2014/12/04

キムチづくりと女たち。

バスを乗り継いで、わざわざキムチを漬けに行く。
晩秋のおだやかな日曜日のこと。

11月はキムジャンのシーズンだ。
キムジャンとは、家族親類やご近所さんなどみんなで大量のキムチを漬けることで、
気温が5度前後の秋のおわりに、大勢でたくさんのキムチを漬けて、分け合う。

まあ、私にゃ関係ないわ、と思っていたら。
ある偉大なおばちゃまに「今度の日曜、ウチの仲間たちでキムジャンをやるから、来なさい。」とさっくり捕まった。

キムジャン会場である公民館のような建物につくと、前庭でさっそく何かを炊いている香ばしい匂いがしてくる。昼休みにキムチと一緒に食べる豚肉のかたまりを茹でているのだった。
新参者である私は、着くなり「玉ねぎの皮をむいてー」と言われたので、段ボール一箱の玉ねぎ皮むきに取りかかった。黙々とむく。
むきながら、にぎやかな女性たちの会話に耳を傾けた。

「今日は何種類漬けるの?」と聞く女性に、貫禄のある女性が答える。
「二種類だよ。南のと、北のとね。今回は中国式はナシ。」



ここにいる女性たちは、南つまり韓国の女性だけでなく、
北朝鮮から来た女性、あるいは中国朝鮮族の女性たち。
さまざまな背景をもつコリアン女性たちが集う場をつくる、そういう活動をする団体のひとつのイベントとしてのキムジャンなのだ。

地域によって、キムチを漬け込む材料(ヤンヨン)は違う。
北では、生の鱈を塩と唐辛子に漬け込んだものをヤンヨンに使うらしい。
アミの塩辛を主に使う南のキムチよりもこっくりしている。



せっかくなら中国朝鮮族のキムチも試したかったけど、「もう作り方を忘れちゃったよ」と、中国・延辺出身の女性は冗談まじりに笑って言った。

延辺の朝鮮族の女性が、「うちの姑さんは北朝鮮から来た人だったよ。キムチから食器まで、こだわりの強い人でそりゃー大変だったよ」と言い、
北出身の人が、「うちでは毎年白菜200株は漬けてたわ」と言う。
北出身の人に「こちらに来て何年ですか」とそっと聞くと、「7年」とのこと。
逆に、私はどこから来たのかと聞かれたので「東京」と答えると、
「日本の同胞は、苦労したね」
と静かな顔で言われた。

大量の大根を千切りし、大量の唐辛子のヤンヨンをかきまぜ、大量の塩漬け白菜が積まれていく。


その間、女たちは休むことなく動く。手も口も。口はおしゃべりとつまみ食いと。
あらためて、女の働きかたってすごいな、と思う。誰もが、言われなくてもどこで何をすべきか分かっている。手が空けば、自分で適所に行って無駄なく役割を果たす。
司令塔はなく(まあ、ドンみたいなおばちゃんはいたけど)、全員が即戦力。
そして、女たちと一緒にしごとをすると、お腹をすかせることがほとんどない。欠かさず、充分な間食が用意されているのだ。これ、どの世界でも共通な気がする。

キムチ作りって、脈々とつながっている言語のようなものだ、と思った。

そして、キムチ作りは、女たちが共有する哀歌のようなものだ、とも思う。

嫁、妻、母、…という女。キムチを漬ける文化圏で、自分自身の人生を謳歌できたと言える女たちが、どれくらいいただろうか。何粒の涙を飲んで生きてきたのだろうか。
キムジャンは、楽しくほのぼのしたイベントってわけではない。寒い中、冷たい水に手をつけ、何キロもの白菜を運ぶ。うんざりする思い出が多いそうだ。
一番嬉しかったのは、キムジャンから解放されたこと。そう言った女性もいた。
でも、現場となれば、真っ赤なキムチを漬け込むまで、自然と身体が動く。
気づけば思わず口ずさんでいる、哀愁を帯びた歌みたいなものだ。




そんなこんなで。

予定があって最後までいられず、先に帰ろうとすると、
「とにかくこれを食っていけ」と一人分のごはんを用意してくださった。
漬けたてキムチと白菜で茹で豚をまいて食べる「ポッサム」。



立ったままむしゃむしゃ食らった。くうう、旨すぎる。
みなさん、先にいただいてすみません!

持って帰ったキムチが、いま我が家の冷蔵庫で存在感のある香りを立てている。





2014/11/21

船旅の思い出。

10月31日から11月9日まで、
ピースボートの日韓クルーズ Peace & Green Boatに乗っていた。
(船旅のようすはこちらを参照すると良いかと↓)
【Peace & Green Boat 2014 クルーズレポート】



今は外部者ではあるけど、今回はサポートスタッフとして参加させてもらった。
現役の頃はこの”日韓クルーズ"の第1回〜4回まで、がっつり企画・運営担当者だったので、どうしても思い入れが強い。(現役スタッフの頃は大変すぎて意識朦朧としていたけど)

10日間の船旅は、一言で言ったら「楽しかった!」で、
あれもこれもいろんな出来事がわーっと押し寄せてきて、なかなか整理がつかない。
で、たいてい整理のつかないまま記憶を引き出しに押し込んでおくのだけど。
まとまらないなりに、箇条書き程度になるけどポツポツと残しておこうと思う。

