2013/03/27

おせっかい親切。

散歩のつづき。
途中、ちょっと買い物に寄ったら、意外に大荷物になってしまい、
洗剤のボトルの入ったビニール袋を抱えて、えっちら帰り道を歩いていたら、
坂道で、通りすがりの奥さんに何か声をかけられた。

「あんた、ほれココに乗っけなさいよ!」
え?
奥さんは、自分の引いていた自転車のカゴとわたしの買い物袋を指差していた。

いえいえ大丈夫です…と思わず遠慮してしまうわたしにお構いなく、「いいから、重いの持って坂道は大変だから」と言って荷物を乗せさせる。
なんと…!
こういうご近所おせっかい的親切さに、心が震える。

ふだんは、
「韓国人は優しい、あったかい」という言い方に対してわたしは否定的だ。
そりゃ、優しい人も親切な人もいるだろうけど。韓国人は「韓国人であるがゆえ」に優しくてあったかい なんてあり得ないわけで、なんだかそれはちょうど「田舎の人はあったかい」という言い方に対して、一括りにしてくれるなよとちょっと反発しちゃう感情に似ている。

というのは、わたしのひねくれ部分であるのだけど、
この奥さんには、ガツンとやられた。

他にも、日常的に何気ない親切をいっぱい頂いている。
基本的には、みな親切なのだ。ただ、残念な思いをすることももちろんいっぱいあって、
何が違うのかな…と思い当たるところは、「人との距離感の近さ」の違いなのだ。
人との距離が近い人は、とくに親切とかではなく、当たり前に困っている人を助ける。自分自身にするのと同じく。
だからおせっかいにもなりがちなんだけど、今はおせっかいをありがたく頂いている。

ところで、親切な奥さんは、自転車に荷物を乗せて坂道を登りきるところまで引いて下さった。
何度か礼をいうわたしに、
「まあおたがいさま。主婦は大変よね〜」
…え、ええ。まあ。スミマセン、主婦じゃなくて、そこに大学の寮に住んでて…
「おや、せんせい?」
…ち、ちがうんです。あの、学生なんです。

「あら、学生? そのわりには…
 けっこう年いってるわね」

はい。
親切でおせっかいであり、正直な奥さんなのでした。




ガス抜きに。

地味な生活が続く。

日々、ほとんどの時間を自室の机で過ごしている。
朝起きて、机に座って、パソコンをつけて、下手するとご飯を食べる以外はずっと机の前に固まっていることもある。
何をしているかといえば勉強をしているわけなんだけど、我ながらなぜにこんなに時間がかかるのかわからない。
授業ごと、テキストを読んで分析またはケーススタディ、要約ノートなどのレポートを提出する。テキストの内容自体は基礎的なもので、それほど難しくない…んだと思う。たぶん。
とにかく、こんなに英語ができなかったのか私!とたまげるくらいに、テキストを読むのに時間がかかる。そして読解力の足りなさに泣きたくなる。
なんかきっと、勉強の仕方が間違っているのだわと思ってみたり、いやコツコツやるしかない、勉強に近道はないと教授もおっしゃっていたではないか、と励ましてみたり。
と、言いつつ、常につながっているSNSの誘惑に負け、ついついネットに寄り道。
そして思い出したようにストレッチ体操。
幸か不幸か、ルームメイトの二人も、その辺の気合いというか勉強筋肉のつき方が似たり寄ったりのレベルなので、
三人して「どこまで読んだ?」「何ページ書けた?」「読んだけどぜんぜんわかんない〜」「あと100ワード足りない…」とかまるで大学生な会話で慰めあい、それぞれ寄り道をやめられず、追い込みあっているという日々だ。

ガス抜きのために、散歩に出た。

寮のすぐ裏は、小さな山だ(おかげで部屋からの風景の写真を見た友人が「これはソウルではない」と主張しやがった)。
とりあえず山道を登ってずんずん歩いてみると、ひょこっと列車の線路道に出た。



恐らく廃線になっているのだろう。おじちゃんやらおばちゃんやらが、全く気にせずに線路の上をズンドコ歩いている。

ときどき、レールに腰掛けているおばちゃん達がいる。
大体が原色のスポーツウェアと、サンバイザーを着けている。散歩の途中なのか、仕事の帰りなのか(通勤路?)、憩の場所なのか、イマイチわからないが
線路に腰掛ける人のいる風景が、わたしはとても好きだ。
なぜだか、『旅の途中』という言葉が頭をよぎる。

線路の脇では、広大な公園を造っているらしい。
立ててあった現場地図から見るに、そうとうな面積の公園だ。現在、絶賛建設中。
…なのか?


