2014/03/25

ゆびきりげんまん。

信号待ちの交差点で。
まだ舌足らずだけど一生懸命おしゃべりしている2歳くらいの男の子と、母親。

"나 이제 안아달라고 말하지 않을거야~"
「ぼくもうだっこしてって言わないよー。」

"그래? 약속이야"
「そう? はい、約束ね。」
小指を出したお母さん。
男の子が小さい小指を絡める。

さらにお母さん。
"그래~ 도장~"
「はい、印鑑。」
親指と親指をくっつけあう。

"그래~ 복사~"
「はい、コピー。」
…こ、コピー?

手のひらと手のひらをぺたんとくっつけあう。

ゆびきりげんまんも進化したものだ。
そう、親子の仲でも契約事は入念に。
「もうだっこしてって言わない」という約束に、印鑑を押しコピーまで取られた男の子よ。
大変な契約をしてしまったと後悔しないことを、祈る。



2014/03/24

花咲くハンメ。

地下鉄の車両のはじっこは大抵三人掛けの優先席なのだが、
おばあちゃまが三人並んで座っているとこんな光景をよく見かける。

・ヘアスタイルは9割が短いちりちりパーマ。

・基本、洋服はカラフル。濃いピンク、紫、てかてかの緑、赤などがお好み。

・途切れることなくしゃべっている。

・会話に一回は教会の話が出てくる。

・それは信仰の話よりも町内会的な話である。

・一人が立っていると「アイゴー、荷物をこっちによこしなさい」「アイゴー、重くないからいいんだよ」と、荷物の争奪戦が始まる。

・どこに住んでいるか/その前はどこに住んでいたか/その辺りは親戚とか息子家族が住んでいた、という話が一度は出る。

・最初から最後まで親しくしゃべっているが、実はたまたま隣りあった知らない人同士。


おばあちゃんたち特有のイントネーションは、出身地のことばなのか、一定の年齢を過ぎたらこういう口調になるのか、それとも時代の移り変わりによるものなのか、わからないけど、その呪文のような淀みのなさが私は好きで、会話に聞き惚れてしまう。
なので、つい盗み聞きしちゃうんだけど許してください。

2014/03/21

ストレンジャー。

去年からここに暮らしてみて、日々韓国のまちや人や生活を、何となくロードムービーでも見るように眺めていることがある。
いや、ロードムービーを撮るように眺めているという方が近いかもしれない。韓国に住んでいる自分という登場人物も含めて。

いま国籍とか国民とか市民権をテーマに論文を書いているので、どうしたって在日コリアンというものを日々ねちねちと考えざるを得ないのだけど、
小難しいことはちょっと置いとくとして、
ただ単純に「違うなあ」と感じる小さい出来事を、わたしはむしろ大事に拾っていこうとしている。トーキョーに生まれ育った朝鮮人である自分が、ソウルで生活しながら、日常レベルで感じる「違い」。
ここに「同じ」を見つけていくのも良いことなのかもしれないけれど、「違い」がみつかる感覚のほうが個人的には面白いと思っている。

外国人じゃないけど
ストレンジャーだから。

そのことについて、傷ついたり神経質になるのではなく、そのまま等身大でどう捉えようか、というのを自分なりにつらつらと考えている。

もちろん「違い」があることでもどかしいことも悔しい思いをすることもまだあるけれど、違いは違いであって「差」ではないから、縮めていこうとは思わない。
(社会的なとか政治的な次元ではまた問題が違うけど、ここではあくまで自分個人的な感覚のはなし。)
生活になじんでいってもっと韓国的になろうとも思わないし、違いを手放さずに日本性を際立たせようとも思っていない。
ただ、この「違うなあ」って感覚は、慣れとともに消えていく、というか鈍くなるものもあるだろうから、今のうちに些細なことでちょっとびっくりしたり、感心したり、呆れたりしたことをしっかり拾っておくのは、大切な気がする。

