2015/01/27

石の上にも20年。

駅近くの交差点の角で、いつも座って何かを売っているおばあちゃんがいる。

春も夏も秋も、同じ場所に座って、なにかせっせと手作業しながら売っている。
にんにくを剥いていたり、栗を剥いていたりする。

彼女は私がよく利用するスーパーのすぐ目の前に陣取っているので、あ、おばあちゃんがいる、と気づくのはいつも買い物を済ませて出てきた後だ。

夏はこんな風に、大変ラフな感じで作業および販売をしている。まるで自宅の台所のすみのように。



真冬、日中もマイナス気温になるこの辺りは、アスファルトの路上は凍てつく寒さだ。
そんな中、彼女は冬仕様でやっぱり同じ場所に陣取っている。

ある日、ん?ドラえもん?ってくらいまんまるになって座っている彼女に気づいた。




今までずっと、気づいてもスルーしてきたので、いつも通り交差点を渡りかけて、
なぜかこの日は、思い立ってUターンした。
その日は12月23日で、私は明日東京の実家に帰るぞという日で。
なんとなく、その、大きな理由はないけれど、何か声をかけたくなったのだ。

その日彼女が売っていたのは、剥いた栗と、ピーナッツと、もやしだった。

栗を下さい、と声をかけた。実家へのお土産に、栗ご飯にでもして食べてもらおうと思って。
ちなみに、私は栗は好きじゃない。

おばあちゃんは(たぶん無愛想だろうという私の予想を裏切って)にこにこして「アイゴ、カムサヘヨ〜(まあありがとう)」と栗を一袋差し出した。5000ウォン(約500円)だった。

「寒くないですか?」と聞くと、
「ケンチャナヨ〜(大丈夫だよ)」とにこやかにいう。そして、
「わたしゃここで20年座ってるよ!」と胸を張った。

20年!
その時間の幅というものを考えてみた。

私がちょうど大学に入って、サボったり悩んだり恋したりして、社会とか世界とかいうものに出て、また青臭く悩んだり闘ったり出会ったり別れたりしてた、そのころから、
彼女はほぼ毎日、ここに座っていたのかな。
どんなソウルの風景を、どんなソウルの変化を見てきたのだろうか。

その一つひとつ、でなくとも、彼女の記憶に残っているものだけでいいから、紡ぎ出せば一つの物語が現れるだろうな。
彼女の見てきたものが、そのまま映像になるなら、そんなロードムービーを見てみたいと思った。

20年座っている彼女に、何かうまい言葉が思い浮かばず、どうも、といって剥き栗の袋を持って帰った。

栗を入れたビニール袋の内側に水滴が浮かんでいたので、ザルにあけて水気を飛ばした。君たちは腐らずに日本に行かねばならないからね、と栗に言い聞かせながら。



部屋にはもらったポインセチアがあって、ああ明日はクリスマスイブなんだな、と思った。

この栗がその後、どのように誰の胃袋に収まったか、そういえば私はしらない。


2015/01/08

いつまで日本語。

私はことばが好きだ。
読むことも、書くことも好きなほうだ。
伝える・伝えてもらう手段、つまり表現の手段はいろいろあるけれど
ある人は写真で、ある人は音楽で、ある人は踊りで伝えようとするならば、私はことばという手段を自然と選んでいるのだろう。
…たぶん、一番お金がかからずモノが要らないから、そうなったんだと思う。

そして私のことばのベースとなるのは日本語。
日本語で書く、というのは、単なる表記言語としてではなく
日本語的に思ったり、感じたり、考えたりしている、ということだ。
陶芸にたとえるなら、私の場合、形作った器に日本語という釉薬を塗って完成させているのではなく、
日本語の粘土をこねくり回して、なんとか器の形に仕上げている、という感じだ。

韓国語で文章を書くとしたら、
日本語の粘土でつくった器に韓国語の釉薬を塗って仕上げようとしてしまう。
まだ、そういう段階だ。…と言うべきなのかなんなのか。

そんなわけで、
いまだに韓国語で文章を書くのは苦手だ。
(まあ、言い訳なんですけどね)
もっともっと、韓国語をたくさん読んで、書いて、頭をひたひたにすれば、いつか「韓国語的に」思ったり感じたり、するようになるのかも知れない。
場合に応じて、「思考の言語」のチャンネルを切りかえることができれば、ものの見方・考え方はもっと豊かになるかも知れない。
そこに至るには、もちろん努力が必要なのだろうけれど、
川をぴょんと飛び越えて、向こう岸に渡るような、思い切りが必要なような気がする。なんとなく。

それとも、思考の言語というのは基本的には変わらないんだろうか。
私はいつまで日本語ベースなのかなあ。

日本語で感じたことを、日本語で伝えるのだって、だいたい上手くできないことの方が多いけどね。






2015/01/05

「帰る」。

クリスマスの頃の東京は、手袋をはめなくても手がかじかむことがなかった。
ソウルと東京はずいぶんと気温差があると思った。
その気温差のせいか、いつもよりも少し遠くに感じた。距離的にも。

年末から年始にかけて、里帰りで東京。
里帰りで東京ってなんだかおかしくないかい。なんとなく。
でもやっぱりどうやったって私のふるさとは東京。
見慣れた都市の光を見てどこかほっとしつつ、
トウキョウはなんでもあってなんにもない、といつものことを考えた。

10日間を実家で過ごした。
そういえば実家で大晦日から正月を迎えるのは4年ぶり。
出戻り娘のような気分だ。嫁に出たことはないけど。

「この正月休みは特に予定は入れてない」と口癖のように言いつつも、
気づけば毎日なんだかんだと出歩いていた。
時間はたっぷりあった。なのに何故かいつも、何かを早く済ませなきゃ、という気分に追われた。
がっつり集中してやるべきことを数日で処理し、残りの時間をのんびり過ごす、という能力が決定的に欠けている。わたしには。
本気でのんびりするためには、全力疾走した時間が必要なのだきっと。

いつも年末年始は、ものごとを畳んで片付け、堂々と休み、そして新しく始める、ということができるので大好きなひとときだったのに、
今回はどうもぱっと切りかえができない。
のっぺりとした時間がまとわりついていて、考えることはバラバラに、それぞれカラカラ空回りし、
1年を振りかえることも、これからの1年を思い描くことも、おっくうになってしまった。

いっそ今年の始まりは1月5日からということにしましょう。と勝手に決めた。

そんな気分を抱えたまんま、ソウルへ戻る。
東京を離れるときはいつもちょっとだけさみしいような気分になる。
いまだに。

いつか、自然と「帰る」場所は、どこかに、変わっていくのだろうか。

飛行機に乗り込み、離陸するとすぐに睡魔がやってくる。
一瞬すうっと吸い込まれるように眠って、目を覚ますと、
窓の外で背の高いあいつが、しれっと姿を現していた。



このさんかく坊主が、日本という国の精神的象徴であろうとなかろうと 関係なく、
ただ神々しいばかりに美しかった。
こんな光景を見せつけられてしまっては、
私の頭でこねくりまわしている「場所」のようなものは、みじめにちっぽけな考えだと思わざるを得なかった。

あと2時間後、仁川空港に着いたところから、ちゃんと始めなければ。ちゃんと。

と、思いながら、とろとろもう少しだけまどろむ。