2015/11/25

そのひとことを飲み込んで。

ずっと思っていたことを、ちょっと書いてみる。

銀行の窓口で、タクシーで、何かを問い合わせたり申し込んだりする電話口で、
最初の一言を発するときの緊張が、いまでも苦手だ。

タクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げると、最初のほんの少しの会話で気づく人はこう言う。
「ハングッサラム アニシネヨ(お客さん、韓国人じゃないね)」
そのとき私に元気があれば、韓国人だけど日本出身の在日同胞です、と言うし、元気じゃなかったり面倒であれば日本から来ました、とだけ言う。
日本から来たという言葉でなぜか大抵、運転手さんは「やっぱり当たった」とばかりに満足げに、日本に関する自分の関心事を話したりする。
私は、『ああやっぱりバレた』と、小さくがっかりする。
この「バレた」と「がっかり」という感情は、どこからくるものか。何故、そんな風に感じてしまうのか。

韓国生活、トータルで2年7ヶ月たった。思い返せば、来たばかりの頃はいまよりもずっと、韓国語を話すのがぎこちなかった。
銀行で初めて口座を作るとき、住民登録証でも外国人登録証でもない「居所証明」を持って要件を伝える私の前で、係員は隣りの係員に「外国人なんだけど、担当者呼んで」と言った。

そのとき、私はキレた。
自分でも止めようのない感情が膨れあがって、押さえられなかった。

以来、外国人と扱われること、日本人と思われることに対して過剰に反応してしまうようになった。携帯電話の加入のとき、郵便局の窓口で、店で物を買うとき、何気ない会話で。
友人に「あなたがそういう反応を示すとき、顔がとてもこわばってる」と諭され、ハッとしたこともある。無意識に肩に力が入っていたのだ。
2年くらい経ち、さすがにもうそんなに反応しないな、と思っていた。が、忘れた頃にこの『アナタ外国人/日本人ダヨネ爆弾』は炸裂する。そして少しずつ心を傷つけられる。
「いい年して今さらもう傷つくな!」と一方の自分が突っ込むときもあるけれど、しばらく心の奥でいじいじしているのだ。

なんでなんだろう。と素朴に考え直してみる。私は「韓国人」として認められたいのか?

「イルボンサラム アニラニカヨ! ハングッサラムイエヨ!」
(日本人じゃないってば!韓国人なんですよ!)

何度も口にしたこの言葉は、実際叫んだりはしないけど、いつも絶叫のように心を行き来する。
それから、

「日本にいても外国人、韓国にいても外国人……」

この哀愁に満ちた節も、何かにつけて心寒く流れる。

でも。
そもそも韓国人なのか、私は。東京で生まれたときは朝鮮籍で、韓国国籍は18歳から始まった。
韓国に住むことになる、というのはある意味ハプニング—思い掛けなかったこと—ではある。
すらすらと韓国語を話せるようになって、住民登録も得て、韓国の習慣も気質も身につけて、すっかり「韓国人」となれたらそれが段階クリアなのか?迷いがなくなるのか?

○○人とはなにか、というのは自分にとってずっと考えるテーマではあるけれど、
「わたし韓国人です」と主張するひとことを、いったん飲み込んでみる。

もう、わたし韓国人ですって言うの、やめます。とりあえず。

韓国人とは、なんなのか。そして、在日コリアンとは何かということを見出す必要がある。自分自身で。

これは個人的な問題ではないし、同時に個人の問題でもある。
こんな悩みは20年30年前から変わっていないし、いまも韓国に来る若い在日コリアンの友人たちが同じように傷つくのを見て、心底、胸が痛む。
もう、こんな悩みが後世代にも続かないよう解決すべきだという思いもあるけれど、
反面、在日コリアンであるがために考え、傷つき、悩むことを大切だとも思いたい。
国家や、国民や、○○人という枠組みにはまらない自分自身の存在を悩むことは、
しんどいけれど、尊いことだと思うからだ。