——船内。
船に乗ると「ただいまー」という感じがする。
自分が退職した後、船が新しく変わって、今の船はそんなに馴染みのあるわけではないけれど。現役の元同僚達があまりにも変わらず「よっ。」みたいな感じで迎えてくれるのと、船が変わっても継続して乗っている顔なじみのレストランやバーのクルーが「あれ、久しぶり—」と応対してくれるのが、嬉しい。
そして一気に身体が「船時間」になる。朝のミーティングから深夜に部屋に戻るまで出ずっぱり、あっという間にすぎる日々(大体、毎日は船上居酒屋「波へい」で締めくくられる)。
船内生活で運動不足を気にする人には、下の階のキャビンに泊まること、そしてしょっちゅう部屋に忘れ物をすることをお勧めしたい。一日何度、4階の部屋と8階のフリースペースを往復したことか。粗忽者はむだにたくさん動くのだ。

——寄港地:済州島、沖縄。
済州島では、海軍基地建設予定地のカンジョン村、沖縄では普天間基地、嘉手納基地を訪れるツアーの引率に入った。
正直、カンジョン村に行くことに戸惑いがあった。海軍基地建設が、激しい反対運動にも関わらずもう強引に進められているのを知っていつつ、そして反対のために友だちがカンジョンに向かっていったの知っていたのに、自分は、何もできていなかったから。
2年前に訪れたときに連なっていた基地反対のテントは撤去され、イベントを行った岩場は半分以上フェンスに覆われていた。
工事の大型トラックが行き来するゲート前で、基地を反対する人々がミサを行って祈祷し、黙って座り込んで車を防ぎ、歌ったり踊ったりする元気なパフォーマンスを見せる。でも、残念ながら、その数は多いとは言えない。
ブルドーザーが、その地域に住む人間も、家も、海岸の岩も、むちゃくちゃにつぶして押しのけていくようなシーンが思い浮かぶ。それは、沖縄にもあるシーンだし、原発の建設を余儀なくされた町にもあるシーンだ。
その町の痛み——受け入れることを断固拒む人、受け入れざるを得なかった人、どちらも——に無頓着な外部の人間が、一体どの面を下げてここに居ればよいのかわからない。
ただただ、私たちはあなた達を踏みつけている、足の下の感触を知りながら知らないふりをして踏み続けている、そのことがひたすらに恥ずかしい。という思いがずっと残っていた。済州島と沖縄。

——船内企画。
たくさんの印象深い講座、ワークショップ、コンサートが盛りだくさんだったけど、
どうしても、一番心にずしんと来たと言わざるを得ないのが「在日コリアン企画」だ。
(自分が日韓クルーズで在日コリアン企画にこだわるのには理由があって、
 「日韓=日本と韓国」という二つの枠組み(マジョリティ)が強調される中で、
  在日コリアンだけでなく、他の国出身者やダブル、もっと幅広い意味でのマイノリティの存在に目が向かなくなりがちで、それが社会の縮図だと思うからだ。
  そして、自分が現役担当だったときに、まさにマジョリティの側に立ってしまい、マイノリティの存在にちゃんと向き合わなかったという恥ずかしい反省があるからだ。)
今回は、ある日本国籍の在日コリアン3世の青年に、自分の父母(2世)、祖父母(1世)の話を語ってもらう企画とした。一言では言いつくせない、リアル「血と骨」のような、1世、2世の生々しい生き様の話だった。
打ち合わせの段階で、泣いて泣いて頭が痛くなるくらい涙が出た。こういう話を初めてきくわけじゃない、どころか、嫌というほど聞いて育ってきたのに、自分で何故泣いているのかわからなかった。言うなれば、自分が今「在日コリアン」を語って躊躇なく生活できているのは、在日コリアンである出自を隠して必死で生きてきた人たちを、何かで覆い被せて見ないようにしてきたからではないか、という気がしたのだ。
ともかく重かった。でも、たくさん笑った。そんな話をしてくれたYに感謝だ。

——いい出会い。
ゲスト講師として乗船した下さった「水先案内人」の面々と、夜な夜な居酒屋で飲み、
飲みながら、または打ち合わせで(ふつう逆か…)、とても深い話を聞けた。
こんなに面白い話を、授業でもなくセミナーでもなく、こんなにラフに向かい合っていつでも質問を交えながら、聞ける。
この特殊な学びの空間は、現役スタッフから離れてみて、改めてしみじみわかった。どれだけ贅沢な勉強かということが。

お客さんの中には、リピーターと呼ぶ過去乗船者もかなりいた。
10年前の船旅でご一緒しましたね、とか声をかけて下さる方がざらにいて、ありがたいし嬉しいし、名前を全然覚えていなくて恐縮しきり。
その中に、Fさんという、それこそ10年以上前からこつこつとボランティアスタッフをしつつ何度か乗船された方がいた。物静かでとても平和思考なFさんを印象的に覚えていたのだが、沖縄のツアーで一緒になった。当たり前だけど、自分の記憶よりずっとお年を重ねられていて、杖でゆっくり歩いていた。
普天間基地でのディスカッションで、Fさんは「戦中生まれとして申し上げます」と言って、自分の世代がちゃんと過去を語り継いでこなかったという反省を語った。その凜とした姿勢に、またちょっと涙が出てしまった。
いつまでも、健康で長生きして、また船に乗ってほしいと心から思った。

他にも、書き切れないほどたくさんの出会いがあった。気の置けない仲間や愛する人との再会、ずっと年下だけど親しげに話してくれた新しい友だち、話してみたら「住んでる町が一緒」だった韓国の人たち、日本在住日系ブラジル人の10代、20代の友人。
出会いざんまいだ。で、改めて気がついてしまう。私はやっぱり、いろんな人と一緒にわいわいやる仕事が、好きだ。

