2016/10/15

まっさらな10月。

空が高くなっていて、気がつけば10月なかばで、
あれだけ狂ったように暑かった夏は、今年は名残惜しげに何度も火照りを残しながら、それでももうすっかり去ってしまった。
そして本当にいつの間にか、ぎんなんが匂っていて、すとんと秋が来た。

なんとなく、2年前の10月を思い出していた。

ソウルでの1人暮らしをはじめて半年あまり、
そして、大学の研究室に間借りした小さな民間団体の「1人事務局」で働き始めて3カ月あまりの頃。

10月はじめの3連休は、自分でびっくりするくらい「することがなかった」。

休みに急に連絡して遊ぶような友達もいなかった。
休みの日を返上するほど忙しい仕事もまったくなかった。
それまで感じたことのなかった類いの、「しがらみのなさ」の晴れ晴れとした自由さとさみしさを噛みしめていた。
むだに天気が良かったことをよく覚えてる。



映画にでも行けばいいし、明洞や弘大の方にショッピングにでも行けばいいし、ふだん全然行かない美術館とかにでも行けばいいのに、その気が起きなかった。

そして何をしたかというと、

何を血迷ったのか、

家の近所の美容皮膚科で、レーザートーニングをした。爆。


なんだったのだろう…あのときのあの心理は。
「こんなに人に会わないという時期はないかもしれない、そんなときこそできることをやっちゃおう」
という勢いでだったのか。とにかく、魔が差したとしか思えない。
そう思い立つと、最寄りの駅の周りにいくらでも「美容皮膚管理」の施設を見つけられるのがこわいところだ。

結果的にどうだったかというと、連休初日に施術して、残り2日間はまるっきり部屋に籠もらねばならない顔になった。(レーザーで焼いた小さいシミの痕が無数に散らばる顔)
その後2カ月くらいかけてケアに励んで多少きれいになったが、いま、どれだけ効果があったかと見返すとあまり自信がない。もしかしたら、そうとうなムダだったかもしれない。でも特に後悔していない。

あの頃、向き合っていたのは自分の顔ばかりだったのだという、馬鹿馬鹿しくも消し去れない日々の証な気がする。

あれから2年。たった2年なのに、ずいぶんと自分の環境は変わった。
鳥がせっせといろいろな物を集めて巣をつくるように、私も自分の居心地のよい場づくりのために本能的に動いていたのかもしれない。私にとって必要な「物」は人とのつながりだった。たとえ、めんどくさかったり嫌な思いをすることが増えても、人との関係を作らずにはいられないタチらしい。
暮らす、というのはそういうことなのかもしれない。がらんとしていた部屋に一つずつ家具が増えるのと同じく。よくもわるくも。


だからこそ、2014年のすっからかんの秋を、ときどき大切に思い出す。
孤独ともいえないささやかな「コドク」を噛みしめていた、まっさらで空が青かった秋の日を。