で、違うものの正体をなるべくくっきりさせておくために、「韓国」とか「日本」とかいう国のくくりで主語を言わないようにしている。
まあ、ときどき面倒になってつい「韓国ってのはさー…」とまとめてしまうけど。(つまり、韓国が、とか、日本が、という言い方をするのは面倒臭がりの発想なのだ)

ソウルのまちの風景に溶けて暮らしながら、日々「似て非なり」とか「近いけど微妙」とか「シュールに違う」とかの感覚を、自分の中に見出している。
そう意識することで、自分の立ち位置を確認しているようにも思う。



2014/03/19

食堂ライフ。

まだ、キッチンの調理道具がちゃんと揃っていなくて、やむを得ず外食がちになる。
さいわい、家のまわりに安い食堂がたくさんあるので困らない。
おひとりメシの好きなわたしとしてはね。

あるときふらっと入った食堂が意外とイケてた。たぶんチェーン店だと思うのだけど。スンデがメインの。
3回通ったら、さすがに顔を覚えられてしまった。

何がイケてるのかというと、おかずに出される青ししとうが美味しいのだ。
なぜか、他の食堂よりも。
ビタミン不足が気になるお年頃なので嬉しい。あとぶっといカクテキも好みの味だ。
生のニラも、微妙に香ばしい…なんだろう、ごま油と少々の砂糖かな?で和えてあるだけなんだけど、妙においしい。


これ、まだメインがきていない状態なのだけど、
これだけでわたし十分満足です。

ししとうをボリボリ齧っていたら、メインがでてきた。マンドゥグッ(饅頭スープ)。


これを出してくれながら、お店のおばちゃんが、
「マンドゥグッには本当はライスがつかないんだけど、サービスしといたわ」と。

え。
嬉しいですけど、なぜ?
そんなにようさん喰らうように見えましたか。
やっぱあれか、前回も前々回も米粒ひとつ残さず平らげたせいか。

ありがたく頂戴しましたが、腹ぱんぱんだよ。

これで5000ウォン(500円)也。ビバ!清貧生活。





2014/03/15

未熟な韓国語。

韓国語がなかなか上手くなりません。

まあ、「上手に」とか「きれいに」言葉をしゃべるというのが、そもそも疑問。
ということを以前このブログに書いたものの。
→ 「きれいな」英語。

これまで自分が知っていて、使っていた朝鮮語は、
語彙が少ない上に、単語の使い方がぜんぜん違ったり、イントネーションが日本語訛り(というか在日訛り)なので、韓国で使われている韓国語、もっと言えばソウル語、に馴染むのに案外苦労する。

リスニングは、大体9割5分は理解できるようになっている。
ときどき分からないのは、固有のことばや、生活会話に染みついている独特な言い回しとか、俗語・流行語、あとオヤジなギャグ(笑いがずれて気まずいことしばしば)。

韓国語ネイティブの人たちが、わーっと喋っている中にいると、
 みんな、流暢に喋るなあ
 あ、そういう言い方があるのだなあ
と、秘かに感心しながら聞いていたりする。

근사하다(格好いい)、대박(すっごい)、깔끔한(さっぱりした)、굳이(あえて)、알아서 한다(自分でやる)
なんていう、何でもない言い回しも、実は最近覚えた。

リスニングに比べて、トーキングの方が難しい。やっぱり一番は語彙力の問題。
日常会話って、いかにさまざまな表現を駆使して、同じ意味でも違った言い表し方をしているのか。言葉に慣れてしまうと気がつかない。
タクシーを降りるとき、「ここで停めてください」「ここで降ります」「ここでいいです」「あ、この辺で」…どれも自然に使うけど、翻訳すれば全部違う単語を使うことになる。
単語の持ちカードが少ないと、応用が効かない。何気ないことなのにうまい言い表し方ができなくて、もどかしい思いをする。

また、喋り言葉の問題はイントネーション。
別にソウル言葉をぴったり真似しなきゃいけないわけじゃないし、訛っていても通じればいいんだけど。
でも、お店で、銀行で、タクシーで、役所で。二言しゃべれば、ネイティブ言語じゃないと知られる。
そのたびに「あ、外国の人ね」と言われ、何とも苦い思いをする。
その瞬間のザワザワした気分と、「言葉がうまくできなくて恥ずかしい」と感じてしまう自分が、たまらなく嫌なのだ。そんな風に自分自身がとらえる必要はまったくないのは百も承知なんだけど。

