。
後で聞いたところによると、それは朝鮮(北朝鮮)の地だった。
ここは韓国(南朝鮮)側からいえば、最北端にある島。朝鮮(北)から言えば南の島。互いがとても近い。
ソウルからでも、車で2時間ほど走ればDMZ(非武装地帯)にたどり着く。
ここは朝鮮半島であって、私はその南側にいるのだ。ということを改めて思う。
それが「フツー」であればよいのに。
こんなに、緑は一斉にあおあおとしているのに。山も海も、そもそも誰のものでもないのに。
そんなことを、考えたり考えなかったりしながら、ぶらり一人散策を満喫した。
夜は友人の経営するゲストハウスで、まったり。
都市を離れて、緑のなかへ。そんなことも割と気軽にできるのが、ソウルという市のサイズだと思う。
(韓国へ来て、ちょっと時間があるなら江華島の旅もよいです。ゲストハウス(asacasac guesthouse)をオススメしときます。ちょい宣伝。)
長い冬が終わって、4月。桜はいつの間にか咲きあっという間に散り、なんだか飾り物みたいであまり心に響かなかったな、と思った。4月は、悲しみが漂っていた季節でもある。
気がつけば、ジャケットを手に持って袖まくりして歩く季節になっていた。ソウルの人は暑さに敏感というか、さっさとTシャツ姿で歩いている。
空が青く、空気に密度を感じる。そうして見回してみると、新緑のなんと力強いことか。
バスから眺める街路樹が、うんと枝葉をのばして、風に揺れているのを見るだけで心が躍る。なにか、黙って日々を過ごしていてはもったいないようでどきどきする。
それで週末、ふいに思い立って、
地下鉄とバスを乗り継いで2時間半、西海の北にある島に行ってみた。
なんの計画もなく行ったので、着いてから適当にぶらぶらする。
なんとなく、標識に沿って山の方へと歩いてみたら、
思ったより傾斜のきつい山道で、はあはあ言いながら登りきると、古い城郭の跡地にたどり着いた。
登ってみたら拍子抜けするくらい小さい山だったけど、遠くに海が見え、陸地が見える。
後で聞いたところによると、それは朝鮮(北朝鮮)の地だった。
ソウルからでも、車で2時間ほど走ればDMZ(非武装地帯)にたどり着く。
ここは朝鮮半島であって、私はその南側にいるのだ。ということを改めて思う。
それが「フツー」であればよいのに。
こんなに、緑は一斉にあおあおとしているのに。山も海も、そもそも誰のものでもないのに。
そんなことを、考えたり考えなかったりしながら、ぶらり一人散策を満喫した。
夜は友人の経営するゲストハウスで、まったり。
都市を離れて、緑のなかへ。そんなことも割と気軽にできるのが、ソウルという市のサイズだと思う。
(韓国へ来て、ちょっと時間があるなら江華島の旅もよいです。ゲストハウス(asacasac guesthouse)をオススメしときます。ちょい宣伝。)
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