いつ完成するつもりなのだろう。この日、動いて作業している人は5人しか見なかったけど。

白犬と茶色の犬が、きゃんきゃんとじゃれながら、線路のむこうへ走っていく。
どこまでも茶色い、土ぼこりの舞う光景が広がる。線路の先のずっと向こうに、高層マンションの林がかすんで見える。

ここはどこでもない、どこにでもある、アジアの片隅の風景だ。
線路はどこまでもつづくようだけど、線路は必ずどこかで終わる。
必ずどこかに目的地があり、必ずどこかにたどり着く。
たとえそれが、レールの途切れた何もない場所だったとしても。

などということをつらつら考えながら歩くが、
別にだからどうだというわけでもなく、なにかの教訓を得たわけでもなかった。

とりあえず、戻ったらまた開かねばならないテキストを頭から追いやり、
必ずたどり着くどこかに向かって、むりやりスキップしてみたのであった。




2013/03/09

「きれいな」英語。

「Banana」「ばなーな」「No, Banana」「バナーナ」「Good!」

…という某英会話会社のCMを、覚えている方はいるだろうか。
金髪の英語のティーチャーが、日本人の学生にBananaの発音を繰り返し教えているテレビCM。
いま思うと、本当にくだらないなあ。
くだらないと言うと反論もあろうが、少なくとも日本における英語観(というのも変な言葉だけど)を顕著に表していたと思う。

アメリカ英語、またはイギリス英語が「正しい英語」で、英語を学ぶのは「正しい英語」を身につけること。
すなわちアメリカ英語、イギリス英語でない英語の発音・言葉遣いは正しくないので、直さなくちゃならない。
日本人は英語の発音が悪いので、直るまでは使うのが恥ずかしい。英語がある程度わかっても、発音がうまくできないと「私は英語が喋れる」とは言えない。

ってところでしょうか。

今、私のいるMAINSのクラスで使われている英語は完全にアジアン英語だ。
とてもひとつの言語とは思えないほど、バラエティ豊かだ。

例えば、インドネシアのダダが喋る英語は、Rを全部発音する。
「ティチャールアンダルスタンドゥヨルワルルドゥ」は、
Teacher understands your word. のことだ。ということが分かるまで、しばらくかかった。

一方、タイのジェイは、強めの子音がやわらかく消えてしまう発音だ。
「ポーギャーム」
は、Programのことだということに、何度も何度も聞いてやっと気づいた。

さらに、パキスタンのマイクの発音は…なんと言えばよいのだろうか、
口を「イー」という形にしたまま、舌を巻きながら英語を喋ってみると、近い感じになる。(むずかしい!)

ちなみに、韓国の英語はFを「パピプペポ」で発音することが多いので
staffは「ステプ」、coffeは「コピー」(しょっちゅう「複写」と間違えた)、performanceは「パポーモンス」になる。

ここにさらにモンゴル英語、ベトナム英語、ビルマ英語、バングラデシュ英語…が入り乱れるのだ。
この文頭にああ言っておいてナンだけど、英国仕込みのチョ教授のクイーンズ・イングリッシュが聞きやすいったらなかった…。

正直、最初はいらだった。いらだつのはお門違いなのは分かっているが、タダでさえ英語がプレッシャーになっている私だ。「何言ってるのかわかんないよー!」と、理不尽ないらだちに苛まれた。
「もっと『きれいな英語』で喋ってくれたらいいのに」
と、口にはしていないけど、そんなつぶやきが胸に湧いて、あれっと思った。
きれいな英語って、何?
自分にとって耳馴染みのある英語は聞きやすい英語であって、それが、必ずしも他の人の耳にとっては耳に馴染んでいるわけじゃない。どれが、きれいな英語なのか。
(もちろん、音楽的な音としてきれいと感じるかどうかはあると思うが、それは感性の問題だとみる)

そもそも何でアジア各国から集まって共通語が英語なんだよ、という「そもそも」論はいつも心にひっかかるが、今となっては「しゃーなしやで」という感じで、ここでもみんな英語を使う。
その分、英語はあくまでも伝える道具だ。
その目的において、みんな実にぞんざいに、自由に、英語を(ある意味)「使い切る」。
アール(R)であろうとエプ(F)であろうと、過去現在未来形がごっちゃであろうと、とにかく自分の持っている語彙を最大限使って、伝える。
聞く側は最大限の想像力を駆使して、噛んで呑みこむ。
(まあ、もちろん会話やディスカッションに関しては、だけど。論文はそうはいかない)