熱に浮かされたような、短いクルーズを終えてソウルに帰ってきてみればまた「事務局ひとり」である。でも、なんとなく前ほど寂しくない。なんだかたくさん種をもらって帰ってこれたような気がする。
この種をソウルで蒔いて、自分で育てなきゃならない。
これまでさんざん人に助けられ支えられてやってきたことを思い知らされ、今になって「自分でがんばんなきゃ」と肩に力を入れる必要などないんだな、とやっと思える。
大切なものを、思い出させてもらった。

大きな船はまた次の船出に華々しく出航し、私のちいさなボートもまた、ささやかにこぎ出しはじめる。











2014/10/23

バスを制せよ。

もう、毎日利用しているのに、乗るたびに毎回思う、おなじこと。
韓国の、とくにソウルのバスは、
ソウルのせっかちさ(いわゆる”パルリパルリ(早く早く)文化”)の象徴ではないかと思う。

まず、乗るときに、バス停の「乗り場」でぼーっと待っていてはいけない。
大きめの停留所なら、道路の真ん中の長いバス停にひっきりなしにいろんな番号のバスが着いて、2,3台はいつも連なっている。
後ろの方のバスは、バス停のおしりの方に着いた瞬間ドアを開けるので、乗る人はダッシュで目当てのバスまで乗りにいかねばならない。
最初は、なんで人々がバス停の後ろのほうに走っていくのかわからず、先頭で待っていたら、目の前でぴゅーっとバスが行ってしまうこともしばしばあった。

乗ったら乗ったで、ドアが閉まるか閉まらぬかの内に発車するので、
もたもたとTカード(交通カード)を取り出していてはいけない。
大体、最近はカードを携帯カバーにしこんでいる人が多いので、いつでもどこでも手に持っている携帯でピッとやって、そのまま乗り込みながら携帯で話しはじめる。よくある光景。

降りるときには、
降りる一つ前の停留所をすぎた瞬間、降りますボタンを押している。「次は〜●●前です」というアナウンスが入るより前に必ず押す。
そして停車するずっと前に席を立つ。そうとう荒っぽい運転の中、よたよたしながら降車口付近に立つのである。降車口でTカードをピッとかざすのもがんがん走行中に済ませる。
でないと、降りるのが間に合わない(ような気にさせられる)からだ。
バスは、停留所が目の前に迫るまで速度を落とさない。そしてああっ、通りすぎてしまう!もしくは前のバスにぶつかる!と思う直前に、キキーっと急停車する。チキンレースのように。
そして完全に停車する直前に降車口が開くので、乗客たちはもうそのブレーキの勢いで転がり落ちますよ、といった感じで降りる。
なので、停車してから席を立ち、カードを出して、ピッとやって、降りる。などという行動が間に合わないのだ。

このバスの荒さとせっかちさはどうも好きじゃないのだが。
バスは、路線がわかればソウルのどこへでも便利に行けるので、市内の欠かせない足となる。
それで、乗りこなしているうちに何だかこの乗り方が染みついてしまったらしい。

先月、日本に行った際に久々にバスに乗ったら、発車のなめらかさ、停車のゆっくりさ、きちんと止まってから降りるゆとりにちょっと感動した。
しかし一緒に乗っていた妹に笑われた。
「ちょっと、構えすぎ構えすぎ。」
無意識に、わたしは降りるバス停のだいぶ前から、カードをにぎりしめ、荷物を肩にかけ中腰になって、スタンバイオッケーの姿勢になっていたらしい。
習慣ってこわい。

とにかく、
ソウルを制すにはバスを制せよ。
そして、揺れるバスの中で足腰を鍛えよ。






2014/10/11

コーヒーの味。

同じ職場の職員さんが、
「日本のコーヒーはまずい。」
と言ったので、のけぞってしまった。

悪いけど、韓国のコーヒーはなんでこんなに美味しくないんだろう。と、常々苦々しく思っていたから。
最近でこそ、ハンドドリップやら自家焙煎やら自前の美味しいコーヒーを追求するカフェも増えたけれど。(ただし高い。わたしの普段の昼食代よりはるかに高い。)

その職員さんが日本で飲んだコーヒーは、ド●ールコーヒーだったそうで。
そりゃまあ、ド●ールはとっても美味しいコーヒーじゃないけど、価格対比、許される味だと私は思っている。
って主張してみたが、彼女は「いいえ、まずいまずい。韓国の方がマシ。」と譲らなかった。なんとなく、腑に落ちず。

別の機会に、「去年日本に初めて行きました」という職員は、
「日本で感動したのは、とんかつとコーヒーがうまかったことっす!」と。
見るからに「僕とんかつ大好物っす!」って感じの体格の男性だったが、
彼がうまかったと言ったコーヒーもまた、ド●ールだったらしい。
えー、でも韓国のコーヒーの方が良いと言う人もいますよ、と意地悪く言ってみたら、
「それはないっす。日本ではどこへ行ってもコーヒーがすごい安いのにうまかったです!」

彼は日本で「美味しい食べもの」と「親切な店員さん」に出会って、日本に対するイメージがすこぶる良かった。日本で見聞きしたことを話すとき、楽しそうだった。

彼女(職員さん1)は、日本の食べものが「美味しくなかった」と言っていた。
日本語も好きじゃない。日本のコーヒーも好きじゃない。
と、いうか、日本に対してそもそも良いイメージを持っていなかった。