まあ、言葉はたぶん、程なく慣れていくもの。
きっと1年もすれば、今よりずっと「流暢な」韓国語を使っているだろう。

ただ、こんなふうにまだ少し不慣れがあって、つっかかりがあるときこそ、
見えてくる言葉の面白さだとか、新鮮さみたいなのが、ある。
慣れと引き換えに失ってしまう、新鮮な言葉のひびきを、まあ今のうちに噛みしめておこうと思ってこれを書いた。



2014/03/09

声が大きい。

韓国に住む、韓国語で話す人たちは、
どうしてあんなに声が大きいのか。

カフェで、食堂で、電車で、
そんな大きい声で会話全部を披露してくれなくてよかろう!としょっちゅう思う。
とくにおじさん。おばさん。おじーちゃん。たまにおばーちゃん。あと、若い子たち。あ、ほぼ全部だ…

今日は定食屋でスンデクッ定食を食べていたら、うしろの方の席のおじさんたちの会話がボリューム全開だった。

おっさん1「オレぁ嫌だね。ぜったいオレはアイツとは一緒にできない。奴がどう思ってるか知らねえがオレは奴が嫌いなんだよ」
おっさん2「……。」(何か言ったらしいが聞き取れない)
おっさん1「嫌だったら嫌だよ、オリャぜったい行かねえよっ」
おっさん3「だからオレも一緒に行くってばよお」
おっさん1「なんだい。そんならいいさ、問題ないよっ」

…この会話をほぼ怒鳴りあいレベルでやってる。
どういう状況なんだかよくわからないが、ともかく大した問題ではなく丸く収まってるらしい。
が、なぜか最後まで絶叫のおっさんたち。
恐らく、通常の会話のボリュームレベルが高いのでしょう。
振り返って顔を見ると、声のトーンと裏腹に、案外おだやかな表情で話していたりしてるのでなんだか不思議だ。

外国人の友人たちは、「韓国語の会話はケンカしてるみたい」とよく言っていた。

8割はケンカじゃなくふつうの会話で、2割はけっこう本当にケンカ腰です。個人的概算。

屋台ファーストフード。

どんなにスタバやマクドナルドや「のり巻天国」(という名の安い丼物チェーン店)が全ての街にはびこっても、
ソウルの屋台は、今日もげんきに営業中。

どんなオフィス街でも、買い物タウンでも、ちょっと郊外の街でも、
たいがい道ばたに屋台が並んでいる。
トッポギ、おでん、天ぷら、スンデ(腸詰め)、串焼き鳥、ミニのり巻、トースト、ホットク(甘い蜜をはさんだお焼き)…といったメニューをそれぞれ売っているのが定番。

わたしは間食好きで、「ちょっと小腹が空いた」状態だと何かちょこっと食べないと気が済まないタチなので、ついつい屋台に寄ってしまう。

なぜか、たいがいどこの屋台にもおでんが置いてある。
おでんといっても、魚の練り物の平っぺたいやつを串に差して煮た具、それ一つだけ。
屋台に立ち寄る人を見ていたら、
みな、何も言わずにおもむろにおでんを自分で取って、さっさと食べている。
紙コップに煮汁を好きなだけ注いで勝手に飲んでいる。
食べ終わったら、500ウォンだか700ウォンくらいをポンと置いて、さっさと出ていく。
超ファーストフードだ。江戸っ子もびっくりだ。
寒い時、ちょいと寄って一瞬でおでんを一本食べて、おでん汁を一杯飲む。お腹がほかほかしてしばらくは寒さを凌げる。
そのコスト、たった5分と50円。

(ちなみに、日本から来た友人が煮汁に浮いていた大きな大根を取ろうとしたら、「そりゃダシ用だよ!」とおばちゃんに怒られた。大根は食べてはダメだそうです。)

