2013/06/20

図書館で泳ぐ。

水曜午後。4時間ほぼぶっ通しのの授業が終わって、ぷすぷすと耳の穴から少し煙をたてながら(というイメージで)教室を出る。
今学期は月・火・水に授業が集中していて、週の後半は授業はなくとも英文と格闘し(そしてしょっちゅう敗北してはベッドに倒れ)、やはり地味に過ごしている。
それでも、水曜の授業が終わると、とりあえず一段落。
昼食を食べ終えて外を見ると、梅雨の晴れ間で日が差していて、にわかに伸びのびとした気分になる。
いい天気で、時間がある。なんて素敵。わーい何かしようかな〜、久々にどっか出かけちゃおうかな〜……などと思っているのに、足はなぜか図書館へ。
さっきの授業の「批判的安全保障論」の基礎をあまりにもわかっていなさすぎて泣きそうだったので、頭が冴えているうちにちょっと調べておこう、というのはタテマエで、図書館に入れば結局ぶらぶらしてしまう。
まあいいや、今日は図書館で思う存分まったりする日として過ごすのもいい。こうして地味生活がまた一日重ねられる。

この大学の図書館には、中村福治先生という方が4万冊以上を寄贈されて、一書架まるまる日本語の本というコーナーがあるので、いつもつい足がそこに向かってしまう。
ランダムに並んでいる本の背表紙を眺めて歩くと無心になる。タイトルや装丁で心にかかるものがあれば引っ張りだしてパラ見する。図書館でも本屋でもこうしていると何時間でも過ぎてしまう。
「心にかかる本」というのは向こうからアピールしてくれるもんで、自分で探そうとするとうまくいかない。残念ながら、英語の本ではまだそこまで馴染みがない。英語は、読もうとしないと頭に入ってこない。韓国語はもう少しましなので、惹かれる本はいくつもあるが、パラ見で内容を把握するのはまだちょっと難しい。
これも訓練しないとなかなか身に付かないよ、と思いつつも、今日はラクに読めるものを自分に許してやる。
とはいえ、ここの日本語の本はあくまで寄贈ものなので、趣向は限定的だ。端からながめていくと、グローバリズム、フェミニズム、社会政治学、労働問題、社会主義論、日韓関係、在日問題……まあ、授業に関する文献はほぼ凝縮されていてありがたい。
そんななかで、つい手にとった今日の気分は何かといえば、
 「大人のための残酷童話」倉橋由美子

なぜ!!
でも読み始めると止まらなくなり、読み終えたらあーすっきりした、という気分になった。なぜだろう。
昔読んだときは、まがまがしくて好きじゃないと思ったけれど、妙に忘れがたい魅力があった。改めて読むと、この物語はじつはとても「筋が通って」いて明瞭なのだ。挿話ひとつずつの最後についている「教訓」が、ぜんぜん救いようがなくて面白い(笑)。
童話が描くのは人間の本性で、このどうしようもない物語を倉橋由美子氏がとても上手に料理して皿に乗せた、という感じだ。

そう、物語だからすっきりで済むのだ。現実の現代では、人間の本性で片付けるわけにはいかないことが山ほどあって、その交通整理のために、社会や国や政治や制度をつくるわけで。そのために主義や理論についての議論を、辛抱強く重ねていっているわけで。
そりゃあもう、ややこしくてすっきりしないけれど、そういう積み重ねの上にある今の社会を生きてる。そこに生きてる以上、すっきりさせたいがためだけに「人間の本性」を持ち出す議論というのは、筋違いというよりも、卑怯というもんだ。

そんなようなことを、だらだらと考え流れながら。
気がつくと、時計は夕方の時間を指している。

今日もまた1日の大半をインドアで過ごしてしまった。まあ、これもたいへん贅沢な時間だとは思う。


             写真は本文とは関係アリマセン。


2013/06/15

乗りものの光景。

ソウルと東京で、とっても似ているのにまったく違うもの。
それは乗りものです。

ソウルは地下鉄とバスの街だ。
バスの路線はとても多い。ソウル市内をくまなく走るバスを使いこなせば、たいがいの所には行ける。
ただし、ソウルのバスを乗りこなすのは気合いがいる。
とにかく運転が荒い。バスに乗り込んで乗車カードをピッとやり終える前にぎゅいーんと発車してるのがふつう。なのでカードは乗る前に手に持ってスタンバっておかないと大変なことになる。
停留所に止まるときも、ぎゅいーんと止まる。アニメで乗り物が勢い良く止まるとき、ぎゅっと縮まっておしりが持ち上がって、どすんと止まる、あんなイメージだ。
いつも停留所に着いてから急いで降りようとするわたしに、一緒にいた友達が「降りる場所を忘れてたの?」と不思議そうに聞く。…いやいや、バスが止まる前に立ったりすると、コロコロ…と転がりかねないんですよ、ここのバスは。
このあいだ、少し日本に帰った際に、バスに乗って改めて運転のやさしさに感動すら覚えた。日本に旅行経験のある韓国の友人は口を揃えて「日本のバスはすごい親切だ」というので、彼らもソウルのバスの運転には閉口しているようだ。
まあ、他のアジアの国々に比べて、特にソウルがひどいというわけじゃない。たぶん。
恐らく、もっともっとすごいバスが横行している国にいつか訪れるときに備えて、ソウルバスの急発進・急停車に足を踏ん張って訓練している。(備える必要があるのか…?)

