2014/10/23

バスを制せよ。

もう、毎日利用しているのに、乗るたびに毎回思う、おなじこと。
韓国の、とくにソウルのバスは、
ソウルのせっかちさ(いわゆる”パルリパルリ(早く早く)文化”)の象徴ではないかと思う。

まず、乗るときに、バス停の「乗り場」でぼーっと待っていてはいけない。
大きめの停留所なら、道路の真ん中の長いバス停にひっきりなしにいろんな番号のバスが着いて、2,3台はいつも連なっている。
後ろの方のバスは、バス停のおしりの方に着いた瞬間ドアを開けるので、乗る人はダッシュで目当てのバスまで乗りにいかねばならない。
最初は、なんで人々がバス停の後ろのほうに走っていくのかわからず、先頭で待っていたら、目の前でぴゅーっとバスが行ってしまうこともしばしばあった。

乗ったら乗ったで、ドアが閉まるか閉まらぬかの内に発車するので、
もたもたとTカード(交通カード)を取り出していてはいけない。
大体、最近はカードを携帯カバーにしこんでいる人が多いので、いつでもどこでも手に持っている携帯でピッとやって、そのまま乗り込みながら携帯で話しはじめる。よくある光景。

降りるときには、
降りる一つ前の停留所をすぎた瞬間、降りますボタンを押している。「次は〜●●前です」というアナウンスが入るより前に必ず押す。
そして停車するずっと前に席を立つ。そうとう荒っぽい運転の中、よたよたしながら降車口付近に立つのである。降車口でTカードをピッとかざすのもがんがん走行中に済ませる。
でないと、降りるのが間に合わない(ような気にさせられる)からだ。
バスは、停留所が目の前に迫るまで速度を落とさない。そしてああっ、通りすぎてしまう!もしくは前のバスにぶつかる!と思う直前に、キキーっと急停車する。チキンレースのように。
そして完全に停車する直前に降車口が開くので、乗客たちはもうそのブレーキの勢いで転がり落ちますよ、といった感じで降りる。
なので、停車してから席を立ち、カードを出して、ピッとやって、降りる。などという行動が間に合わないのだ。

このバスの荒さとせっかちさはどうも好きじゃないのだが。
バスは、路線がわかればソウルのどこへでも便利に行けるので、市内の欠かせない足となる。
それで、乗りこなしているうちに何だかこの乗り方が染みついてしまったらしい。

先月、日本に行った際に久々にバスに乗ったら、発車のなめらかさ、停車のゆっくりさ、きちんと止まってから降りるゆとりにちょっと感動した。
しかし一緒に乗っていた妹に笑われた。
「ちょっと、構えすぎ構えすぎ。」
無意識に、わたしは降りるバス停のだいぶ前から、カードをにぎりしめ、荷物を肩にかけ中腰になって、スタンバイオッケーの姿勢になっていたらしい。
習慣ってこわい。

とにかく、
ソウルを制すにはバスを制せよ。
そして、揺れるバスの中で足腰を鍛えよ。






2014/10/11

コーヒーの味。

同じ職場の職員さんが、
「日本のコーヒーはまずい。」
と言ったので、のけぞってしまった。

悪いけど、韓国のコーヒーはなんでこんなに美味しくないんだろう。と、常々苦々しく思っていたから。
最近でこそ、ハンドドリップやら自家焙煎やら自前の美味しいコーヒーを追求するカフェも増えたけれど。(ただし高い。わたしの普段の昼食代よりはるかに高い。)

その職員さんが日本で飲んだコーヒーは、ド●ールコーヒーだったそうで。
そりゃまあ、ド●ールはとっても美味しいコーヒーじゃないけど、価格対比、許される味だと私は思っている。
って主張してみたが、彼女は「いいえ、まずいまずい。韓国の方がマシ。」と譲らなかった。なんとなく、腑に落ちず。

別の機会に、「去年日本に初めて行きました」という職員は、
「日本で感動したのは、とんかつとコーヒーがうまかったことっす!」と。
見るからに「僕とんかつ大好物っす!」って感じの体格の男性だったが、
彼がうまかったと言ったコーヒーもまた、ド●ールだったらしい。
えー、でも韓国のコーヒーの方が良いと言う人もいますよ、と意地悪く言ってみたら、
「それはないっす。日本ではどこへ行ってもコーヒーがすごい安いのにうまかったです!」

彼は日本で「美味しい食べもの」と「親切な店員さん」に出会って、日本に対するイメージがすこぶる良かった。日本で見聞きしたことを話すとき、楽しそうだった。

彼女(職員さん1)は、日本の食べものが「美味しくなかった」と言っていた。
日本語も好きじゃない。日本のコーヒーも好きじゃない。
と、いうか、日本に対してそもそも良いイメージを持っていなかった。

クニに対するイメージがまず全部を覆って、食べ物とか言葉とか人とか個々の部分に対する好みを色づけてしまうのか。
それとも、食べ物、ドラマ、音楽、コスメ…それら個々の好き嫌いが強く反映されて、クニに対するイメージがつくのだろうか。


まあ、コーヒーの味はそもそも単なる好みの問題かもしれないけれど。

職員さん1は、感動的に美味しいコーヒーを日本で飲んでいたら、日本に対するイメージが変わっただろうか。
もしくは、日本に対して少し良いイメージを持てていたら、ド●ールのコーヒーはまた違った味わいだったろうか。

そんなことを、
日本で馴染みの喫茶店「蜜蜂」に5年ぶりくらいに訪れ、コーヒーをすすりながら、思った。







2014/10/06

そんな10月のはじまり。

10月最初の三連休。
みごとに、なにごともなく過ぎにけり。

連休初日にちょっとしたことをやらかしてしまい、ちょっと身体の調子をくずした。
外に出られない…を言い訳に、ずぶずぶと半径500メートル生活に突入。

あーあ インターネットとパソコンがある生活って
本当に時間をむしばむよなあ
などと考えながら、やらねばならない課題がぐずぐずと終わらず、三日間ひっぱる。

このかん、目に見える成果物といえば

・手書きのカレンダーをつくった。(2ヶ月分のみ)

・なぜかとつぜんキャンドルをつくった。

なんなんだ、そりゃ。

それなのにこの三日間、みごとにピーカンの秋晴れ。
あまりに空が青いので部屋にいるのが切なくなって、ちょっと買い物に出てみた。

バスに乗ると、
後ろの方の座席がなんと全員、登山ルックの中年の方々で埋まっていた。
そしてほぼ一人も余すことなく、爆睡。
壮観ですらある。
そうかー、山登りにはベストな休日だったんだよね…。私は登山用のシューズを買ったまま、一度も靴に山の土を踏ませていません。

そうだ、衣替えだ。洋服を買おう。
と思ってデパートに入ったが、ぐるぐるぐるぐる回って一枚も買えずに終わる。
なんで買おうとするときに買いたいものはなく、買いたいものがあるときカネがないのだろう。損する人生の法則。

ほどよく疲れて帰ってくる頃には夜のとばりが降り。
…まあ、こんな日(×3)があってもいいよね、ある意味充実だよね。と自分を慰める。

10月からはがんばろー!と5日前には思ったのに、出だしはまたこんな感じか。