夜になれば、ちょっと広めの屋台が開いて、丸いプラ椅子に座って温かいものを突きながら焼酎を飲んで語らう人々で賑わう。
電球色のあかりを包んだ屋台のテントが、わいわい賑わっているのを見るのが好きだ。

ちゃんとした店構えのお店よりも、屋台の方に惹かれてしまうのは、なぜなんだろうなあ。


これは、広蔵市場(クァンジャンシジャン)の露店食べもんやストリート。いわゆる屋台とはちょっと違うけど、まあ一応。

2014/03/05

地元カフェ状況。

昨日ようやく部屋にネットが開通した。
それまでは、家の近くのカフェを転々としながらネットをつないでいた。

ソウルはインターネットの電波銀座なので、カフェに入ればほぼ例外なく無料のwifiがつながる。
幸い、新しい家から近い駅まで歩く間、カフェはごまんとあったので、
安いコーヒーと何時間でも居座れる場所を探していろいろ訪ねた。

最初にたびたび居座っていたところは、250円でうっすーいアメリカンを飲みながら何時間でも居られる、どこにでもあるチェーン店。

大体どこでも「アメリカーノ」を頼むと、お茶?と思うようなうっすーいのが出てくるのだけど、作り方をみていたら、エスプレッソマシンで出した濃い原液にお湯をどさっといれているのであった。
それが正しいアメリカーノの作り方なのか。

まあ安くて美味しい珈琲、などというのを求めてはいけませんね。
安いということは必ずどこかが痛みを引き受けているということなので。

とてもラッキーなことに、家のすぐ近くで、
店で豆を自家焙煎している珈琲屋さんを発見。入ってみた。
店内に珈琲の香りが満ちていて、ほっとした気持ちになる。
マスター、やたらに愛想がいい。話し好きっぽいオーラ発しまくり。
ハンドドリップコーヒーはちょっと高かったから、妥協してアメリカーノ(作り方はほぼ一緒だった…)を頼んでパソコンを開いていたら、
「ちょっと味見してみませんか」と、マスターがハンドドリップ珈琲を一杯出してくれた。
一人さびしくカフェ放浪してた身に、これは涙がちょっと出ちゃうくらい染みた。

まあ、やや気になったのは、
そのカフェ、外の手作り看板にやたら「あなたの心の声を聞かせて下さい」「カウンセリング教えます」というのが掲げてあること…。
珈琲が美味しいので通うだろうけど。相談ごとはまだいいです。

もうひとつ、職場として通う大学のカフェは素晴らしくすてき。
国際協力NGOの紹介とか、フェアトレード商品を並べてあったりして。そして店内に樹が生えている。
ただ、個人的にすんごい気になっているのが、ここの笑顔のすてきなマスターが、
社会学者の宮台真司さんにものすごーい似てらっしゃる。
まわりの誰にもわかってもらえないけれど。
行くたびに、宮台さんに珈琲を出してもらっているような気がして恐縮するわたしである。




2014/03/04

地下室暮らし。

そんなこんなで入居したワンルームは、
新築で、白とクリーム色が基調のすっきりした部屋。とてもきれい。
ぴかぴかの冷蔵庫、ドラム式洗濯機、エアコン、洗面所。シャワーのお湯も申し分ない。
もちろん床暖房。インターネット接続済み、新品のテレビもついてる。
何より、備えつけの机の上にもキッチンにも収納がたっぷりあって、すぐに整理整頓できる。
とっても気に入った。家賃はほんのちょっと足が出たが、まけてもらった。

こんなに良い条件だけど、ただ1つだけ問題は、
「半地下」部屋であること。

部屋探しをしているとき、これ、不動産屋に必ず聞かれた。
「半地下(パンヂハ)でもいいですか?」と。…いや、むしろ「半地下はやっぱり嫌ですよねえ?」というニュアンスで。
実際は半地下の部屋に住んだことがないので、どこまで悪いのか実感がない。
確かに、いろいろ調べたり人から聞く中で、半地下は「暗い」「じめじめする」「梅雨にはカビが生える」なんていう情報が目についた。
だからなるべく避けたいと思っていたけれど、この部屋は半地下にも関わらずわりと明るめで(窓は二つ)、新しくてキレイなもんだからじめっぽさも想像がつかなくて、
他の条件が揃いすぎてる、という点が勝って、半地下には目をつぶった。