ソウルは地下鉄も多い。ここ数年でまた路線が増えたようだ。
路線図は東京の地下鉄に似ていると思うので、さほど難しくない(※東京の地下鉄の複雑さに慣れてなきゃいけない)。列車も、向かい合わせシートで小ぶりで長い車両。うるさい車内広告の羅列も似ている。
でも、なんか東京の地下鉄と違うんだよな…と思って、はたと気づいた。
車内のにぎやかさ。ここでは無音の車両ってほとんどない気がする。あちこちで誰かが必ず喋ってる。
一度、耳をすませて何がそんなに賑やかなのか、聴いてみた。おばちゃんとおじちゃんが喧嘩か?!と思う勢いで会話してる。おじいちゃんが、めっちゃ遠くにいる人に話しかけるように声をあげている。若者がひとりで早口にまくしたてている(と思ったら、ケータイで喋ってるのだ。大抵イヤホンマイクを使ってるので独り言に見える)。etc。
これに慣れたら、たしかに東京の地下鉄のしーんと静まり返った車両が「不気味だ」と思うかもね。
個人的には、静かな車両の方が落ちつくけど、最近もうこのにぎやかな車両に慣れてしまった。

もうひとつ、これは東京ではなかなか見ない。列車の中を行き来する「物売り」の人たち。
最近はソウルの地下鉄でも少なくなっているらしいけど、私がいつも利用する1号線ではバリバリ現役が闊歩している。
物売りの人はカートごと車両の真ん中に陣取って「さあさ紳士淑女のみなさま、とくとご覧あれ、本日特別な商品をご用意しました…」みたいな口上を始める。売りものは、靴底シートとか、接着剤とか、マスクとか、こまごました日用品。
実は、最初見たときは申し訳ないような気持ちでそっと目をそらした。誰も買わないのに1日中こうしているのか、と思ったからだ。…それは完全にわたしの偏見だった。
「さあ、たったの千ウォン!」と言って座ってる乗客に押しつける。すると、乗客は買う。
そ、そこで買うのか?!
すると、「おい、おじさんこっちも」と別の席からも買う人がいる。物によっては、けっこう繁盛。
派手な色のマスクを買ってさっそく口に当てるおばちゃん。ま、まあね、喉がいがいがしたのかもしれないしね…。それはわからないでもないが。
「名刺大の透明なプラスチックの拡大鏡」を売ってたときは、さすがにどうかと思って見ていたら… おもむろにおじさんが買った。使うの?! おじさんは持っていた雑誌に拡大鏡を当ててみて、満足そうに胸ポケットにしまった。それ、今後たぶん当分使わないでしょー。
前口上がうまい人もいれば下手な人もいて、下手な人のは当然売れない。買う人は、たぶん寄付のような感覚もなかにはあるが、案外シビアでもあるのだ。

そんな地下鉄の光景。観察するのを、秘かな楽しみとしている。



2013/06/09

ブログ再開。

閉鎖してたわけではないけど…。はっ!と気づいたら4月でブログが止まっていた。
やっと春めいてきたなあ…と思った頃から、なんだかバタバタと日々が過ぎていってしまった。
バタバタ、というとあちこち飛び回ってるみたいだが、実際はほとんど部屋か校内にいて、じっとりと動きの少ない日々を送っていた。
勉強に専念していたと言いたいところだけど、なんだかほとんど「勉強しなきゃ」プレッシャーに勝手に追い込まれてヨユウがなくなって、もがいていただけだ。うーん、なんだったんだろう。この2ヶ月は。
そんなこんなしているうちに、1学期が終わってしまった…。
学期間の1週間休みには日本に帰った。格安航空券のおかげで日本の国内移動よりも安くチケットが買えてしまう。ソウルー東京は飛行機で2時間。ほとんど隣りの県に行くような感覚だ。下手するとパスポートを忘れてしまいそうになる。
ほかの生徒も、自分の国に帰りたかっただろうに、そう簡単には帰れない。クラスメートになんだか申し訳ないような気持ちで、抜け駆けしてごめんよと思いながら帰った。

で、あっという間に幸せな休暇は終わり、再び仁川空港にいる。
あーまたソウルに帰ってきたなあ、と思う。
いままで数えきれないほどこの空港に降り立ったけど、いつもどこか少しだけ緊張していた。ここではいつも自分は訪問者だった。
でも、いまは「帰ってきたなあ」と思う。だからといって、とくに感慨もなく。


これからまた数ヶ月、ここでの日々がはじまる。
明日から新しい学期だし、気分一新してがんばろ。コツコツ勉強しよう、ちゃんと早く寝て早く起きる生活にしよう、身体がなまらないように運動しよう、…と、いつもこう、節目のたびに「今度こそ」と目標を新たにする。「いつも目標を新たにする」ということは、あんまり実現してないってことだ。
そういう目標のたて方はよくないと、自己嫌悪になることもあったけど、今はもう気にしない。
何度でも何度でも、新しくはじめればいいんだから。カンペキじゃなくても、どこかつまずいてしまった所からまたスタートすればいい。

そんな感じで、なにか新鮮な気分で夏学期を迎えようとしている。

…と、メールを開くと、さっそく来週のクラスの課題テキストが届いていた。これを3日で読了せよと。
お出迎えは、手厳しい。

2013/04/05

この国を好きか。

徹夜で準備の甲斐もなく、金曜の授業の発表はさんざんな内容となってしまった。
自分の出来なさ加減が情けなく、へこんでしまうのが性分だ。
疲れがたまって顔が暗い。クラスメイトには「顔色が悪い」を通り越して「顔がプアー(poor)だ」とまで言われる。貧しい顔って…。

部屋に帰り、ぐったりとベッドに転がった。手元にあった本を、読むともなしにパラパラめくりながら。
先日、図書館で借りてきた本。この大学の図書館にはまるまる一書架が日本語の本というコーナーがあるので嬉しい。参考資料のあいだにたまたま昔読んだ小説があったので、懐かしくなって借りてみた。

「君はこの国を好きか」
鷺沢萠 著 1997年刊行の本。

久しぶりに読んだ。
在日韓国人3世の女の子が、留学のために初めて暮らした韓国での葛藤を描いた小説。
(おお、わたしの要約ってなんて陳腐なのでしょう!)
初めてこの本を読んだとき、わたしは確か、ちょっと反発をおぼえた。
その反発の気持ちは、うまく言えないが…、語弊を恐れずにいえば「そんな簡単に小説にしてくれるなよ」というのに近い。そしてこの小説に共感した、と言うのが恥ずかしいような気がしていた。
いろいろあってその頃の自分は、在日韓国人/在日朝鮮人/在日コリアン/在日 の話が食傷ぎみな時期だった、というのもある。
そう言いつつ、ひりひりするようなシンパシーを感じていた。いくつかのシーンを鮮明に覚えていたくらい、何度も読んだのだと思う。

