2013/02/25

オリエン。

金曜日、いよいよオリエンテーション。

そもそも、この大学院についても専攻についても授業についても、事前情報がとても少なかったので(と、わたしは思っていた)、
やっとこれでこの1年〜1年半の全貌が明らかになる!
と、心秘かにオリエンを楽しみにしていた。

MAINSでは何を学ぶの?という問いに対しては、
「アジアそして世界のダイナミックな変革に関わる人材の育成」と、
「社会変革、NGOそして市民社会に関する勉強と体験」を目的としており、
主な授業は、
「アジアのNGOについて」「民主主義と開発、市民社会」「重要な平和学習」「社会問題と社会運動」「NGOマネージメント」「人権の理論と実践」「韓国の民主化と社会変革」「世界的フェミニズム問題」……などなど。

と、何回も読んだ「概要書」のごりごりっとした内容は頭に入れたんだけど、どーもしっくり来ない。
概要(点)と詳細(線)を結んで自分なりにイメージを描けないと、いつまでも飲み込めないタチだ。
ともかく始まればわかるんだろう!…うん。

1時半からのオリエンテーションの教室に早めに行ってみたらば、ロの字に囲まれたテーブルと10席ほどの席。
そして、担当スタッフが…盛りだくさんのパンとジュースをせっせと配っている。
やがて、温和なお顔の教授が前の席についた。この方が、これから1年お世話になる担当教授のProf.CHO。
チョ先生のほとんど訛のない聞きやすい英語で、和やかなあいさつが始まる。
「ささ、みんな気を楽に。パンでも食べながら進めようじゃないか」
…そういうもんなのだろうか。遠慮なくパンをもぐもぐしながら、座談会のような雰囲気のオリエンが始まった。

クラスメイトはタイ、ベトナム、インドネシア、モンゴル、パキスタン、インド、バングラデシュ、ビルマ、韓国、日本からの11人。8人が女性で3人が男性。
(残念ながらインド、ビルマ、バングラデシュからの生徒はオリエンには間に合わず後からの参加となる)
ほとんどがそれぞれの国のNGOで働いていた経験者だ。
そのため思ったよりも年齢が上で、恐らく全員30代以上だ。ほっ。いや、別にそれで安心したわけじゃないが…。
まだまだ、自己紹介と日常生活上の会話しかしていないけど、これからどんな話が飛び出てくるのだろう。みんななかなか個性の強そうなツラ構え…いや、お顔だち。
たのしみだ。

オリエンの後、この春当S大学を卒業したばかりでMAINSに参加する韓国人学生のロイ君が、校内を案内してくれた。
非常にこぢんまりとした大学だが、まずは図書館がきれいで充実しているのが嬉しいのと、あちこちに自習室があるので良い環境だと思う。
学校の裏には小さな山があって、よく気晴らしには裏山に散歩にいくらしい。
そして、大学周辺に遊ぶようなところは、なんにもない。みごとにない。
大学生の頃なら物足りなく思っただろうが、今では静かな環境が心地よい。


そんなわけで、オリエンは終始和やかに進み、あっという間に終わってしまった。
一番よくわかったことは、
「ともかく1年間くらい一生懸命勉強してみよ」
ということだ。

ところで、オリエン時に全員に配られた紙袋には、いろいろなグッズが入っていたのだが、


「ビタミンハンドクリーム」が入っていたのが、いまだに謎だ。




2013/02/24

そもそも。

そもそも、何で韓国留学なのにベトナムやタイやインドネシアの寮生が出てくるのかというと。
話は昨年の秋に遡る。

10月のある日、とある大学の知り合いの先生から電話があった。
「あのねー、前に話した韓国のS大学の大学院にアナタ推薦しようと思うんだけど、受けてみたら。とてもいい内容だから。でねー、悪いんだけど週明けにとりあえずの返事をもらえないかな」