不思議なもので、慣れてくるとキャッチできるようになるものだ。
なので、新しい学生課担当者が、われわれの強い英語にしばし「?」となっていたときに、クラスみんなして「いまのは○○って言ったの!」とリピートしてあげていた。
あ、やっぱみんな慣れてきたから分かるのね。そして慣れない人には分かんないものなのね。と思った。

残るは、わたし自身の基礎的な英語力の問題だ…。これは、思ったよりも…ひどいぞ。




2013/03/05

日々ごはん。

食べるということは、とても大事だ。
食べることは、生活をデザインすることの一つだ、と思う。
食べることが空腹を満たすだけの作業になると、生活は少し、彩りがあせる。

ソウル到着初日。大学まであと20分ほどの道の途中で
空腹に堪えかねて、さいしょに口にしたのは屋台のトッポッキ。

片手でスーツケースを押さえ、片手で楊枝をつまんでハフハフ食べた。

生活がはじまって暫くは、3日連続同じお店で食事をとった。
いわゆる「運転手食堂(キサシッタン)」と呼ばれる、安くて量があって味もそこそこ、という食堂。

スンドゥブチゲ。

いくら安い食堂でも、毎日外食はいろいろ辛い(つらい、とも言えるし、からいとも言える)ので、
最近は自炊が多い。
みんな寮生活に慣れてきたからだ。
慣れると、節約モードに入れる。節約モードに入ると、いろいろ工夫するようになる。

韓国ツウであるゴンちゃん(ベトナム)が市場で買ってきてくれた韓国総菜と、
ジェイ(タイ)が提供してくれたドライポークミートが、ご飯にあう。
つつましいけど美味しく、ヘルシー。
やっぱりメインは辛(から)いけど。

ある日、ゴンちゃんがいただいてきた、
友人のオモニお手製のキムパプ(のり巻)で充実のランチ。
うま!
特にこの、色とりどりの野菜をクレープみたいなので包んで食べるもの、美味!

そしてその日の夕食は、みんなでおかずを持ち寄る。
太刀魚のキムチ煮、貝や肉に卵をつけて焼くジョン、切り干し大根のキムチ、ナムル、
真ん中のは、ビルマからの寮生が差し入れてくれた干しえびとガーリックの甘辛和え。

おお、
なぜかだんだんおかずがグレードアップしている。
(ゴンちゃんが作った太刀魚煮以外は、市場で買ってきた総菜だけれども)

わたしにとっては、馴染みのあるおかずばかりだけど、
アジア各地からのみんなは、どうなんだろう。
今は物珍しくておいしいけど、自分の国の食事が恋しくなるだろうな、いつか。

むかーし読んだ小説で、
在日コリアンの女の子が韓国に留学している間、
その子は徐々に、どうしても辛いものを受けつけられなくなり、食事が苦痛になって、
日本にいたときよりも自分のアイデンティティに苦しむようになった、という場面をふいに思い出した。

わたしが韓国料理を好んで食べられるようになったのは、昔からではなく、
ある程度以上に「オトナになってから」だ。
これが20代はじめだったら、唐辛子の入っていないもの、にんにくの味がしないものを、
焦がれて探したかもしれない。

ともあれ、
みんなで囲む和やかな食卓。

ちょっと神妙なようすにも見えますけど…。

ある意味、ASEANな食卓。

2013/03/04

新学期。

3月最初の月曜である本日から、
実際のところ、大学は新学期を迎えるのだった。
私たちの授業はもう始まっていたので、大学はスタートしている感でいたけど。

午前中は寮にこもっており、午後3時の授業前に、売店に用事があったので外に出た。

すると、そこには「大学の風景」が広がっていた。


わー……
な、なんだろう。この戸惑いは。
自分の部屋から一歩出たらそこは大学だった、みたいな。
(実際、寮は大学敷地内にあるのだからその通りなんだけど)


新歓机出しみたいなのも、ちらほらやってるし!

大学卒業から早15年。この間、もちろん一般の大学に足を踏み入れることは度々あったけれど、自分がこういう場所に「学生として」いるというのが、なんともむずがゆい。

まてよ…、卒業から15年、ってことは、わたしが大学入学した年に生まれた子が、
いま新入生としてここにいるかもしれないってことか?