在日コリアンが韓国に来て傷つき、葛藤するのは、誰もが経験する。言ってしまえば「在日あるある話」だ。世代によって、時代背景の移ろいとともに傷の深さや傷つき方は変わるけれど。民主化前の韓国に留学に来ていた在日2世、1990年代末のこの小説の在日3世、そして韓流と日本カルチャー好きが行き来するこの時代の在日3世以降世代は、違うものを抱えたはずだ。
違うはずなのに。いまこの本を読んでもやっぱりヒリヒリと感じる現世代の在日コリアンは、きっと少なくないのではないかと思う。

この小説には、「本質的な問題」というのは特に描かれていない。
だからこそ、純粋に感情的な葛藤がむき出しになっていて、そこに共感し、そして何やら恥ずかしく感じている自分がいる。
いま、読み返してみてやっぱり、古傷がうずくような気持ちがするのだ。

本のタイトルは、切り口を変え何度も何度も自分の胸に刺さってくる。
「この国」とは。「国を好きか」とは。「君は」とは。
君はこの国を好きか。
今、まさに問いたい。日本にも韓国にも、異国に住んでいる人にも。

ちなみに、わたしはきっとずっと、うまいこと答えることができない。


著者の鷺沢萠さんは、2004年に旅立たれた。
本当に若くして、たくさんの良作を書かれたのに。その死をかなしく思う。


2013/03/27

おせっかい親切。

散歩のつづき。
途中、ちょっと買い物に寄ったら、意外に大荷物になってしまい、
洗剤のボトルの入ったビニール袋を抱えて、えっちら帰り道を歩いていたら、
坂道で、通りすがりの奥さんに何か声をかけられた。

「あんた、ほれココに乗っけなさいよ!」
え?
奥さんは、自分の引いていた自転車のカゴとわたしの買い物袋を指差していた。

いえいえ大丈夫です…と思わず遠慮してしまうわたしにお構いなく、「いいから、重いの持って坂道は大変だから」と言って荷物を乗せさせる。
なんと…!
こういうご近所おせっかい的親切さに、心が震える。

ふだんは、
「韓国人は優しい、あったかい」という言い方に対してわたしは否定的だ。
そりゃ、優しい人も親切な人もいるだろうけど。韓国人は「韓国人であるがゆえ」に優しくてあったかい なんてあり得ないわけで、なんだかそれはちょうど「田舎の人はあったかい」という言い方に対して、一括りにしてくれるなよとちょっと反発しちゃう感情に似ている。

というのは、わたしのひねくれ部分であるのだけど、
この奥さんには、ガツンとやられた。

他にも、日常的に何気ない親切をいっぱい頂いている。
基本的には、みな親切なのだ。ただ、残念な思いをすることももちろんいっぱいあって、
何が違うのかな…と思い当たるところは、「人との距離感の近さ」の違いなのだ。
人との距離が近い人は、とくに親切とかではなく、当たり前に困っている人を助ける。自分自身にするのと同じく。
だからおせっかいにもなりがちなんだけど、今はおせっかいをありがたく頂いている。

ところで、親切な奥さんは、自転車に荷物を乗せて坂道を登りきるところまで引いて下さった。
何度か礼をいうわたしに、
「まあおたがいさま。主婦は大変よね〜」
…え、ええ。まあ。スミマセン、主婦じゃなくて、そこに大学の寮に住んでて…
「おや、せんせい?」
…ち、ちがうんです。あの、学生なんです。

「あら、学生? そのわりには…
 けっこう年いってるわね」

はい。
親切でおせっかいであり、正直な奥さんなのでした。




ガス抜きに。

地味な生活が続く。

日々、ほとんどの時間を自室の机で過ごしている。
朝起きて、机に座って、パソコンをつけて、下手するとご飯を食べる以外はずっと机の前に固まっていることもある。
何をしているかといえば勉強をしているわけなんだけど、我ながらなぜにこんなに時間がかかるのかわからない。
授業ごと、テキストを読んで分析またはケーススタディ、要約ノートなどのレポートを提出する。テキストの内容自体は基礎的なもので、それほど難しくない…んだと思う。たぶん。
とにかく、こんなに英語ができなかったのか私!とたまげるくらいに、テキストを読むのに時間がかかる。そして読解力の足りなさに泣きたくなる。
なんかきっと、勉強の仕方が間違っているのだわと思ってみたり、いやコツコツやるしかない、勉強に近道はないと教授もおっしゃっていたではないか、と励ましてみたり。
と、言いつつ、常につながっているSNSの誘惑に負け、ついついネットに寄り道。
そして思い出したようにストレッチ体操。
幸か不幸か、ルームメイトの二人も、その辺の気合いというか勉強筋肉のつき方が似たり寄ったりのレベルなので、
三人して「どこまで読んだ?」「何ページ書けた?」「読んだけどぜんぜんわかんない〜」「あと100ワード足りない…」とかまるで大学生な会話で慰めあい、それぞれ寄り道をやめられず、追い込みあっているという日々だ。

ガス抜きのために、散歩に出た。

寮のすぐ裏は、小さな山だ(おかげで部屋からの風景の写真を見た友人が「これはソウルではない」と主張しやがった)。
とりあえず山道を登ってずんずん歩いてみると、ひょこっと列車の線路道に出た。



恐らく廃線になっているのだろう。おじちゃんやらおばちゃんやらが、全く気にせずに線路の上をズンドコ歩いている。

ときどき、レールに腰掛けているおばちゃん達がいる。
大体が原色のスポーツウェアと、サンバイザーを着けている。散歩の途中なのか、仕事の帰りなのか(通勤路?)、憩の場所なのか、イマイチわからないが
線路に腰掛ける人のいる風景が、わたしはとても好きだ。
なぜだか、『旅の途中』という言葉が頭をよぎる。

線路の脇では、広大な公園を造っているらしい。
立ててあった現場地図から見るに、そうとうな面積の公園だ。現在、絶賛建設中。
…なのか?