え、ええ?!
ちょっと待って、前に話したっていっても何ヶ月も前だし、しかも飲みの席だったし、
大体なんの話だったかうろ覚えだし、なのに、週明けに返事だとう!
と、突っ込みどころが満載すぎて、テンションの上がっていたわたしは先生にとりあえず全部いっぺんに突っ込んだ。
が、話の中身はあまり変わらなかった。
後日、忙しい先生を捕まえて話を聞き、やっとわかったのが、
韓国のS大大学院に、アジア各国のNGOや活動機関で働いていた、あるいはこれから働きたい人を鼓舞し、より活発なアクティビストに育てるための「アジアNGO学」という専攻がある。ここに入る学生はほぼ全員アジア各国からの留学生で、学費は100%奨学金がおりる、という夢のような話だった。

夢のような話だ。だけどそりゃ迷った。
いまの仕事がある。日本での生活もある。恋人と愛猫もいる。年齢も年齢だ。すべてを置いていけるのか、わたし! …ところが。
「ま、大学院といっても授業は1年だけどね」
と言われ、なんだか一人盛り上がっていた決意のハードルがカクンと下がる。

とはいえ、これはおっきなチャンスだ。
ずっとずっと胸の中に溜まっていた問題、解けていない宿題を、
じっくり考えて解く時間をあげるよ、と神様か誰かさまが言ってくれたのだ。

「行かせていただきたいです」
と返事してから、また一曲二曲の紆余曲折があったが、それはさておき。

留学かー…
考えもしていなかった突然の展開に、少しふわふわっとなりつつも、
頭のイタい大問題があった。それは、英語。
留学生ばかりの授業と、寮をともにする日常生活は、英語なのだった。

韓国語だったらなんぼかマシだけど、それでも大学院の授業を聞くのは大変だろうに。
ここへきて、とうとうわたしの前に立ちはだかるのか、英語よ。
推薦してくださった先生に「先生、わたし英語があまりできません」と控えめに言ってみたけれど、
「大丈夫大丈夫、世界を飛び回る団体で活動してた人が、英語できないわけないでしょー」
と。…はは、そう思いますよね。こりゃお恥ずかしい限りで…。

そういうわけで、なんだかんだあって(省略)アッという間に時はすぎ、
いま、ここソウル市の端っこに位置するS大学の寮にいるわけだ。

思いがけない展開の最中に、テンパる私に推薦者である先生がかけてくれた言葉は、

「人生、思いがけないものですよ。ハハハ」。

ちなみに、その先生はアクティビストな韓国人である。


2013/02/23

女子トークと韓国ブランド。

ルームメイトのゴンちゃん(ベトナム)とジェイ(タイ)と、最初の挨拶のあとで一番盛り上がった会話。

「ねえ、えちゅーりーって知ってる?」とジェイがわたしに声をかける。
?? なんの単語だろう、それ。
「スキンフードは?」
あー!Skin FoodとETUDEね。韓国コスメのことか。
タイでは、Skin FoodやETUDEが女の子に大人気で、輸入ものだからとても高いそうだ。
ジェイはここでどちらかのコスメを欲しいらしい。ところが。
「Skin Foodは良くないらしいよ」と横からゴンちゃん。
「韓国の友達が言ってたけど、Skin Foodは韓国ではあんまり人気ないって」
「えー、そうなの?!」
「Nature Republicがいいらしいよ」
「そうなの?あなたは何を使ってる?」
「私はNature Republicのは1つだけ持ってるんだけど…」

その会話の流れを、なんだか感慨深く眺めた。
最初の、ぎこちない英語での自己紹介的会話の壁を一気に砕いたぞ、コスメの話題!

