2014/08/17

8月15日。

8月15日を韓国で過ごすのはぜんぶで3回目だけれども、
今回、ここで暮らしていてある発見があった。

13、14日になると、軽トラックの荷台にたくさんの太極旗を積んで
商店街の軒下に差して回る地域の担当さんを見たのだった!
どうりで。万遍なくどこもかしこも国旗だらけなわけだ。
個人宅もそうなのだろうか? アパートの大家さんは、どこかで配布されたという太極旗を嬉しげに買い物カゴに差して帰ってきた。


8月15日。日本では終戦記念日、敗戦日。
どこか重々しく、悲痛な気持ちで、平和を祈る日だった。
日本に暮らしている間、自分にとっても。

ここ韓国では、「光復節」と呼ぶ。植民地支配からの解放記念日である。
今年改めて、ああ、この日は日本とはまったく違う意味を持つのだな、と感じる。わかってはいたけれど。
解放なのだ。お祭りムード、までは今ではないけれど、晴れ晴れとした、胸をはって迎えて良い日なのだ。まさに祝日なのだ。

私にとって8月15日はいつも複雑な思いがある。
「出自」からすれば紛れもなく解放の日として晴れ晴れと迎えていいはずだ。でも日本で生まれて生きてきて、そんな風にこの日をすっきりと捉えられた試しがない。

初めて韓国でこの日を迎えたのは2005年、釜山でのことだった。
300人の日本人参加者とともに釜山港に降り立ったその日、幾度かの議論の末、韓国側の受け入れ先は光復節の祝典に日本の人々は参加しない、という判断を下した。
300人という数の日本人が祝典に参加するというのは前例がなかった。韓国人の気持ちが高ぶるこの日、これだけ大勢の日本の人々を、そこにいる釜山市民みなが寛容に受け入れられるかどうかはまだ「時期尚早」と判断したという。
2005年の春、小泉首相が靖国神社を参拝した、そういう年だった。日本と朝鮮半島、中国の政治関係に緊張感があった。
(でも、それでも、「現在ほどひどくはなるとは思わなかった」。悲しいかな、いまはそう思う。)

その時も、私は複雑な思いをもてあました。私はどの立場でこの日の意味を捉えているのだろう。私は日本の参加者の引率担当でもあった。釜山の人々の判断はもっともだったし、気持ちは痛いほどわかった。でも私は祝典に参加はしなかった。

あれからもう9年もたっているのか〜。
まさかソウルに住むようになって8月15日をまた迎えるとは思いもしなかったけれど、こう、住んでみて感じるのは、あの時ほどの緊張感というか複雑さは薄まるなということ。
淡々とした気分でいる。ただ、国旗に対する、というか、国旗を掲揚するという行動に対して生理的な拒否感は、どうしてもある。
それについてはまた、別の機会にじっくり考えてみるとします。

そういえば、婆ちゃんは69年前のこの日を、日本でどんな思いで迎えたのだろう。と、ふと思った。