2014/04/30

こもる日々、思っていたこと。

論文を書き終えた。
正確にはドラフトを書いただけだから終わってはいないんだけど。
考えてみれば韓国に再度来てからのこの2ヶ月間、いや、遡ってみれば去年、無謀にも十数年ぶりに大学で勉強することになってからのこの間、ずっと心の重しになってた論文が、何とか形になったのだから感慨深い。そもそも、ろくすっぽ英語でメールすらも書けない自分が、英語で書いたってだけで何だか大層なことをしてのけたような気がしている。

この10日間くらい、ずっと家にこもっていた。
それは、集中力がなくてじっとしていられないタチの私にとっては、とても苦痛だった。
何より、人と会わず、会話しない日々が続く、ということが自分には堪え難いのだ、ということを改めて思い知った。
そんなわけで、多少おおげさに「大変だった」感をアピールしているかもしれないが、
気持ち的に辛かったのは、べつの理由がある。

個人的集中期間に入ったその日に、全羅道の珍島沖で「セウォル号」が沈没するという事件が起きた。
正直にいうと、こんな大事故になるとは予想しなかった。昼、事故のニュースを見て、ああ大変だ!とは思ったが、恐らくほぼ全員救出されるだろうと勝手に思ったのだ。
が、この惨事は丸2週間たった今も続いている。
そのかん、毎日パソコンに向かっているために、ついついニュースを見ては、ますます悪化するとんでもない状況に愕然とし、気持ちがどんどん沈んだ。
Facebookも、悲惨なニュースももう見たくもないのに、見ないと何か大切なニュースを聞き逃すような焦燥感にかられて無闇に見ていた。
この感覚は、なにかに似ている、いつか体験していると思った。

事件が起きた数日後、やりとりした先生に宛てたメールに、私はこんなことを書いていた。

ずっとパソコンに向かいながら何も助けにならない自分の無力を思いつつも、
今回の事件は、単なる事故ではなくとても大きな社会問題を含んでいると、
日がたつにつれ思います。
事故の真相究明はもちろんですが、もっと深く社会と政治背景を追求する必要のある、
長い事件のような気がします。

日本ではどれくらいの話題になっているのでしょうか、気になります。
個人的には、友人たちのフェイスブックの書き込みを眺めていると、
この事件の受け止め方に大きな温度差があると感じています。
韓国の友人たちの書き込みはいまも、
ほぼ99%がセウォル号についての悲しみと怒り、焦燥感を綴る内容です。
代わって、日本の友人たちの書き込みにこの事件に触れる人は、
事故2、3日後からほとんどいなくなりました。
良いとか悪いとかではなく、優しいとか冷たいとかではなく、
この共感を区切ってしまう「国」とは一体なんなのだろう、と考えています。

語弊を恐れずに言えば——、私はこちら韓国で、ある種、
東日本大震災および福島原発事故後の日本での茫然自失の空気感を感じています。
大きな怒りが、政府そして「韓国というシステム」に向かっているように感じます。


いまの韓国社会のひずみを表している、というのは、
韓国「発展」を追い求めて、急づくりでこしらえた現代のもろさが露呈したように思うのだ。
それこそ、ちょっとの衝撃でぐしゃりとつぶれてしまう安普請の建物みたいに。
この事件に関連している「社会の問題」というのは多岐に及んでいる。安全対策の軽視、責任をとらない会社と組織、非正規雇用だった船長、「高校生」である子たちの現在と将来、他国との関係性と救援の問題。
どれも簡単に言うことはできないし、私がなにか出来るわけでもないけれど、
これから少しずつ、知っていこうと思っている。自分なりに。

まだいまも捜索活動は続いているし、この国全体が喪に服している空気がある。
でも、もうそろそろ怒りの噴出が、何かしらの形になって社会を動かすのではないかという気がしている。


2014/04/13

ハンメからの手紙。

実家の祖母(ハンメ)から、ソウルの私の家にハガキが届いた。


ハンメは就学年齢のころ学校に行けなかったので、字の読み書きがうまく出来なかった。
働ける限りを尽くして働いて、婆ちゃんになっても働き、ようやく仕事をリタイアした80歳前後になって、夜間中学校に通った。
そこで、文字の読み書きや算数やお絵描きを教わった。
夜間中学では当然最年長だったが、先生方にずいぶんかわいがってもらったらしく、学校に行ってるころ婆ちゃんは楽しそうだった…と思う。
その頃、私は実家を出ていて一緒に住んでいなかったので、じっさいどうだったか分からない。今になって、夜間中学に通っていたハンメを記録しておけばよかった、とちょっと悔やまれる。

そんなハンメが、孫を思って一生懸命慣れない手紙を書いてくれた…
という美談ではなくて、じつは私が自ら「この住所でちゃんと郵便物が届くか確認のために何か送ってくれ」と実家の妹にお願いした。すると妹が祖母に「久しぶりに何か書いたら」と勧めてみた。その結果物である。

受け取ってみるとほのぼのと嬉しく、…そしてツッコミどころも満載で微笑ましい。
「これから寒くなるからからだにきをつけて」
…これから春ですよーハンメー。それとも花冷えを心配してのことか。
詩と絵もほっこりしていいなあ、と思ったけど、右下に小さく
「ボケの花」。
…自虐ネタか?!