住んでみて数日。
確かに、暗いことは暗い。起きてまず、朝日が差さないということがさみしい。
(昼間にはようやく光が少し入ってくるけれど)
今まで日当り重視だったわたしとしたことが、何ということか。とんだ選択ミスだったのかも、とやや落ち込んだ。
窓を開けてみると、目線よりやや下、わたしの肩の位置あたりに、外のレンガ敷きの道が見える。
人の足が、行き来するのが見える。
(窓の外には覆いがあるので、外からは見えない。もちろん、防犯のために普段は二重窓をしっかり閉める)

なんだか、人の足よりも下に住むって不思議な感じだなあ。
などと悠長なことを言ってられるうちはいいんだけどね。

2014/03/03

飛び込み不動産。

「とにかく住む地域を決めなさいな。それからいろいろ不動産を回ってみたら」
と、最初に付き添ってくれた友人がアドバイスするくらい、
最初わたしは、住む町で決めるのか、安いところがあればどこでもよいにするのか、コシウォンにするのかワンルームにするのかも決めかねたまま、当てずっぽうに探しはじめた。
インターネットをあたり、地元をあたり、大学の印刷室の親切なおいちゃんに紹介してもらった人の家を訪ね、などなどを経て。
結局、これから勤める職場近くの街で探すぞとようやく3日目にして絞られる。

まず。ネットで「貸します」情報を上げていた(そういう直取引のサイトがある)個人宅をあたる。
連絡先に電話すると情報主が眠そうな声で出て、「ネット見たんですけど」というと「今から部屋を見にきていーよ」という。
そんで直接部屋に行ったわけですよ。カップルで住んでる部屋に。まさに今までまったりしてました、という部屋に乗り込んで、ベッドルームからお風呂まで見せてもらう。
キッチン別、クイーンサイズのベッドを置いた部屋あり、洗濯機スペースもあり、という広さで月家賃は手頃!という掘り出しものだったのだけど…
やっぱりどうも、まったく見ず知らずの人といきなり直契約というのは怖い。残念ながら今回は見学ということで。ペットの犬にわんわん吠えられたけど。

つぎに不動産をあたる。
最初はネットで探した不動産をいくつか回ったのだが、
どれもこれも、話が早い。
ドアを開けて「ワンルーム探してるんですけど」と言うと、「予算は?」と聞かれる。
なるたけ安く、目処としては保証金と月家賃◎◎ウォンくらい…と伝えると、パチパチとパソコンで検索して、「これとこれがありますけど、今から見に行きます?」と。
で、その足で直接内見。
…聞かれないのね。日当りとか、広さとか、他の条件とかさ。
まあ、格安で探していたから迷うことなく家賃下のものから出してくれたのかもしれないけどさ。

その場ですぐに内見できるのはいいのだが。
中には、もう解約することにはなってるがまだ住人のいる部屋もあって(ていうかそのケースの方が多かった)、いま引っ越しの片付けをしてる女性の部屋、具合が悪くて寝ていた女の子の部屋、などなど…どしどし押し掛けてって部屋を見させてもらうのだ。
住人がたは別に気にもしてない風だけど、こっちが恐縮しちゃってまともに見られん。
住んでいるさまがよーくわかって良かったけどね。

そんなこんなで、思いの他サクサクと物件探しは進み、
結果的にまあまあの部屋を獲得できました。
これも、見学その日のうちに契約、翌々日、引っ越し。

これがここではフツーの家探しなのだろうか。
それとも、わたし早まりすぎたのかしらん。





どたばた家探し。

2月最後の週の日曜、深夜、ソウルに到着して、
子持ちのラグジュアリーな友人宅に泊めてもらいつつ、
できれば3日以内に住む家を決めたい。という無謀な計画に出る。

とはいえ、あらかじめアテにしていた物件はあったのだ。
しかし、到着翌日にアテ物件は全くパーになったことを知る。
それで、到着翌日の夜から、またイチから探し始めることとなる。