いつ完成するつもりなのだろう。この日、動いて作業している人は5人しか見なかったけど。

白犬と茶色の犬が、きゃんきゃんとじゃれながら、線路のむこうへ走っていく。
どこまでも茶色い、土ぼこりの舞う光景が広がる。線路の先のずっと向こうに、高層マンションの林がかすんで見える。

ここはどこでもない、どこにでもある、アジアの片隅の風景だ。
線路はどこまでもつづくようだけど、線路は必ずどこかで終わる。
必ずどこかに目的地があり、必ずどこかにたどり着く。
たとえそれが、レールの途切れた何もない場所だったとしても。

などということをつらつら考えながら歩くが、
別にだからどうだというわけでもなく、なにかの教訓を得たわけでもなかった。

とりあえず、戻ったらまた開かねばならないテキストを頭から追いやり、
必ずたどり着くどこかに向かって、むりやりスキップしてみたのであった。




2013/03/09

「きれいな」英語。

「Banana」「ばなーな」「No, Banana」「バナーナ」「Good!」

…という某英会話会社のCMを、覚えている方はいるだろうか。
金髪の英語のティーチャーが、日本人の学生にBananaの発音を繰り返し教えているテレビCM。
いま思うと、本当にくだらないなあ。
くだらないと言うと反論もあろうが、少なくとも日本における英語観(というのも変な言葉だけど)を顕著に表していたと思う。

アメリカ英語、またはイギリス英語が「正しい英語」で、英語を学ぶのは「正しい英語」を身につけること。
すなわちアメリカ英語、イギリス英語でない英語の発音・言葉遣いは正しくないので、直さなくちゃならない。
日本人は英語の発音が悪いので、直るまでは使うのが恥ずかしい。英語がある程度わかっても、発音がうまくできないと「私は英語が喋れる」とは言えない。

ってところでしょうか。

今、私のいるMAINSのクラスで使われている英語は完全にアジアン英語だ。
とてもひとつの言語とは思えないほど、バラエティ豊かだ。

例えば、インドネシアのダダが喋る英語は、Rを全部発音する。
「ティチャールアンダルスタンドゥヨルワルルドゥ」は、
Teacher understands your word. のことだ。ということが分かるまで、しばらくかかった。

一方、タイのジェイは、強めの子音がやわらかく消えてしまう発音だ。
「ポーギャーム」
は、Programのことだということに、何度も何度も聞いてやっと気づいた。

さらに、パキスタンのマイクの発音は…なんと言えばよいのだろうか、
口を「イー」という形にしたまま、舌を巻きながら英語を喋ってみると、近い感じになる。(むずかしい!)

ちなみに、韓国の英語はFを「パピプペポ」で発音することが多いので
staffは「ステプ」、coffeは「コピー」(しょっちゅう「複写」と間違えた)、performanceは「パポーモンス」になる。

ここにさらにモンゴル英語、ベトナム英語、ビルマ英語、バングラデシュ英語…が入り乱れるのだ。
この文頭にああ言っておいてナンだけど、英国仕込みのチョ教授のクイーンズ・イングリッシュが聞きやすいったらなかった…。

正直、最初はいらだった。いらだつのはお門違いなのは分かっているが、タダでさえ英語がプレッシャーになっている私だ。「何言ってるのかわかんないよー!」と、理不尽ないらだちに苛まれた。
「もっと『きれいな英語』で喋ってくれたらいいのに」
と、口にはしていないけど、そんなつぶやきが胸に湧いて、あれっと思った。
きれいな英語って、何?
自分にとって耳馴染みのある英語は聞きやすい英語であって、それが、必ずしも他の人の耳にとっては耳に馴染んでいるわけじゃない。どれが、きれいな英語なのか。
(もちろん、音楽的な音としてきれいと感じるかどうかはあると思うが、それは感性の問題だとみる)

そもそも何でアジア各国から集まって共通語が英語なんだよ、という「そもそも」論はいつも心にひっかかるが、今となっては「しゃーなしやで」という感じで、ここでもみんな英語を使う。
その分、英語はあくまでも伝える道具だ。
その目的において、みんな実にぞんざいに、自由に、英語を(ある意味)「使い切る」。
アール(R)であろうとエプ(F)であろうと、過去現在未来形がごっちゃであろうと、とにかく自分の持っている語彙を最大限使って、伝える。
聞く側は最大限の想像力を駆使して、噛んで呑みこむ。
(まあ、もちろん会話やディスカッションに関しては、だけど。論文はそうはいかない)

不思議なもので、慣れてくるとキャッチできるようになるものだ。
なので、新しい学生課担当者が、われわれの強い英語にしばし「?」となっていたときに、クラスみんなして「いまのは○○って言ったの!」とリピートしてあげていた。
あ、やっぱみんな慣れてきたから分かるのね。そして慣れない人には分かんないものなのね。と思った。

残るは、わたし自身の基礎的な英語力の問題だ…。これは、思ったよりも…ひどいぞ。




2013/03/05

日々ごはん。

食べるということは、とても大事だ。
食べることは、生活をデザインすることの一つだ、と思う。
食べることが空腹を満たすだけの作業になると、生活は少し、彩りがあせる。

