2013/06/20

図書館で泳ぐ。

水曜午後。4時間ほぼぶっ通しのの授業が終わって、ぷすぷすと耳の穴から少し煙をたてながら(というイメージで)教室を出る。
今学期は月・火・水に授業が集中していて、週の後半は授業はなくとも英文と格闘し(そしてしょっちゅう敗北してはベッドに倒れ)、やはり地味に過ごしている。
それでも、水曜の授業が終わると、とりあえず一段落。
昼食を食べ終えて外を見ると、梅雨の晴れ間で日が差していて、にわかに伸びのびとした気分になる。
いい天気で、時間がある。なんて素敵。わーい何かしようかな〜、久々にどっか出かけちゃおうかな〜……などと思っているのに、足はなぜか図書館へ。
さっきの授業の「批判的安全保障論」の基礎をあまりにもわかっていなさすぎて泣きそうだったので、頭が冴えているうちにちょっと調べておこう、というのはタテマエで、図書館に入れば結局ぶらぶらしてしまう。
まあいいや、今日は図書館で思う存分まったりする日として過ごすのもいい。こうして地味生活がまた一日重ねられる。

この大学の図書館には、中村福治先生という方が4万冊以上を寄贈されて、一書架まるまる日本語の本というコーナーがあるので、いつもつい足がそこに向かってしまう。
ランダムに並んでいる本の背表紙を眺めて歩くと無心になる。タイトルや装丁で心にかかるものがあれば引っ張りだしてパラ見する。図書館でも本屋でもこうしていると何時間でも過ぎてしまう。
「心にかかる本」というのは向こうからアピールしてくれるもんで、自分で探そうとするとうまくいかない。残念ながら、英語の本ではまだそこまで馴染みがない。英語は、読もうとしないと頭に入ってこない。韓国語はもう少しましなので、惹かれる本はいくつもあるが、パラ見で内容を把握するのはまだちょっと難しい。
これも訓練しないとなかなか身に付かないよ、と思いつつも、今日はラクに読めるものを自分に許してやる。
とはいえ、ここの日本語の本はあくまで寄贈ものなので、趣向は限定的だ。端からながめていくと、グローバリズム、フェミニズム、社会政治学、労働問題、社会主義論、日韓関係、在日問題……まあ、授業に関する文献はほぼ凝縮されていてありがたい。
そんななかで、つい手にとった今日の気分は何かといえば、
 「大人のための残酷童話」倉橋由美子

なぜ!!
でも読み始めると止まらなくなり、読み終えたらあーすっきりした、という気分になった。なぜだろう。
昔読んだときは、まがまがしくて好きじゃないと思ったけれど、妙に忘れがたい魅力があった。改めて読むと、この物語はじつはとても「筋が通って」いて明瞭なのだ。挿話ひとつずつの最後についている「教訓」が、ぜんぜん救いようがなくて面白い(笑)。
童話が描くのは人間の本性で、このどうしようもない物語を倉橋由美子氏がとても上手に料理して皿に乗せた、という感じだ。

そう、物語だからすっきりで済むのだ。現実の現代では、人間の本性で片付けるわけにはいかないことが山ほどあって、その交通整理のために、社会や国や政治や制度をつくるわけで。そのために主義や理論についての議論を、辛抱強く重ねていっているわけで。
そりゃあもう、ややこしくてすっきりしないけれど、そういう積み重ねの上にある今の社会を生きてる。そこに生きてる以上、すっきりさせたいがためだけに「人間の本性」を持ち出す議論というのは、筋違いというよりも、卑怯というもんだ。

そんなようなことを、だらだらと考え流れながら。
気がつくと、時計は夕方の時間を指している。

今日もまた1日の大半をインドアで過ごしてしまった。まあ、これもたいへん贅沢な時間だとは思う。


             写真は本文とは関係アリマセン。


2013/06/15

乗りものの光景。

ソウルと東京で、とっても似ているのにまったく違うもの。
それは乗りものです。

ソウルは地下鉄とバスの街だ。
バスの路線はとても多い。ソウル市内をくまなく走るバスを使いこなせば、たいがいの所には行ける。
ただし、ソウルのバスを乗りこなすのは気合いがいる。
とにかく運転が荒い。バスに乗り込んで乗車カードをピッとやり終える前にぎゅいーんと発車してるのがふつう。なのでカードは乗る前に手に持ってスタンバっておかないと大変なことになる。
停留所に止まるときも、ぎゅいーんと止まる。アニメで乗り物が勢い良く止まるとき、ぎゅっと縮まっておしりが持ち上がって、どすんと止まる、あんなイメージだ。
いつも停留所に着いてから急いで降りようとするわたしに、一緒にいた友達が「降りる場所を忘れてたの?」と不思議そうに聞く。…いやいや、バスが止まる前に立ったりすると、コロコロ…と転がりかねないんですよ、ここのバスは。
このあいだ、少し日本に帰った際に、バスに乗って改めて運転のやさしさに感動すら覚えた。日本に旅行経験のある韓国の友人は口を揃えて「日本のバスはすごい親切だ」というので、彼らもソウルのバスの運転には閉口しているようだ。
まあ、他のアジアの国々に比べて、特にソウルがひどいというわけじゃない。たぶん。
恐らく、もっともっとすごいバスが横行している国にいつか訪れるときに備えて、ソウルバスの急発進・急停車に足を踏ん張って訓練している。(備える必要があるのか…?)