ソウルの部屋探しでちょっと面白いこと、いくつかメモ。

賃貸にはいくつかタイプがあって、
チョンセ(伝貰)というのが、最初に保証金を相当額ドカンと払っておいて(最低でも一千万円とか)一定期間物件を借りる。退室時に保証金は基本的には全部返してもらえる。結果的に、借り賃はかからない。これが、ちょっと前までは一般的な韓国での家の借り方。
(ざっくりいえば。最近はこの変化形がいろいろあるらしい。)

ちょっと世間を知る人は「月々払うなんてもったいない、チョンセにすればいいのに」とアドバイスして下さる。が、どこに一千万円あるっつーねん、という個人的な問題。

最近は初出金の少ない一人暮らしも多くウォルセ(月貰)も増えている。
これは月払いで日本の賃貸アパートと一緒だけど、敷金礼金の変わりに50万円〜数百万円の保証金を最初に払う。これも退室時には返してもらえる。
韓国の住宅事情は年々世知辛く、ソウル中心部なら月7、8万円くらいが平均だろうか(もっとするかも)

また、韓国独特な携帯の部屋にコシウォン(考試院)というのがあって、ベッドと机で部屋いっぱい、というくらいの小さい部屋を保証金なし・格安で貸し出す。シャワートイレ共同(各部屋についているタイプもある)、キッチン共同で米や調味料は提供してくれる、というところもある。元は脇目も振らず勉強する学生のための部屋。

ハスク(下宿)も一つの建物をシェアして、シャワーキッチントイレ共同、ご飯はつきますよというのが基本。

いろいろ検討した末、わたしは月払いの「フルオプションワンルーム」に絞って探すことにした。
これは、冷蔵庫、洗濯機、クーラーなど基本の家具がついているワンルーム。これらを全部揃えることを考えると、夢のようにありがたい形態だ。


で、次回に続く。



ブログ再々開。

で、続き。

そんなわけで、性懲りもなくブログを再々度開いてみたものの、
もはや「りゅうがくせい日記」じゃなくなるだろうよ、ということで、
看板替えして、またぽつぽつ書いてみることにした。

なぜブログはすぐ挫折するのかというと、
なんだか「ちゃんとしたまとまった読み物を書かねば」という妙な気負いがいつしか生じてしまっていたからだ。と自己分析。
あれこれ考えすぎて、いちいち時間がかかって、なんども文章を手直ししたりして、
結果、三日坊主。

だけどもあるのですよ、なんかこう、この街で一人で過ごしていると、
つぶやきたいというか、ちょっと書き留めておきたい出来事が。
個人的におもしろいなーと思うこととか、シュールだなあと思うことが。

それで、もはや拙い文章力は問題にせず、
日常の何気ないことがらを、なんとなくメモしておくものとして書き始めることとする。
つまりは、単なる日記です。

まあそもそも、そういうものだったのだが。



ソウル、再び。

もはやブログの意味がないくらい時間が空いてしまった。
「ひょんなきっかけで留学」から始まったわたしの韓国りゅうがくせい生活は、
12月をもって一旦授業が修了。
2ヶ月の東京滞在を経て、2014年2月下旬、ソウルに舞い戻ってきた。

大学院は修了したものの、まだ論文が残っている。
去年の末までは、もう日本にとどまって今後のことを模索するなりしようかな…と2割くらい迷いもあったけれど、
なんというか、いろんな魅惑的なものを遮断する生活に自分を追い込まないと、
論文を書き終える自信がない。
それで25mプールのキックターンよろしく、えいやあっと弾みをつけて、
ソウル生活、再び。

もう一つ、ソウルに戻った大きな理由が、新たな職に就くことになったということで。
半分学生、半分パートタイムジョブという生活にしばらくは落ち着きそうだ。

そんなわけで、気持ち新たにブログを再々開してみた。
なぜ性懲りもなくまた?というのは、次回に続く。