クニに対するイメージがまず全部を覆って、食べ物とか言葉とか人とか個々の部分に対する好みを色づけてしまうのか。
それとも、食べ物、ドラマ、音楽、コスメ…それら個々の好き嫌いが強く反映されて、クニに対するイメージがつくのだろうか。


まあ、コーヒーの味はそもそも単なる好みの問題かもしれないけれど。

職員さん1は、感動的に美味しいコーヒーを日本で飲んでいたら、日本に対するイメージが変わっただろうか。
もしくは、日本に対して少し良いイメージを持てていたら、ド●ールのコーヒーはまた違った味わいだったろうか。

そんなことを、
日本で馴染みの喫茶店「蜜蜂」に5年ぶりくらいに訪れ、コーヒーをすすりながら、思った。







2014/10/06

そんな10月のはじまり。

10月最初の三連休。
みごとに、なにごともなく過ぎにけり。

連休初日にちょっとしたことをやらかしてしまい、ちょっと身体の調子をくずした。
外に出られない…を言い訳に、ずぶずぶと半径500メートル生活に突入。

あーあ インターネットとパソコンがある生活って
本当に時間をむしばむよなあ
などと考えながら、やらねばならない課題がぐずぐずと終わらず、三日間ひっぱる。

このかん、目に見える成果物といえば

・手書きのカレンダーをつくった。(2ヶ月分のみ)

・なぜかとつぜんキャンドルをつくった。

なんなんだ、そりゃ。

それなのにこの三日間、みごとにピーカンの秋晴れ。
あまりに空が青いので部屋にいるのが切なくなって、ちょっと買い物に出てみた。

バスに乗ると、
後ろの方の座席がなんと全員、登山ルックの中年の方々で埋まっていた。
そしてほぼ一人も余すことなく、爆睡。
壮観ですらある。
そうかー、山登りにはベストな休日だったんだよね…。私は登山用のシューズを買ったまま、一度も靴に山の土を踏ませていません。

そうだ、衣替えだ。洋服を買おう。
と思ってデパートに入ったが、ぐるぐるぐるぐる回って一枚も買えずに終わる。
なんで買おうとするときに買いたいものはなく、買いたいものがあるときカネがないのだろう。損する人生の法則。

ほどよく疲れて帰ってくる頃には夜のとばりが降り。
…まあ、こんな日(×3)があってもいいよね、ある意味充実だよね。と自分を慰める。

10月からはがんばろー!と5日前には思ったのに、出だしはまたこんな感じか。




2014/09/24

秋夕(チュソク)の風景。

あわわ。
9月は足早に過ぎていく。
この月はけっこういろいろと思うところあって、書きたいネタは胸にあたためていたのに。
あたためすぎてもう腐乱しかけている。
それでも思い出しベースで無理矢理書き留めておこう。

秋夕…チュソク(旧暦のお盆)は、韓国では正月と同じくらい大切な節目で。
ご馳走を並べ、ご先祖を招く祭祀(チェサ)をする。
最近では連休のレジャーで海外旅行など行っちゃう人も多いらしいが、周りで聞くかぎりではおおかたが実家に帰り、家族や親戚とすごす。

私はこちらで帰る実家なんぞはないけれど。
チュソク直前の週末、(自分の)買い物のために市場めぐりをしてみた。


普通の路上の秋の芸術に、目がとまる。

うちの近所の古い市場も、やけに盛況だ。チュソクの食材の買い出しに奥様方の財布は開く。つられて私もなんだか訳もなく買いそうになってしまうので気をつけねばならぬ。


むやみに色鮮やかなのだ。これは、松餅というおもち。(Tシャツの豹が狙ってる…)
海苔とか唐辛子粉とか、いたってフツーの買い物をしたあと、思い立って、南大門市場(ナムデムンシジャン)に行ってみた。


南大門市場は、運動会のように万国旗。
別にチュソクのためではなく、いつものことだけど。

ところが、見誤ったのは、
チュソク休み前ということで、市場の洋品店は午後早い時間から軒並み店仕舞いしていたのだ。友人の子どもの服を見つくろいに来たのに…。なめてはならん、チュソク。

南大門市場のように、もはや都心で観光客だらけの見世物市場なところでも
面白いなあと思うのは、こういう風景。



洋服を売り出している露店の目の前で、ナマの鶏肉さばいてます。
ザ・混沌。



目抜きのうまいもん通りでは、これでもか!と食材が。
その場でじゅーじゅー焼いているからそそられないわけがない。ええもちろん、パンツとかももひきとか売ってる前で。


この「ぶっ刺し果物」を見て、新宿のアルタ近くの果物屋を思い出し、郷愁に駆られるとは。なんだかなあ。

何か屋台で食べたくなって、さんざんフラついた挙げ句、威勢のいいおばちゃんにつられてホットバー(魚のすり身の練り物を串刺しにして揚げたもの)を買うが、
1本3000ウォンも取られて、やられたーと思う。普通その半額でしょ。
しかも「アツアツだよ!」って言うから買ったのに、目の前でレンジでチンしやがって…
都心の屋台は油断なりません。

腹の虫をおさめるために、地元にもどって行きつけの(?)屋台で。


いつも無愛想なおばちゃんに、途中で買った缶ビールを見せて恐る恐る「ここで飲んでいい?」と聞くと、「飲んだらいいじゃあないかい」と男前な返事。
プシュ、ふう。……ってオイ。屋台に缶ビールで落ち着くお一人様、もはや後戻りのできないところに来た気がする。