後日、ショッピングセンターに行ったときも、
化粧品を選ぶジェイの真剣な目ときたらなかった。
あんな目で授業中討論をふっかけられたら完全に負けてしまうだろう。
かたや、ゴンちゃんはコスメにはそれほど執着はないようだが、
毎晩ベッドにノートPCを持ち込んで、韓国ポップスかドラマのDVDを見続けている。
どうりで、韓国語が流暢&韓国情報通になるわけだ。

その後、寮の隣りの部屋にインドネシアからのダダ(ニックネーム)がやってきた。
体は小柄だが、口も笑い声もでっかい、いかにも活動的な元気はつらつ40代女性のダダ。
ダダとジェイを連れて、日用品を揃えるために再びショッピングセンターへ。

大型ショッピングセンターで、ダダは目を輝かせてわくわくキョロキョロしている。
「韓国製品がたくさんね。インドネシアも韓国製品がたくさんよ!」
そうなんだー…。例えばどんなものが?
「なんでも。電化製品、ファッション、コスメ、ドラマ、ポップス、オール フロム コリア!」

韓国は製品だけでなく、ポップカルチャーを国策としてアジアに輸出している。というか、製品の輸出増強のためにポップカルチャーを輸出している。
…というのはどなたか解説者がテレビで論じていたことだが、
その善し悪しや戦略は、これからもうちょっと勉強しなきゃならない課題。
アジアを、韓流ブームは完全に席巻している。日本でだけじゃないことは百も承知だったけれど、改めてその量と範囲は想像以上だったかも。

「韓国は好き?」とダダに聞いてみた。あえて、韓国のものは、とはせずに。

「Yes! We like!」とダダは屈託なく答えた。
韓国ポップスの鼻歌まじりで。

うーん……。
なにか複雑な気持ちは拭えない。いや、韓流、いいんだけどね。
文化の人気ではなくポップカルチャーの人気と言うのは、商業ベースの「文化」だけの流出だから。新しいものも軽いものも、悪いわけじゃないんだけど、表面だけが急流に乗ってだくだくと流れて行く。そこに国の面(おもて)を乗せて。
でも実際、韓国のことを好きなアジア人が増える。嫌いより好きな方がいい。
でもやっぱり、表面だけ好いてもたかが知れる。むしろ深い関わりを拒むことになっちゃうのではないか。
うんぬん。
何てことをためつすがめつ考えている。
そのとき、自分自身の立ち位置を、韓国に置いたり日本に置いたり、距離感をはかりかねていることに気づく。

ま、ぐちゃぐちゃ考える前にドラマの1本でも見通してみないとな。


2013/02/21

ルームメイト。

ルームメイトはベトナムからと、タイから来た女の子。
わたしよりも先に入室していたベトナムの子は、以前の働いていた団体で韓国人との関わりが深く、こっちに友達もたくさんいて、韓国語がびっくりするほどぺらぺらだった。
日本から来た私とベトナムから来た彼女の共通語が韓国語。ふしぎだ。
思った以上にスムーズに会話できちゃってホッとする。
ただ、どうしても彼女の名前が上手く発音できない。「ゴンちゃん」と呼ぶことにしよう。

タイから来た子は、…これまた名前がむずかしい。本人のすすめ通り「ジェイ」と呼ぶことにする。
ジェイは3人の中で一番英語が上手だ。しかし、ジェイの立場にたって改めて街中を眺めてみると、いかにハングル以外の表記が少ないか、わかる。
「ルームメイトの二人が韓国語を話せて私はラッキーだわ。」
と、一緒に買い物に出かけたときにジェイは笑って言った。
だが、街中は仕方ないとしても、留学生を受け入れる学校内はもうちっとくらい英語なりを同記してもいいんじゃないか、と思った。(英語でいいのか、という問題もあるが、それはちょっと置いといて)
それは、日本でもおんなじだけども。

今日は天気が良いが、街にはまだ雪の固まりがあちこちに残っている。
ゴンちゃんは何度も韓国に来た事があるらしいが、ジェイにとっては「はじめての雪」だそうだ。
最初ははしゃいで写真を撮るなどしていたが、
骨身に沁みるこの寒さは、あったかい国から来た二人にとっては大問題のようだ。

部屋にいても、ちょっとドアをあけると
「うううブルブルブル…さむさむさむ…」
とギャグのように縮こまっている。
来る前は気温30度だったというから、そりゃそうもなるわな。