などというくだらない計算を頭の中でぐるぐるとしながら、
きゃいきゃい騒いでいる彼らの脇をすり抜ける。

今日はまたずいぶんと暖かい。
閑散としていたキャンパスに学生の姿が入り、ヒーターのスイッチが入ったようにこの空間が暖まっている のかもしれない。

なんつって、
裏起毛タイツなんか履いている場合じゃないぜ!
(※裏起毛タイツはすんごくあったかくてこの冬手放せなかった必須アイテム。その代わり足がぶっとく見えるのを堪えなければならない)

いったん部屋に戻り、タイツを脱ぎ捨て、すこーし薄手のタイツに着替え、
きもち、リップを塗って授業に挑むのであった。
春ですから。

夜はまだまだ冷えこんで、溶け残る雪もぽつぽつあるけれど、


よーく見ると… 春のきざしを発見。




2013/03/01

クリティカルに。

火曜日の授業、Critical Peace Studiesは、18時半から21時まで。
最初の授業では、食事をとって行ったらねむねむ病に冒されてしまうんじゃないかと心配になり、マグに珈琲を注いで持って行った。
(結果的には、眠くなるヒマなどないエキサイティングな授業だった)

担当のProf.F.Leeは、いろいろな活動団体や機関で活躍中で、自らを元々教授ではなく市民運動出身者だと自己紹介。
「プロフェッサーとかサーとか呼ばないでほしい」とおっしゃるので、ここではフランシス先生と呼ぶことにする。

まず最初に、フランシスは言う。
「ただのPeace Studiesではなく、君たちはあえてCritical Peace Studiesを学ぶ。これはとても重要な概念だ」

正直いって、
わたしは事前にもらったプリントを読んでも、Criticalの意味がずっとわからなかった。
でもここで「せんせー、クリティカルって何ですかー?」と聞くのははばかられる。さすがに。
そこで。
「フランシス、質問があります」
「どうぞ」
「ここではCriticalとはどういう意味合いで言われるのですか?場合によっては、ネガティブな意味に聞こえることもあります」
「OK、いい質問だ。
 誰か、この質問に対する意見は?」

おお!
なんかけっこう、それっぽいではないか。
白熱教室のような展開になりそうじゃないか!
(大学授業から久しく離れているから、こういうのが新鮮で嬉しい)


ここでいうクリティカルとは、
「多角的な視点で」「別の意見を持って」「裏返したり表に返したりして」「深く掘り下げて」考えるということだった。
誰かの意見が必ず正しいわけじゃない。正しい意見が一つとは限らない。
教授の言っていることが正しいとは限らない。
そこに、いつも疑問を持ちながら、ある意味で批判的に、自分の意見を持ち、ちゃんと表現すること。この授業では意識的にその姿勢をもって進めよう、という。

やっぱりなーと思ったのが、たった8人のクラスでもすでに、得手不得手の傾向が見えること。
タイ、ベトナム、日本、韓国のざっくり東アジアな生徒たちは、目上の人に意見したり、自分の意見を積極的に言うのがちょっと苦手で、おとなしくなってしまう。
インドネシア、パキスタン、モンゴルの生徒たちがクラスを若干リード気味。

ちょっと授業から離れて、日常生活でのクリティカルな考え方、発言、態度、について考えてみる。
”それはちょっと違うんじゃないの”とか”私はこう思うのに”と思うことは大小さまざまある。政治に対して、社会問題に対してから、タオルの使いかたひとつに至るまで。
そこにひとつひとつクリティカルな意見を発していく習わしは、日本ではほとんどない。
重んずるは協調。相対するは同調すること。日本で友達同士、よく使うことばは「私もそう思う〜」「いいよいいよ、気にしないで」だ。他に違わず、わたしも。

めんどくさくなってしまうのだ。
ひとつひとつの事柄に自分の意見を「発して」いくのはもちろんのこと、自分はどう思うかをいちいち「考える」ことだけだって、相当エネルギーを使うのだ。
だから受け流すことに慣れていく。耳に入るニュースに、賛成でも反対でもなくただ聞き入れることに。タオルの使い方に違和感を感じても、わざわざ取り立てず受け入れることに。
今までの自分を取り巻いていたのはそういうぬるめの空気。まあ良くも悪くもだけど。

授業では受け流すことを良しとされない。授業だけのことだと思ってやり過ごしたら、なかなか発想もことばも出てこない。
だから、日常生活でもクリティカルシンキングを鍛えなければならぬ。
そう思って意識してみると、ふだん受け流してることが多すぎると気づいてイヤんなっちゃう。わからなくても曖昧に笑ってしまうクセ。ちょっと違うと思っても「そうね」と言ってしまうクセ。

ま、ぼちぼち向き合っていきましょう