去年のチュソクには、帰る実家のない侘しさを充分味わった。大学の寮だったため、周りの食堂は軒並み閉まっており、他の留学生のルームメイトたちと泣く泣くコンビニ弁当と缶ビールで満月に乾杯したのだった。

そんなわけで、今年のチュソク休みは、わたくし今度こそ実家に帰らせていただきます!という勢いで、
日本に滞在することにした。つづく。




2014/08/26

流行はシースルー。

夏が終わりゆくなあ、と思うと
なんだか「夏の思い出」らしきものを書き留めておかないと、と意味もなく焦る。

それで、思い出でもなんでもないけれど、この夏気になっていたこと。

韓国の、というかソウルの女子のファッションは露出度が高い。
どこと比べてより高いといえばよいのかわからないが…年々露出が高くなるなあ、と思うのは客観的なのか私がおばさん化してるためなのか。
ショートパンツの超ショートっぷりは前からだけど(去年、日本から遊びに来た友だちの一番共通した感想が「パンツが短すぎる」だった。ほんとに。)
今年は、さらに、シースルーのシャツが目立った。

どれくらいシースルーかというと、下着がほぼ見えるくらいスケスケなのである。
最初、街なかでいちゃいちゃ歩くカップルの女子の方が着ていたTシャツが透っけすけでブラ丸見えだったので、ぎょっとして、おいおい彼氏は注意くらいしたれよ。と思った。
ところが、その後、しょっちゅう見かけるんだなあこれが。なるほど流行なのか。その、一歩間違ったら「洗濯しすぎて生地が薄くなっちゃった」風なTシャツが。

いっとき流行っていた「見せブラ」なのか? 一見ふつーのブラジャーだけど…。いいのかそれで。

流行って妙なものだ。タンクトップを着るとき、ブラの肩紐が見えると恥ずかしいからストラップレスにしたり透明なストラップにしたり、と夏のスタイルは案外苦心するのに。
いっそ全体図を見せてしまうのが「流行」なら、恥ずかしくなくなるものか。

ちなみに、透けシャツを着て歩いているのは、比較的胸の大きい女子で(超個人的観測上)。どうしたって得意げなバストが強調されてるんだけど、
「みんな着ているから」の感覚のためなのか、特にじろじろ振り返って見る人もいず。
(私はおもいっきり見ているけどな。)
なんなんだろう。慣れって、いや、思い込みっておそろしい。

韓国と日本の女の子のファッションは近いものがあるのにも関わらず、
おしゃれの感覚がぜんぜん違うなあ、って日々思うので、ついつい目が行ってしまう。
女の子たち、かわいいんだけど…そしておしゃれなんだろうけど…つまり流行なんだろうけど…でも、正直、なにそれ?!!とツッコミたくなるものもある。

流行の透けシャツは、私の好みの感覚でいえば完全にアウトなんだけど、
まあ、つい目が行ってしまう、という時点で、見せるのが目的のおしゃれとしては成功なのか。(?)

あ、ちなみにそろそろシーズンも終わりなので、期待してソウルに来ても透けシャツ女子には出会えないかもしれません。
それから、写真はありません。あしからず。



2014/08/17

8月15日。

8月15日を韓国で過ごすのはぜんぶで3回目だけれども、
今回、ここで暮らしていてある発見があった。

13、14日になると、軽トラックの荷台にたくさんの太極旗を積んで
商店街の軒下に差して回る地域の担当さんを見たのだった!
どうりで。万遍なくどこもかしこも国旗だらけなわけだ。
個人宅もそうなのだろうか? アパートの大家さんは、どこかで配布されたという太極旗を嬉しげに買い物カゴに差して帰ってきた。


8月15日。日本では終戦記念日、敗戦日。
どこか重々しく、悲痛な気持ちで、平和を祈る日だった。
日本に暮らしている間、自分にとっても。

ここ韓国では、「光復節」と呼ぶ。植民地支配からの解放記念日である。
今年改めて、ああ、この日は日本とはまったく違う意味を持つのだな、と感じる。わかってはいたけれど。
解放なのだ。お祭りムード、までは今ではないけれど、晴れ晴れとした、胸をはって迎えて良い日なのだ。まさに祝日なのだ。

私にとって8月15日はいつも複雑な思いがある。
「出自」からすれば紛れもなく解放の日として晴れ晴れと迎えていいはずだ。でも日本で生まれて生きてきて、そんな風にこの日をすっきりと捉えられた試しがない。

初めて韓国でこの日を迎えたのは2005年、釜山でのことだった。
300人の日本人参加者とともに釜山港に降り立ったその日、幾度かの議論の末、韓国側の受け入れ先は光復節の祝典に日本の人々は参加しない、という判断を下した。
300人という数の日本人が祝典に参加するというのは前例がなかった。韓国人の気持ちが高ぶるこの日、これだけ大勢の日本の人々を、そこにいる釜山市民みなが寛容に受け入れられるかどうかはまだ「時期尚早」と判断したという。
2005年の春、小泉首相が靖国神社を参拝した、そういう年だった。日本と朝鮮半島、中国の政治関係に緊張感があった。
(でも、それでも、「現在ほどひどくはなるとは思わなかった」。悲しいかな、いまはそう思う。)

