徹夜で準備の甲斐もなく、金曜の授業の発表はさんざんな内容となってしまった。
自分の出来なさ加減が情けなく、へこんでしまうのが性分だ。
疲れがたまって顔が暗い。クラスメイトには「顔色が悪い」を通り越して「顔がプアー(poor)だ」とまで言われる。貧しい顔って…。
部屋に帰り、ぐったりとベッドに転がった。手元にあった本を、読むともなしにパラパラめくりながら。
先日、図書館で借りてきた本。この大学の図書館にはまるまる一書架が日本語の本というコーナーがあるので嬉しい。参考資料のあいだにたまたま昔読んだ小説があったので、懐かしくなって借りてみた。
「君はこの国を好きか」
鷺沢萠 著 1997年刊行の本。
久しぶりに読んだ。
在日韓国人3世の女の子が、留学のために初めて暮らした韓国での葛藤を描いた小説。
(おお、わたしの要約ってなんて陳腐なのでしょう!)
初めてこの本を読んだとき、わたしは確か、ちょっと反発をおぼえた。
その反発の気持ちは、うまく言えないが…、語弊を恐れずにいえば「そんな簡単に小説にしてくれるなよ」というのに近い。そしてこの小説に共感した、と言うのが恥ずかしいような気がしていた。
いろいろあってその頃の自分は、在日韓国人/在日朝鮮人/在日コリアン/在日 の話が食傷ぎみな時期だった、というのもある。
そう言いつつ、ひりひりするようなシンパシーを感じていた。いくつかのシーンを鮮明に覚えていたくらい、何度も読んだのだと思う。
在日コリアンが韓国に来て傷つき、葛藤するのは、誰もが経験する。言ってしまえば「在日あるある話」だ。世代によって、時代背景の移ろいとともに傷の深さや傷つき方は変わるけれど。民主化前の韓国に留学に来ていた在日2世、1990年代末のこの小説の在日3世、そして韓流と日本カルチャー好きが行き来するこの時代の在日3世以降世代は、違うものを抱えたはずだ。
違うはずなのに。いまこの本を読んでもやっぱりヒリヒリと感じる現世代の在日コリアンは、きっと少なくないのではないかと思う。
この小説には、「本質的な問題」というのは特に描かれていない。
だからこそ、純粋に感情的な葛藤がむき出しになっていて、そこに共感し、そして何やら恥ずかしく感じている自分がいる。
いま、読み返してみてやっぱり、古傷がうずくような気持ちがするのだ。
本のタイトルは、切り口を変え何度も何度も自分の胸に刺さってくる。
「この国」とは。「国を好きか」とは。「君は」とは。
君はこの国を好きか。
今、まさに問いたい。日本にも韓国にも、異国に住んでいる人にも。
ちなみに、わたしはきっとずっと、うまいこと答えることができない。
著者の鷺沢萠さんは、2004年に旅立たれた。
本当に若くして、たくさんの良作を書かれたのに。その死をかなしく思う。