ソウルは地下鉄も多い。ここ数年でまた路線が増えたようだ。
路線図は東京の地下鉄に似ていると思うので、さほど難しくない(※東京の地下鉄の複雑さに慣れてなきゃいけない)。列車も、向かい合わせシートで小ぶりで長い車両。うるさい車内広告の羅列も似ている。
でも、なんか東京の地下鉄と違うんだよな…と思って、はたと気づいた。
車内のにぎやかさ。ここでは無音の車両ってほとんどない気がする。あちこちで誰かが必ず喋ってる。
一度、耳をすませて何がそんなに賑やかなのか、聴いてみた。おばちゃんとおじちゃんが喧嘩か?!と思う勢いで会話してる。おじいちゃんが、めっちゃ遠くにいる人に話しかけるように声をあげている。若者がひとりで早口にまくしたてている(と思ったら、ケータイで喋ってるのだ。大抵イヤホンマイクを使ってるので独り言に見える)。etc。
これに慣れたら、たしかに東京の地下鉄のしーんと静まり返った車両が「不気味だ」と思うかもね。
個人的には、静かな車両の方が落ちつくけど、最近もうこのにぎやかな車両に慣れてしまった。

もうひとつ、これは東京ではなかなか見ない。列車の中を行き来する「物売り」の人たち。
最近はソウルの地下鉄でも少なくなっているらしいけど、私がいつも利用する1号線ではバリバリ現役が闊歩している。
物売りの人はカートごと車両の真ん中に陣取って「さあさ紳士淑女のみなさま、とくとご覧あれ、本日特別な商品をご用意しました…」みたいな口上を始める。売りものは、靴底シートとか、接着剤とか、マスクとか、こまごました日用品。
実は、最初見たときは申し訳ないような気持ちでそっと目をそらした。誰も買わないのに1日中こうしているのか、と思ったからだ。…それは完全にわたしの偏見だった。
「さあ、たったの千ウォン!」と言って座ってる乗客に押しつける。すると、乗客は買う。
そ、そこで買うのか?!
すると、「おい、おじさんこっちも」と別の席からも買う人がいる。物によっては、けっこう繁盛。
派手な色のマスクを買ってさっそく口に当てるおばちゃん。ま、まあね、喉がいがいがしたのかもしれないしね…。それはわからないでもないが。
「名刺大の透明なプラスチックの拡大鏡」を売ってたときは、さすがにどうかと思って見ていたら… おもむろにおじさんが買った。使うの?! おじさんは持っていた雑誌に拡大鏡を当ててみて、満足そうに胸ポケットにしまった。それ、今後たぶん当分使わないでしょー。
前口上がうまい人もいれば下手な人もいて、下手な人のは当然売れない。買う人は、たぶん寄付のような感覚もなかにはあるが、案外シビアでもあるのだ。

そんな地下鉄の光景。観察するのを、秘かな楽しみとしている。



2013/06/09

ブログ再開。

閉鎖してたわけではないけど…。はっ!と気づいたら4月でブログが止まっていた。
やっと春めいてきたなあ…と思った頃から、なんだかバタバタと日々が過ぎていってしまった。
バタバタ、というとあちこち飛び回ってるみたいだが、実際はほとんど部屋か校内にいて、じっとりと動きの少ない日々を送っていた。
勉強に専念していたと言いたいところだけど、なんだかほとんど「勉強しなきゃ」プレッシャーに勝手に追い込まれてヨユウがなくなって、もがいていただけだ。うーん、なんだったんだろう。この2ヶ月は。
そんなこんなしているうちに、1学期が終わってしまった…。
学期間の1週間休みには日本に帰った。格安航空券のおかげで日本の国内移動よりも安くチケットが買えてしまう。ソウルー東京は飛行機で2時間。ほとんど隣りの県に行くような感覚だ。下手するとパスポートを忘れてしまいそうになる。
ほかの生徒も、自分の国に帰りたかっただろうに、そう簡単には帰れない。クラスメートになんだか申し訳ないような気持ちで、抜け駆けしてごめんよと思いながら帰った。

で、あっという間に幸せな休暇は終わり、再び仁川空港にいる。
あーまたソウルに帰ってきたなあ、と思う。
いままで数えきれないほどこの空港に降り立ったけど、いつもどこか少しだけ緊張していた。ここではいつも自分は訪問者だった。
でも、いまは「帰ってきたなあ」と思う。だからといって、とくに感慨もなく。


これからまた数ヶ月、ここでの日々がはじまる。
明日から新しい学期だし、気分一新してがんばろ。コツコツ勉強しよう、ちゃんと早く寝て早く起きる生活にしよう、身体がなまらないように運動しよう、…と、いつもこう、節目のたびに「今度こそ」と目標を新たにする。「いつも目標を新たにする」ということは、あんまり実現してないってことだ。
そういう目標のたて方はよくないと、自己嫌悪になることもあったけど、今はもう気にしない。
何度でも何度でも、新しくはじめればいいんだから。カンペキじゃなくても、どこかつまずいてしまった所からまたスタートすればいい。

そんな感じで、なにか新鮮な気分で夏学期を迎えようとしている。

…と、メールを開くと、さっそく来週のクラスの課題テキストが届いていた。これを3日で読了せよと。
お出迎えは、手厳しい。