その時も、私は複雑な思いをもてあました。私はどの立場でこの日の意味を捉えているのだろう。私は日本の参加者の引率担当でもあった。釜山の人々の判断はもっともだったし、気持ちは痛いほどわかった。でも私は祝典に参加はしなかった。

あれからもう9年もたっているのか〜。
まさかソウルに住むようになって8月15日をまた迎えるとは思いもしなかったけれど、こう、住んでみて感じるのは、あの時ほどの緊張感というか複雑さは薄まるなということ。
淡々とした気分でいる。ただ、国旗に対する、というか、国旗を掲揚するという行動に対して生理的な拒否感は、どうしてもある。
それについてはまた、別の機会にじっくり考えてみるとします。

そういえば、婆ちゃんは69年前のこの日を、日本でどんな思いで迎えたのだろう。と、ふと思った。







2014/08/10

風邪はお客さま。

前回(健康がいちばん。)に引き続き、

風邪が思いがけず長引いた。

風邪ひき始めの日に、早朝便で日本に行ったり、そのために前夜はチムジルバンに泊まって床で雑魚寝したり、昼間からビール飲んだり、小雨のなか花火を見たりしたから、自業自得なのはよくわかっている。まあそれら全部、精神的にはたいへん癒やしになったのだけど。

喉がつぶれて、かすれかすれの桂銀淑ヴォイス(←分かる人だけ分かっていただければよいです)のまま1週間。
ある日、仕事でお世話になっているJ牧師にどうしたんだと聞かれ、「冷房に当たって風邪を引きました」と言ったところ、
「冷房が風邪の原因ではないでしょう。身体のバランスが崩れていたので、冷房の寒気に身体が負けたんです」
と、諭された。
J牧師いわく、風邪は病気ではない、と。
いわく。韓国語で風邪を「감기(感気)」というが、これは身体が「気」を「感じる」ということ。
「気」はエネルギーのことで、これは分散している方がよい。だから「気分がよい」というのは気がうまく分かれてバランスがよいことを言うし、「気分が悪い」のは気が集中して凝り固まっている状態を言う。
身体が気の変調を「感」じて、「感気(風邪)」が起こる。熱が出たりするのは、汗をかいて老廃物を出すためである。だから、熱を抑えようとしてはいけない。出し切ってしまうこと。
西洋医学は病気を悪と考えて、症状をなくそうとする。そこへ資本主義が結びついて、大量の薬投与や病院治療が一般化したのだ。

…と、西洋医学と資本主義の批判に話がいたるJ牧師。東洋医学に造詣が深い。
へー、と面白く拝聴していた。

「東洋の考えでは、感気はお客さまなのだよ。
 自分の体に感気がやってきたら、丁重に迎えなきゃならん。
 栄養のあるおいしい食べ物を与えて、ゆっくり休んでいただく。
 するとお客は満足してすぐに帰って行かれるよ。
 しかし、忙しいとかなにかを理由に、ろくな食べ物を与えず、休みもせず働いてると、
 お客は怒って、いつまでも居座ってしまう」

なるほどー。
すごくしっくりと来る話だった。

つい「風邪ぐらいで」と思って日常通りに過ごそうとしてしまうし、
市販の風邪薬に頼って、はやく治そうとしてしまう。そのくせ、夜更かししてる。
なにより、「大して働いてもいないのに、体調を崩して休むなんて何だかすみません」という、出所のよくわからない罪悪感が働いてしまう癖がある。

J牧師のお話をありがたく拝受して
この週末はマッサージを堪能し、思うさまだらだらと過ごしているのであります。


2014/07/30

健康がいちばん。

自慢じゃないが、身体だけはじょうぶだ。
滅多に風邪もひかない。
だからこそ、こっちの生活でいちばん恐れているのは、体調を崩したりけがをしたりすること。
一応、ちゃんと食べる、ちゃんと寝る、道路はよく見て渡る(けが注意)、など、気をつけて生きていた。

が。
今日はのどが痛い。節々も痛い。昨日、冷房の強い部屋にしばらくいたせいだ。ああ、冷房弱くしてくださいって言えばよかった。
気のせい気のせい、として過ごしていたが、一日の終わりには声がだんだんカスレてきた。
(声が変わると、じつは秘かにうれしくなって抑えたトーンのハスキーヴォイスでやたら喋りたくなるのは、私だけだろうか…。)

帰り道。外は湿気高くむあっと暑いけれど、今日はぜったいに温かいものを食べて帰ろう。カルグッス(手打ちうどん)がいい。カルグッス、カルグッスを食べるぞ。
…と、呪文を唱えながら、まっさきにカルグッスのメニューが目に入った食堂に入る。
カルグッス!それを食べて汗をかけば元気になる、きっと。
カルグッスください!