わたしはといえば、確かに東京よりもソウルは寒さのランクが格上だが、まあ予想できる範囲だったから、服装も東京のときと大差ない。
二人に比べれば日本と韓国は本当に近い。私なんぞほぼ県をまたいでやってきた感じだ。
ちなみに時差もないし。

ベトナム、タイ、日本、韓国。
同じアジア、というけれど、どこまで近づけるのか。

…などと考えるヨユウもなく、寒風にあらがいながら、日用品の買い出しに出かけたのであった。

2013/02/20

寮生活。

ようやく大学に着いたのは夕方5時。
バスの中でずっと考えていたことがある。
わたしは今日の朝8時に、家を出た。「ソウルなんて近いよ、飛行機でたった2時間だもの」と、出発前にさんざん友人家族に言い回っていたのだが、実際のところ家を出てから9時間たっている。空移動以外の7時間は、一体なんなんだ。
やはり近くて遠い国。いろんな意味で。
その意味をもっと深く考えるのは、まだ後の話だ。

これから生活することになる寮は、大学の敷地内にある。
…っていうから、大学の敷地のはずれに寄宿舎棟があるのかと想像していたら、
逆で、通常の講義などを行う校舎の上部に、学生の寝泊まりする部屋を作ったらしかった。
わたしの行くコースの毎日の授業は、ほぼ毎日この棟で行われるという。
部屋を出て3分後には教室でノートを開けるということだ。

これは…
確実に運動不足になりそうな。
できるだけ、せめて階段を使うようにしようと秘かに決意を固める。他にがんばらねばならんことがいろいろあるだろうが。

寮の部屋は3人シェアルームである。
この年にしてシェアルームだ。まあ年齢は関係ないか。
ルームメイトは同じくアジアからの留学生で、ベトナム人とタイ人の女性だという。
あてがわれた部屋のドアをあける。思ったよりずっとキレイで明るい。さすがのオンドル(床暖房)のおかげで室内は暖かい。
そして、超シンプル。
ベッド、机、ロッカーが3つずつ。シャワーとトイレ。以上。
なんだか懐かしい。もともとスタッフとして乗っていた、世界一周する交流の船のキャビンを思い出した。もちろん、船のキャビンよりはこちらの方が広いけど。


しかし、ベッドはあるが寝具がない。
まずは「布団を買う」という課題を遂行し、韓国初日は暮れて行くのであった。




到着。

「今年の韓国の冬は例年より寒いぞ」
とさんざん脅されてきた韓国の仁川空港で、わたしは汗をかいていた。
空港に限らず、韓国の屋内は暖房が効きすぎる。
合計25キロの荷物をひっぱってふうふうと外に出ると、汗を吸ったヒートテックの下着が急激に冷えた。
今日から1年間、ここでの生活が始まる。
外国とは思えない、でも故郷とも思えない、となりの国。遠い親戚のおばさんみたいな存在の国。
なんともいえない、中途半端な気分で目的の駅に向かうバスに乗りこんだ。

エアポートバスではない市内バスにばかでかいトランクを持ち込むと、乗客に一斉に白い眼で見られた(ような気がした)。
「いくらですか」と聞くと運転手は「交通カードはないのか」と言う。いま海外から着いたのに持ってるわけないじゃないか。いや、空港についたらまず両替・ローミング・交通カード、が今や常識なのか?
1万ウォン札を出すと「釣りがないから1万ウォン札はだめだ」とむげに言う。…バスはもう走り出して、空港からだいぶ離れているというのに。
カードはないし釣りはないし、途方に暮れていたら、運転手は硬貨投入箱のボタンを連打してじゃらんじゃらんと500ウォン硬貨を出しはじめた。
まさかな、と思ったら「ほれ、お釣りだ」。7800円ウォン分の硬貨が手のひらいっぱいに盛られた。
しょっぱなから、そんな韓国の洗礼を受けたのだった。