生まれたときから一緒に住んでいたけれど、十数年前に実家を出てしまった私が、家族の中では一番祖母に接する時間が少ない。
老人と一緒に住むというのが、ほのぼのした話ばかりではないというのは、想像に難くない。
ずっと一緒にいる実の娘である母、そして娘の婿である父が、数十年にわたる祖母との一つ屋根の下の暮らしでどんな葛藤があったかということも。
家族の大変さというものから、長い間どこか逃げてきた自分の後ろめたさが、私には実はある。

今は三人とも幸い元気に自力で暮らしているが、いつか来るかも知れない「介護」の時期をふと考えると、自分があまりにも未熟でなんにも準備ができていなくて、空恐ろしくなる。
いつになっても自分の生きることに精一杯で、親孝行も婆ちゃん孝行も、ろくにできなくてごめんねと言い訳しながらもう何年もたっている。
十分に高齢の祖母を、すでに初老な両親に任せっきりで、私は好き勝手に一人でこんなところへ来て、なにしてるんだろうなあ 
と、ハガキを見つめてぼんやり思った。


2014/04/06

もの売る人々。

論文のために、朝からずーっと部屋で過ごすことが多い日々。

我が家は防音がイマイチで、通りに面してることもあって、一人でじっとしていると、否が応でもいろんな音が聞こえてくる。

最近気になるのは、午後4時ごろになると聞こえてくる声。
同じ言葉を同じトーンで繰り返しているのだけど、どう聞いてもこう聞こえる。

 パ〜ラモンヌンスッ
 パ〜ラモンヌンヨーオー

…呪文?
…お祈り?

たぶん道ばたで何か売ってる呼びこみなんだろうけど。
だから、よく聞けば何かしらの単語がわかるはずなんだけど、
もはやお経かキジバトの鳴き声にしか聞こえない。
気になる。謎の売り子。

道ばた売ってるといえば、街角では屋台の他にもいろんな露店があるもので。

野菜とか、
ストッキングとか、
登山用運動靴とか。

それらはまだ分かるんだけど、このあいだちょっと目を引いたのは、

ホヤ。
海産物のホヤ。赤くてごつごつして丸っこいあれです。
交差点の角でホヤ屋。
なぜここで。海が近いわけでもないのに。屋根もなく、リヤカーに乗せてホヤを売るおばちゃん。
朝、通りがかって、夕方また通りすぎたときも、そこでホヤを売っていた。

ほのかに潮の匂いのただよう交差点。

もし次にまた居たら思わずホヤを買ってしまいそうなので、なんとなくホヤの調理の仕方を調べたりしてみたけれど、
それっきり交差点でホヤ屋には出会っていない。




これは近所の露店フーズのなかでも一番ハマっているケランパン(たまごパン)。
去年のカレンダーで再利用包装。…しゃれてる。700ウォンの幸せ。

2014/04/02

サクラ咲く違和感。

先週から急に暖かくなって、ソウルの街並みも花に彩られはじめた。

住んでいる区の区役所の入口で桜が満開にほころんでいるのを見て、あらっ急に春が来た、と思った。山に来て里に来て野にも来るという段階も踏まず、気がついたら急にそこにいた、という感じだった。


桜の花は好きだ。桜を見て日本を想いだす。
が、桜と日本の間のどこかに染み込むイメージが、私は好きじゃない。
多産や生命を象徴するはずの桜が、「潔さ」や「尊き死」や「御霊(みたま)」につながるイメージをいまだに孕んでいることに、苦い気持ちがするのだ。
花にふるさとを想うのはいい。が、花に国を想うことを私は好まない。個人的な感覚だけども。

ソウルでもあちこちで桜を見る。
桜の樹のならぶ街路や公園や大学のキャンパスを見ていて、何だか違和感を感じている自分に気がついた。
「ソウルに桜ってこんなに沢山あったっけ?」という気分。
その違和感というのは…敢えていえば、小さい頃よく行った公園があるとしよう。久々にそこに訪れてみて何か感じる違和感。そういえば、ここにこんな素敵なベンチがあったっけ?いつからあったかわからんが、なんとなく記憶と違う…。
例えて言うならそんな感じです。わかりづらいけど。

繁華街に並ぶ桜は特に、何だか作り物のように見えて、造花じゃなかろうかと思わず花弁に触れてみた。

そうだ、街路や公園で見る桜の樹は概ね細い。わりと樹齢が若いのだろうか。
そういえば、桜の大木というのをここで見ていない。といっても、私の狭い行動範囲内でだから、もしかしたら在る所には在るのかもしれない。
都市ができてから、桜を植えたのかなあ。
いつ頃から?なんで?いつか調べてみようと思った(と言って大抵調べないで終わる)。

そういえば私たちは、野生の桜というのをあまり見たことがないんじゃないか、と思う。

白いレースのような桜が街をかざり、花見だなんだと人々のテンションが上がり、ようやく長い冬が終わるねと服装も心も軽くなる。そんなワクワクする春の知らせが私も大好きだ。
ただ、なぜかここでは、桜よりも、ふっくらした白木蓮や、鮮やかな黄色のケナリ(レンギョウ)や、無造作に散らばっている小さいスミレに似た花に、より春の彩を感じる。

そして今宵はスマップの「世界にひとつだけの花」を我知らず口ずさみながら帰るのだ。