「あー、今日はカルグッスはきれちゃったよー」
と、あっさり、食堂のアジュンマ。

……豆腐チゲでいいです。

そんなわけで、チゲを食べて、一応汗はたっぷりかいて帰宅。

薬の代わりに、さっき職場を出るときにボス(先生)がくれたカプセル剤を取り出す。
私が体調不良とみて、カオスな研究室のすみっこから探しだしてくださったカプセルは、
「Propolis」と書いてある。
「先生、これプロポリスですよね…。何に効くんですか」
「わからない。ドイツで買ったんだが、疲労回復に効くらしい」
「…何錠飲めばいいんでしょう」
「ここにドイツ語で説明が書いてある。ぼくはドイツ語は読めない」

ありがたく頂いて帰ってきた。きっと高いお薬でしょう。
インターネットで、ドイツ語でメーカーと品名のHPを翻訳機にかけて調べてみたが、結論としては1錠ずつ飲めばいいんでしょう。ということにして飲み込んだ。
明日には治ってますように。





2014/07/27

日本の初夏、韓国の初夏。

初夏の韓国は、日が長い。

6月の終わりから7月にかけては
いつまでもうすぼんやりと明るいので感覚が狂う。
ようやく夕暮れらしきものが降りてきたなあ、と時計を見ると8時半くらいだったりして、びっくりする。

好きな季節は夏だけど、そのうち初夏の夕方が一番好きだ、ということを思い出す。

真夏が始まる前。
ほのあかるい夕方7時、涼しい風が昼間の熱をさらっていく。

仕事をあがって、てくてく歩いて帰っていると、
懐かしいにおいを感じた。
畳のにおい。すいかのにおい。土や草のような、すこししめったにおい。

それは日本の初夏の夕暮れのにおいだ。

ここで感じたのは、幻聴…ではなくて幻臭(??なんと言うのだろう)のような
記憶の中のにおいかもしれない。
おろしてもらった浴衣。蚊取り線香。河原の花火。祭りのヨーヨー。
ポストカードのような型どおりのイメージが、なんともいえず胸にわいては消える。
日本の夏。韓国の夏。
同じような季節なのに、まったく違うなにか。

ここにもきっと、また違う夏の入り口のシーンがどこかにあるのだろう。
まだ見つけられてないけれど。

あかるい夕暮れ。
あちこちの店先には、プラスチックの丸テーブルとイスが置かれて
(たいがいコンビニの前には必ず設置されている)
だいぶ早いうちから、おっさんたちが缶ビールか焼酎をあおってる。
どこかで、じゅうじゅうと肉を焼くにおい。
ビアガーデンとか、わざわざ行くまでもないね。

通りにあふれて賑わう屋外飲み屋街を通りながら
真夏の到来をひそかにたのしみにしている。

(と、これを書いたのは7月のはじめだったが、7月末現在いまさら梅雨のような雨続き。)


2014/07/15

日本語のお勉強。

初めての体験をしています。

人に、日本語会話を教えるという。

人づてに紹介された生徒さんは、
日本の営業マンを相手に仕事をしているので、基本的な日本語はできる女性。
「日本語で商談でも負けないために、もっと上達したい」
という意志で、週2日、仕事の後で個人授業。
見習いたいほど根性のある人である。

主に会話を上達させたいということで、
まずはテキストではなく、自作のレジュメを使ってトピックにまつわる会話や、
そこで出てきた文法、単語、メールの書き方、などをやってみている。

今更言うまでもありませんが、
言葉を教えるって、難しいよなあ。
あらためてこっちが気づかされることがいっぱいあって、勉強になる。

「だから」と「なので」は、どう使い分けるのか。とか。
きっと一度は「国語」の授業(私は「日本語」の授業だったけど)で学んでるんだろうけど、無意識に身につけていること。
(ちなみに「だから」が主観的で理由を追求する意味合い、「なので」が客観的でやややんわりと理由をいう意味合い、だそうだ。)

言葉は、もちろん、文法も単語もとっても重要で基本をしっかりやるのが一番なんだけど、
じつはその言葉の「感じ」= 軽さ重さとか、匂いとか、落ち着く場所とか、
そういうのを汲み取るセンスのある人が、言語の上達は早いのかもしれない。

ちなみに、メール例文をやっていたとき、生徒さんは
「日本語は、あやまることばが、おおいですねー」
といって苦笑い。
そうですよね、すいません。恐縮です。

商売相手は福岡の会社とのことで、
大変エセながら、調べ調べ、博多弁をほんのちょっとだけ伝授してみた。

まじめに「ばりかた」の意味を説くわたし。
生徒さん、真剣にメモ取りながら「いいですね、今度、使ってみます」と。

使用方法はくれぐれもお気をつけ下さい。


2014/06/27

チムジルバンのできごと。

チムジルバンというのは、服のまま入れるサウナや休憩所のある大衆浴場、いわゆる健康ランドであって。
うちにはシャワーしかないので、浸かる風呂好きな私は我慢できなくてしょっちゅう近所のチムジルバンに行く。

地元のチムジルバンは古くて設備もそこそこで、健康ランドと呼ぶにはうーむという感じだけど、わりとどの時間に行っても賑わっている。
そして貫禄たっぷりなおばちゃま方のお肌は、皆つるんつるんと健康そうなので、やはり健康ランドなのだろう。

湯船につかって観察していると本当に面白い。
「アカスリ」コーナーはなんの囲いもなく浴場にピンクの台が置いてあって、定番の黒ブラ黒パンのアジュンマが、丸裸のお客さんを無造作にごしごしこすっているのが、湯船から眺められる。
その姿をみて、いつも「かつおぶしを削る職人」を連想してしまう。