ソウル到着初日。大学まであと20分ほどの道の途中で
空腹に堪えかねて、さいしょに口にしたのは屋台のトッポッキ。

片手でスーツケースを押さえ、片手で楊枝をつまんでハフハフ食べた。

生活がはじまって暫くは、3日連続同じお店で食事をとった。
いわゆる「運転手食堂(キサシッタン)」と呼ばれる、安くて量があって味もそこそこ、という食堂。

スンドゥブチゲ。

いくら安い食堂でも、毎日外食はいろいろ辛い(つらい、とも言えるし、からいとも言える)ので、
最近は自炊が多い。
みんな寮生活に慣れてきたからだ。
慣れると、節約モードに入れる。節約モードに入ると、いろいろ工夫するようになる。

韓国ツウであるゴンちゃん(ベトナム)が市場で買ってきてくれた韓国総菜と、
ジェイ(タイ)が提供してくれたドライポークミートが、ご飯にあう。
つつましいけど美味しく、ヘルシー。
やっぱりメインは辛(から)いけど。

ある日、ゴンちゃんがいただいてきた、
友人のオモニお手製のキムパプ(のり巻)で充実のランチ。
うま!
特にこの、色とりどりの野菜をクレープみたいなので包んで食べるもの、美味!

そしてその日の夕食は、みんなでおかずを持ち寄る。
太刀魚のキムチ煮、貝や肉に卵をつけて焼くジョン、切り干し大根のキムチ、ナムル、
真ん中のは、ビルマからの寮生が差し入れてくれた干しえびとガーリックの甘辛和え。

おお、
なぜかだんだんおかずがグレードアップしている。
(ゴンちゃんが作った太刀魚煮以外は、市場で買ってきた総菜だけれども)

わたしにとっては、馴染みのあるおかずばかりだけど、
アジア各地からのみんなは、どうなんだろう。
今は物珍しくておいしいけど、自分の国の食事が恋しくなるだろうな、いつか。

むかーし読んだ小説で、
在日コリアンの女の子が韓国に留学している間、
その子は徐々に、どうしても辛いものを受けつけられなくなり、食事が苦痛になって、
日本にいたときよりも自分のアイデンティティに苦しむようになった、という場面をふいに思い出した。

わたしが韓国料理を好んで食べられるようになったのは、昔からではなく、
ある程度以上に「オトナになってから」だ。
これが20代はじめだったら、唐辛子の入っていないもの、にんにくの味がしないものを、
焦がれて探したかもしれない。

ともあれ、
みんなで囲む和やかな食卓。

ちょっと神妙なようすにも見えますけど…。

ある意味、ASEANな食卓。

2013/03/04

新学期。

3月最初の月曜である本日から、
実際のところ、大学は新学期を迎えるのだった。
私たちの授業はもう始まっていたので、大学はスタートしている感でいたけど。

午前中は寮にこもっており、午後3時の授業前に、売店に用事があったので外に出た。

すると、そこには「大学の風景」が広がっていた。


わー……
な、なんだろう。この戸惑いは。
自分の部屋から一歩出たらそこは大学だった、みたいな。
(実際、寮は大学敷地内にあるのだからその通りなんだけど)


新歓机出しみたいなのも、ちらほらやってるし!

大学卒業から早15年。この間、もちろん一般の大学に足を踏み入れることは度々あったけれど、自分がこういう場所に「学生として」いるというのが、なんともむずがゆい。

まてよ…、卒業から15年、ってことは、わたしが大学入学した年に生まれた子が、
いま新入生としてここにいるかもしれないってことか?

などというくだらない計算を頭の中でぐるぐるとしながら、
きゃいきゃい騒いでいる彼らの脇をすり抜ける。

今日はまたずいぶんと暖かい。
閑散としていたキャンパスに学生の姿が入り、ヒーターのスイッチが入ったようにこの空間が暖まっている のかもしれない。

なんつって、
裏起毛タイツなんか履いている場合じゃないぜ!
(※裏起毛タイツはすんごくあったかくてこの冬手放せなかった必須アイテム。その代わり足がぶっとく見えるのを堪えなければならない)

いったん部屋に戻り、タイツを脱ぎ捨て、すこーし薄手のタイツに着替え、
きもち、リップを塗って授業に挑むのであった。
春ですから。

夜はまだまだ冷えこんで、溶け残る雪もぽつぽつあるけれど、


よーく見ると… 春のきざしを発見。




2013/03/01

クリティカルに。

火曜日の授業、Critical Peace Studiesは、18時半から21時まで。
最初の授業では、食事をとって行ったらねむねむ病に冒されてしまうんじゃないかと心配になり、マグに珈琲を注いで持って行った。
(結果的には、眠くなるヒマなどないエキサイティングな授業だった)

担当のProf.F.Leeは、いろいろな活動団体や機関で活躍中で、自らを元々教授ではなく市民運動出身者だと自己紹介。
「プロフェッサーとかサーとか呼ばないでほしい」とおっしゃるので、ここではフランシス先生と呼ぶことにする。

まず最初に、フランシスは言う。
「ただのPeace Studiesではなく、君たちはあえてCritical Peace Studiesを学ぶ。これはとても重要な概念だ」

正直いって、
わたしは事前にもらったプリントを読んでも、Criticalの意味がずっとわからなかった。
でもここで「せんせー、クリティカルって何ですかー?」と聞くのははばかられる。さすがに。
そこで。
「フランシス、質問があります」
「どうぞ」
「ここではCriticalとはどういう意味合いで言われるのですか?場合によっては、ネガティブな意味に聞こえることもあります」
「OK、いい質問だ。
 誰か、この質問に対する意見は?」

おお!
なんかけっこう、それっぽいではないか。
白熱教室のような展開になりそうじゃないか!
(大学授業から久しく離れているから、こういうのが新鮮で嬉しい)


ここでいうクリティカルとは、
「多角的な視点で」「別の意見を持って」「裏返したり表に返したりして」「深く掘り下げて」考えるということだった。
誰かの意見が必ず正しいわけじゃない。正しい意見が一つとは限らない。
教授の言っていることが正しいとは限らない。
そこに、いつも疑問を持ちながら、ある意味で批判的に、自分の意見を持ち、ちゃんと表現すること。この授業では意識的にその姿勢をもって進めよう、という。

