2015/01/05

「帰る」。

クリスマスの頃の東京は、手袋をはめなくても手がかじかむことがなかった。
ソウルと東京はずいぶんと気温差があると思った。
その気温差のせいか、いつもよりも少し遠くに感じた。距離的にも。

年末から年始にかけて、里帰りで東京。
里帰りで東京ってなんだかおかしくないかい。なんとなく。
でもやっぱりどうやったって私のふるさとは東京。
見慣れた都市の光を見てどこかほっとしつつ、
トウキョウはなんでもあってなんにもない、といつものことを考えた。

10日間を実家で過ごした。
そういえば実家で大晦日から正月を迎えるのは4年ぶり。
出戻り娘のような気分だ。嫁に出たことはないけど。

「この正月休みは特に予定は入れてない」と口癖のように言いつつも、
気づけば毎日なんだかんだと出歩いていた。
時間はたっぷりあった。なのに何故かいつも、何かを早く済ませなきゃ、という気分に追われた。
がっつり集中してやるべきことを数日で処理し、残りの時間をのんびり過ごす、という能力が決定的に欠けている。わたしには。
本気でのんびりするためには、全力疾走した時間が必要なのだきっと。

いつも年末年始は、ものごとを畳んで片付け、堂々と休み、そして新しく始める、ということができるので大好きなひとときだったのに、
今回はどうもぱっと切りかえができない。
のっぺりとした時間がまとわりついていて、考えることはバラバラに、それぞれカラカラ空回りし、
1年を振りかえることも、これからの1年を思い描くことも、おっくうになってしまった。

いっそ今年の始まりは1月5日からということにしましょう。と勝手に決めた。

そんな気分を抱えたまんま、ソウルへ戻る。
東京を離れるときはいつもちょっとだけさみしいような気分になる。
いまだに。

いつか、自然と「帰る」場所は、どこかに、変わっていくのだろうか。

飛行機に乗り込み、離陸するとすぐに睡魔がやってくる。
一瞬すうっと吸い込まれるように眠って、目を覚ますと、
窓の外で背の高いあいつが、しれっと姿を現していた。



このさんかく坊主が、日本という国の精神的象徴であろうとなかろうと 関係なく、
ただ神々しいばかりに美しかった。
こんな光景を見せつけられてしまっては、
私の頭でこねくりまわしている「場所」のようなものは、みじめにちっぽけな考えだと思わざるを得なかった。

あと2時間後、仁川空港に着いたところから、ちゃんと始めなければ。ちゃんと。

と、思いながら、とろとろもう少しだけまどろむ。