2014/04/02

サクラ咲く違和感。

先週から急に暖かくなって、ソウルの街並みも花に彩られはじめた。

住んでいる区の区役所の入口で桜が満開にほころんでいるのを見て、あらっ急に春が来た、と思った。山に来て里に来て野にも来るという段階も踏まず、気がついたら急にそこにいた、という感じだった。


桜の花は好きだ。桜を見て日本を想いだす。
が、桜と日本の間のどこかに染み込むイメージが、私は好きじゃない。
多産や生命を象徴するはずの桜が、「潔さ」や「尊き死」や「御霊(みたま)」につながるイメージをいまだに孕んでいることに、苦い気持ちがするのだ。
花にふるさとを想うのはいい。が、花に国を想うことを私は好まない。個人的な感覚だけども。

ソウルでもあちこちで桜を見る。
桜の樹のならぶ街路や公園や大学のキャンパスを見ていて、何だか違和感を感じている自分に気がついた。
「ソウルに桜ってこんなに沢山あったっけ?」という気分。
その違和感というのは…敢えていえば、小さい頃よく行った公園があるとしよう。久々にそこに訪れてみて何か感じる違和感。そういえば、ここにこんな素敵なベンチがあったっけ?いつからあったかわからんが、なんとなく記憶と違う…。
例えて言うならそんな感じです。わかりづらいけど。

繁華街に並ぶ桜は特に、何だか作り物のように見えて、造花じゃなかろうかと思わず花弁に触れてみた。

そうだ、街路や公園で見る桜の樹は概ね細い。わりと樹齢が若いのだろうか。
そういえば、桜の大木というのをここで見ていない。といっても、私の狭い行動範囲内でだから、もしかしたら在る所には在るのかもしれない。
都市ができてから、桜を植えたのかなあ。
いつ頃から?なんで?いつか調べてみようと思った(と言って大抵調べないで終わる)。

そういえば私たちは、野生の桜というのをあまり見たことがないんじゃないか、と思う。

白いレースのような桜が街をかざり、花見だなんだと人々のテンションが上がり、ようやく長い冬が終わるねと服装も心も軽くなる。そんなワクワクする春の知らせが私も大好きだ。
ただ、なぜかここでは、桜よりも、ふっくらした白木蓮や、鮮やかな黄色のケナリ(レンギョウ)や、無造作に散らばっている小さいスミレに似た花に、より春の彩を感じる。

そして今宵はスマップの「世界にひとつだけの花」を我知らず口ずさみながら帰るのだ。