やっぱりなーと思ったのが、たった8人のクラスでもすでに、得手不得手の傾向が見えること。
タイ、ベトナム、日本、韓国のざっくり東アジアな生徒たちは、目上の人に意見したり、自分の意見を積極的に言うのがちょっと苦手で、おとなしくなってしまう。
インドネシア、パキスタン、モンゴルの生徒たちがクラスを若干リード気味。

ちょっと授業から離れて、日常生活でのクリティカルな考え方、発言、態度、について考えてみる。
”それはちょっと違うんじゃないの”とか”私はこう思うのに”と思うことは大小さまざまある。政治に対して、社会問題に対してから、タオルの使いかたひとつに至るまで。
そこにひとつひとつクリティカルな意見を発していく習わしは、日本ではほとんどない。
重んずるは協調。相対するは同調すること。日本で友達同士、よく使うことばは「私もそう思う〜」「いいよいいよ、気にしないで」だ。他に違わず、わたしも。

めんどくさくなってしまうのだ。
ひとつひとつの事柄に自分の意見を「発して」いくのはもちろんのこと、自分はどう思うかをいちいち「考える」ことだけだって、相当エネルギーを使うのだ。
だから受け流すことに慣れていく。耳に入るニュースに、賛成でも反対でもなくただ聞き入れることに。タオルの使い方に違和感を感じても、わざわざ取り立てず受け入れることに。
今までの自分を取り巻いていたのはそういうぬるめの空気。まあ良くも悪くもだけど。

授業では受け流すことを良しとされない。授業だけのことだと思ってやり過ごしたら、なかなか発想もことばも出てこない。
だから、日常生活でもクリティカルシンキングを鍛えなければならぬ。
そう思って意識してみると、ふだん受け流してることが多すぎると気づいてイヤんなっちゃう。わからなくても曖昧に笑ってしまうクセ。ちょっと違うと思っても「そうね」と言ってしまうクセ。

ま、ぼちぼち向き合っていきましょう






2013/02/25

オリエン。

金曜日、いよいよオリエンテーション。

そもそも、この大学院についても専攻についても授業についても、事前情報がとても少なかったので(と、わたしは思っていた)、
やっとこれでこの1年〜1年半の全貌が明らかになる!
と、心秘かにオリエンを楽しみにしていた。

MAINSでは何を学ぶの?という問いに対しては、
「アジアそして世界のダイナミックな変革に関わる人材の育成」と、
「社会変革、NGOそして市民社会に関する勉強と体験」を目的としており、
主な授業は、
「アジアのNGOについて」「民主主義と開発、市民社会」「重要な平和学習」「社会問題と社会運動」「NGOマネージメント」「人権の理論と実践」「韓国の民主化と社会変革」「世界的フェミニズム問題」……などなど。

と、何回も読んだ「概要書」のごりごりっとした内容は頭に入れたんだけど、どーもしっくり来ない。
概要(点)と詳細(線)を結んで自分なりにイメージを描けないと、いつまでも飲み込めないタチだ。
ともかく始まればわかるんだろう!…うん。

1時半からのオリエンテーションの教室に早めに行ってみたらば、ロの字に囲まれたテーブルと10席ほどの席。
そして、担当スタッフが…盛りだくさんのパンとジュースをせっせと配っている。
やがて、温和なお顔の教授が前の席についた。この方が、これから1年お世話になる担当教授のProf.CHO。
チョ先生のほとんど訛のない聞きやすい英語で、和やかなあいさつが始まる。
「ささ、みんな気を楽に。パンでも食べながら進めようじゃないか」
…そういうもんなのだろうか。遠慮なくパンをもぐもぐしながら、座談会のような雰囲気のオリエンが始まった。

クラスメイトはタイ、ベトナム、インドネシア、モンゴル、パキスタン、インド、バングラデシュ、ビルマ、韓国、日本からの11人。8人が女性で3人が男性。
(残念ながらインド、ビルマ、バングラデシュからの生徒はオリエンには間に合わず後からの参加となる)
ほとんどがそれぞれの国のNGOで働いていた経験者だ。
そのため思ったよりも年齢が上で、恐らく全員30代以上だ。ほっ。いや、別にそれで安心したわけじゃないが…。
まだまだ、自己紹介と日常生活上の会話しかしていないけど、これからどんな話が飛び出てくるのだろう。みんななかなか個性の強そうなツラ構え…いや、お顔だち。
たのしみだ。

オリエンの後、この春当S大学を卒業したばかりでMAINSに参加する韓国人学生のロイ君が、校内を案内してくれた。
非常にこぢんまりとした大学だが、まずは図書館がきれいで充実しているのが嬉しいのと、あちこちに自習室があるので良い環境だと思う。
学校の裏には小さな山があって、よく気晴らしには裏山に散歩にいくらしい。
そして、大学周辺に遊ぶようなところは、なんにもない。みごとにない。
大学生の頃なら物足りなく思っただろうが、今では静かな環境が心地よい。


そんなわけで、オリエンは終始和やかに進み、あっという間に終わってしまった。
一番よくわかったことは、
「ともかく1年間くらい一生懸命勉強してみよ」
ということだ。

ところで、オリエン時に全員に配られた紙袋には、いろいろなグッズが入っていたのだが、


「ビタミンハンドクリーム」が入っていたのが、いまだに謎だ。




2013/02/24

そもそも。

そもそも、何で韓国留学なのにベトナムやタイやインドネシアの寮生が出てくるのかというと。
話は昨年の秋に遡る。

10月のある日、とある大学の知り合いの先生から電話があった。
「あのねー、前に話した韓国のS大学の大学院にアナタ推薦しようと思うんだけど、受けてみたら。とてもいい内容だから。でねー、悪いんだけど週明けにとりあえずの返事をもらえないかな」

え、ええ?!
ちょっと待って、前に話したっていっても何ヶ月も前だし、しかも飲みの席だったし、
大体なんの話だったかうろ覚えだし、なのに、週明けに返事だとう!
と、突っ込みどころが満載すぎて、テンションの上がっていたわたしは先生にとりあえず全部いっぺんに突っ込んだ。
が、話の中身はあまり変わらなかった。
後日、忙しい先生を捕まえて話を聞き、やっとわかったのが、
韓国のS大大学院に、アジア各国のNGOや活動機関で働いていた、あるいはこれから働きたい人を鼓舞し、より活発なアクティビストに育てるための「アジアNGO学」という専攻がある。ここに入る学生はほぼ全員アジア各国からの留学生で、学費は100%奨学金がおりる、という夢のような話だった。

夢のような話だ。だけどそりゃ迷った。
いまの仕事がある。日本での生活もある。恋人と愛猫もいる。年齢も年齢だ。すべてを置いていけるのか、わたし! …ところが。
「ま、大学院といっても授業は1年だけどね」
と言われ、なんだか一人盛り上がっていた決意のハードルがカクンと下がる。

とはいえ、これはおっきなチャンスだ。
ずっとずっと胸の中に溜まっていた問題、解けていない宿題を、
じっくり考えて解く時間をあげるよ、と神様か誰かさまが言ってくれたのだ。

「行かせていただきたいです」
と返事してから、また一曲二曲の紆余曲折があったが、それはさておき。

留学かー…
考えもしていなかった突然の展開に、少しふわふわっとなりつつも、
頭のイタい大問題があった。それは、英語。
留学生ばかりの授業と、寮をともにする日常生活は、英語なのだった。

韓国語だったらなんぼかマシだけど、それでも大学院の授業を聞くのは大変だろうに。
ここへきて、とうとうわたしの前に立ちはだかるのか、英語よ。
推薦してくださった先生に「先生、わたし英語があまりできません」と控えめに言ってみたけれど、
「大丈夫大丈夫、世界を飛び回る団体で活動してた人が、英語できないわけないでしょー」
と。…はは、そう思いますよね。こりゃお恥ずかしい限りで…。

そういうわけで、なんだかんだあって(省略)アッという間に時はすぎ、
いま、ここソウル市の端っこに位置するS大学の寮にいるわけだ。

思いがけない展開の最中に、テンパる私に推薦者である先生がかけてくれた言葉は、

「人生、思いがけないものですよ。ハハハ」。

ちなみに、その先生はアクティビストな韓国人である。


2013/02/23

女子トークと韓国ブランド。

ルームメイトのゴンちゃん(ベトナム)とジェイ(タイ)と、最初の挨拶のあとで一番盛り上がった会話。

「ねえ、えちゅーりーって知ってる?」とジェイがわたしに声をかける。
?? なんの単語だろう、それ。
「スキンフードは?」
あー!Skin FoodとETUDEね。韓国コスメのことか。
タイでは、Skin FoodやETUDEが女の子に大人気で、輸入ものだからとても高いそうだ。
ジェイはここでどちらかのコスメを欲しいらしい。ところが。
「Skin Foodは良くないらしいよ」と横からゴンちゃん。
「韓国の友達が言ってたけど、Skin Foodは韓国ではあんまり人気ないって」
「えー、そうなの?!」
「Nature Republicがいいらしいよ」
「そうなの?あなたは何を使ってる?」
「私はNature Republicのは1つだけ持ってるんだけど…」

その会話の流れを、なんだか感慨深く眺めた。
最初の、ぎこちない英語での自己紹介的会話の壁を一気に砕いたぞ、コスメの話題!

後日、ショッピングセンターに行ったときも、
化粧品を選ぶジェイの真剣な目ときたらなかった。
あんな目で授業中討論をふっかけられたら完全に負けてしまうだろう。
かたや、ゴンちゃんはコスメにはそれほど執着はないようだが、
毎晩ベッドにノートPCを持ち込んで、韓国ポップスかドラマのDVDを見続けている。
どうりで、韓国語が流暢&韓国情報通になるわけだ。

その後、寮の隣りの部屋にインドネシアからのダダ(ニックネーム)がやってきた。
体は小柄だが、口も笑い声もでっかい、いかにも活動的な元気はつらつ40代女性のダダ。
ダダとジェイを連れて、日用品を揃えるために再びショッピングセンターへ。

大型ショッピングセンターで、ダダは目を輝かせてわくわくキョロキョロしている。
「韓国製品がたくさんね。インドネシアも韓国製品がたくさんよ!」
そうなんだー…。例えばどんなものが?
「なんでも。電化製品、ファッション、コスメ、ドラマ、ポップス、オール フロム コリア!」

韓国は製品だけでなく、ポップカルチャーを国策としてアジアに輸出している。というか、製品の輸出増強のためにポップカルチャーを輸出している。
…というのはどなたか解説者がテレビで論じていたことだが、
その善し悪しや戦略は、これからもうちょっと勉強しなきゃならない課題。
アジアを、韓流ブームは完全に席巻している。日本でだけじゃないことは百も承知だったけれど、改めてその量と範囲は想像以上だったかも。

「韓国は好き?」とダダに聞いてみた。あえて、韓国のものは、とはせずに。

「Yes! We like!」とダダは屈託なく答えた。
韓国ポップスの鼻歌まじりで。

うーん……。
なにか複雑な気持ちは拭えない。いや、韓流、いいんだけどね。
文化の人気ではなくポップカルチャーの人気と言うのは、商業ベースの「文化」だけの流出だから。新しいものも軽いものも、悪いわけじゃないんだけど、表面だけが急流に乗ってだくだくと流れて行く。そこに国の面(おもて)を乗せて。
でも実際、韓国のことを好きなアジア人が増える。嫌いより好きな方がいい。
でもやっぱり、表面だけ好いてもたかが知れる。むしろ深い関わりを拒むことになっちゃうのではないか。
うんぬん。
何てことをためつすがめつ考えている。
そのとき、自分自身の立ち位置を、韓国に置いたり日本に置いたり、距離感をはかりかねていることに気づく。

ま、ぐちゃぐちゃ考える前にドラマの1本でも見通してみないとな。


2013/02/21

ルームメイト。

ルームメイトはベトナムからと、タイから来た女の子。
わたしよりも先に入室していたベトナムの子は、以前の働いていた団体で韓国人との関わりが深く、こっちに友達もたくさんいて、韓国語がびっくりするほどぺらぺらだった。
日本から来た私とベトナムから来た彼女の共通語が韓国語。ふしぎだ。
思った以上にスムーズに会話できちゃってホッとする。
ただ、どうしても彼女の名前が上手く発音できない。「ゴンちゃん」と呼ぶことにしよう。

タイから来た子は、…これまた名前がむずかしい。本人のすすめ通り「ジェイ」と呼ぶことにする。
ジェイは3人の中で一番英語が上手だ。しかし、ジェイの立場にたって改めて街中を眺めてみると、いかにハングル以外の表記が少ないか、わかる。
「ルームメイトの二人が韓国語を話せて私はラッキーだわ。」
と、一緒に買い物に出かけたときにジェイは笑って言った。
だが、街中は仕方ないとしても、留学生を受け入れる学校内はもうちっとくらい英語なりを同記してもいいんじゃないか、と思った。(英語でいいのか、という問題もあるが、それはちょっと置いといて)
それは、日本でもおんなじだけども。

今日は天気が良いが、街にはまだ雪の固まりがあちこちに残っている。
ゴンちゃんは何度も韓国に来た事があるらしいが、ジェイにとっては「はじめての雪」だそうだ。
最初ははしゃいで写真を撮るなどしていたが、
骨身に沁みるこの寒さは、あったかい国から来た二人にとっては大問題のようだ。

部屋にいても、ちょっとドアをあけると
「うううブルブルブル…さむさむさむ…」
とギャグのように縮こまっている。
来る前は気温30度だったというから、そりゃそうもなるわな。

わたしはといえば、確かに東京よりもソウルは寒さのランクが格上だが、まあ予想できる範囲だったから、服装も東京のときと大差ない。
二人に比べれば日本と韓国は本当に近い。私なんぞほぼ県をまたいでやってきた感じだ。
ちなみに時差もないし。

ベトナム、タイ、日本、韓国。
同じアジア、というけれど、どこまで近づけるのか。

…などと考えるヨユウもなく、寒風にあらがいながら、日用品の買い出しに出かけたのであった。

2013/02/20

寮生活。

ようやく大学に着いたのは夕方5時。
バスの中でずっと考えていたことがある。
わたしは今日の朝8時に、家を出た。「ソウルなんて近いよ、飛行機でたった2時間だもの」と、出発前にさんざん友人家族に言い回っていたのだが、実際のところ家を出てから9時間たっている。空移動以外の7時間は、一体なんなんだ。
やはり近くて遠い国。いろんな意味で。
その意味をもっと深く考えるのは、まだ後の話だ。

これから生活することになる寮は、大学の敷地内にある。
…っていうから、大学の敷地のはずれに寄宿舎棟があるのかと想像していたら、
逆で、通常の講義などを行う校舎の上部に、学生の寝泊まりする部屋を作ったらしかった。
わたしの行くコースの毎日の授業は、ほぼ毎日この棟で行われるという。
部屋を出て3分後には教室でノートを開けるということだ。

これは…
確実に運動不足になりそうな。
できるだけ、せめて階段を使うようにしようと秘かに決意を固める。他にがんばらねばならんことがいろいろあるだろうが。

寮の部屋は3人シェアルームである。
この年にしてシェアルームだ。まあ年齢は関係ないか。
ルームメイトは同じくアジアからの留学生で、ベトナム人とタイ人の女性だという。
あてがわれた部屋のドアをあける。思ったよりずっとキレイで明るい。さすがのオンドル(床暖房)のおかげで室内は暖かい。
そして、超シンプル。
ベッド、机、ロッカーが3つずつ。シャワーとトイレ。以上。
なんだか懐かしい。もともとスタッフとして乗っていた、世界一周する交流の船のキャビンを思い出した。もちろん、船のキャビンよりはこちらの方が広いけど。


しかし、ベッドはあるが寝具がない。
まずは「布団を買う」という課題を遂行し、韓国初日は暮れて行くのであった。




到着。

「今年の韓国の冬は例年より寒いぞ」
とさんざん脅されてきた韓国の仁川空港で、わたしは汗をかいていた。
空港に限らず、韓国の屋内は暖房が効きすぎる。
合計25キロの荷物をひっぱってふうふうと外に出ると、汗を吸ったヒートテックの下着が急激に冷えた。
今日から1年間、ここでの生活が始まる。
外国とは思えない、でも故郷とも思えない、となりの国。遠い親戚のおばさんみたいな存在の国。
なんともいえない、中途半端な気分で目的の駅に向かうバスに乗りこんだ。

エアポートバスではない市内バスにばかでかいトランクを持ち込むと、乗客に一斉に白い眼で見られた(ような気がした)。
「いくらですか」と聞くと運転手は「交通カードはないのか」と言う。いま海外から着いたのに持ってるわけないじゃないか。いや、空港についたらまず両替・ローミング・交通カード、が今や常識なのか?
1万ウォン札を出すと「釣りがないから1万ウォン札はだめだ」とむげに言う。…バスはもう走り出して、空港からだいぶ離れているというのに。
カードはないし釣りはないし、途方に暮れていたら、運転手は硬貨投入箱のボタンを連打してじゃらんじゃらんと500ウォン硬貨を出しはじめた。
まさかな、と思ったら「ほれ、お釣りだ」。7800円ウォン分の硬貨が手のひらいっぱいに盛られた。
しょっぱなから、そんな韓国の洗礼を受けたのだった。