さて、以前どこかで施してもらったヨーグルトパックみたいなのが大変良かったので、売店でそういうものがないか眺めていたら、
売店のおばちゃんに「緑茶の粉パック」を強烈に勧められた。
抹茶みたいな細かな粉を、水かヨーグルトにまぜて顔に塗るそうだ。1リットルで売ってる粉を買う必要はないと断ったら、一回分試してみな、という。
冷蔵庫からよくある小パッケージのヨーグルトを取り出してくれるが…気になったのは、
「あのー、そのヨーグルト、いちご入りって書いてあるんですけど…。」
するとおばちゃん、こともなげに「ああ、今いちごのしかないの」といって、フタをあけ、うすピンクのヨーグルトをぐるぐる混ぜながら
「いちごの果肉が入っているからね、これだけ除いて。」
スプーンでいちごの果肉を取り出して、ぱくっ。
た、食べるんかい!あなたが!
おばちゃん、2、3個入ってた果肉をぜんぶ片付け、ぺろりとやったスプーンで、緑茶の粉を取ってヨーグルトに混ぜまぜ。うすピンクは完全に緑茶色になった。
「はい、どうぞ」って渡されても。うーむ。

それをどうしたかといいますと、まあ塗りました。顔だけでは余り、ほぼ全身に塗って、光合成でもしそうな緑色星人になって、近くにいた子どもにぎょっとされながら。
結果、お肌はつるつるしたので良いのだけど…。
風呂を出てしばらくは、全身からほのかにイチゴヨーグルトの香りがした。



2014/06/22

恥ずかしい話。

「あつっ!」
という声の元に、カフェにいた客の視線が集まった。都心のしゃれた広々としたカフェにて。
店員が、運んだコーヒーを誤って女性客の足にぶちまけてしまったようだ。
むき出しの素足にホットコーヒーがかかったらしく、立ち上がってしばし呆然とする女性客。若い店員は慌ててとりあえず紙ナプキンと氷を持ってきた。
おろおろ謝る店員を無視して、紙ナプキンで赤くなった太ももを押さえる女性。30代後半くらい。苛立ちが全身からにじみ出てる。
連れの人と一緒にトイレに行った後、戻ってきた女は一人でカウンターに向かい、当の店員に「店長出して」と言う。カウンター内にいた女店長が、すまなそうな表情で対応している。火傷の薬を買ってきましょうか、などと。女は、それは当然という風におざなりにうなずいて、
「で、どうしてくれるんですか?」と言う。
戸惑う店長に苛立った声で「私たちのテーブルの飲み物代金、全部タダにしてくれますよね?」と。
すなそうな表情が一瞬にして引きつった店長、強気に出る。
「お言葉ですがお客さま、新しいコーヒーをお持ちしたし、火傷の薬も提供するつもりです。全員の飲物代まで私たちが持つのは違うと思います」
女、意外な顔で「は?断る気?」と言いそうなゆがんだ表情。
「こっちは火傷を負ったし、遠くから来た友達とのせっかくの時間が台無しになったのよ。それで飲物代払えっていうの?」と言い、当の定員に一瞥くれて
「第一、この店員さんが『そんなに熱くなかったから大丈夫でしょう』なんて言い訳から入ったのも気に喰わなかったんだけど」と。
若い店員は慌てて「そんなつもりじゃないです!心配で言っただけで…」。店長も、「この子もわざとやったわけではないんですから…謝ってますし」
「わざとやる店員がどこにいらっしゃいます?」と慇懃にこたえる女、「そう、じゃああくまでも飲物代は持たないってわけね」。
折れない店長に対して女は高飛車に「もう結構です。火傷のくすりなんかも要りませんから!」
友人たちのテーブルに戻った女のところに、しばらくして当の店員が近寄って声をかけた。
「あの…店長と話して飲物代はいただかないことになりました。」
「そう、店が持ってくれるのね」とつっけんどんに言う女に、店員は「いえ、あの、私が払います。」
女は慌てたようすで店員を隅っこに連れていき、なんであなたが?店の客対応の問題でしょ?あなたが自腹切る必要ないでしょ?と。しかし店員は「いいんです、気にしないでください。私のせいですから」と言い残して離れた。
席に戻り、どうしたの?と友人に聞かれても女は曖昧に答えて、また談笑に戻ったようだ。でも、会話は上の空でほとんど楽しんでいなかった。
そう、楽しめなかった。

…そう、この女性客とは、私のことです。

普段、私はいい子ぶって、例えばこういう客がいたら、いやだなあと思ったりしてる。
それなのに、典型的な嫌なクレーム人間に、自分がなっていた。
そういう「嫌な奴スイッチ」は突然入って、自分が一番正しいと思ってしまう。
今回ばかりじゃない。私は、特にサービス業の店員や、公機関の窓口が少しでも失礼な対応をすると、急にカッとなってひどく高飛車に出てしまうことが、よくある。
自分の中に、お客様至上主義みたいな感覚が染み付いているのか。
加えて、被害者ぶりをふりかざす、みたいな根性が。

店員さんの応対にはっとして、どんどん後味が悪くなっていった。帰るとき、店員さんはもう退勤していた。私たち4人の飲物代を払って。

帰り道もずっと嫌な気分だった。なにより、最後まで友達の前で優等生ぶって自分が譲歩したように振る舞ってた自分がいやらしい。

恥ずかしい話です。ぶっちゃけて言うと、どっかで、他人に言うことで免罪されるような気持ちで書いてる節もあります。
でも、一応自分の戒めみたいな気分で、書き残しておく。あーあ。猛省中。



ちなみに、この件は後日自分なりに落とし前はつけた。結果的にめんどくさいことになったけど、まあ、自業自得。


2014/06/04

眠れない夜。

ふとんに入っても一向に眠気が来なくて、
もやもや悶々としてとうとう眠りに入ろうとするのを諦める。
目が覚めてるならそれなりにやらなきゃならんことは沢山あるのだから、取りかかればいいのだけど、どうにも気がのらない。
最近、体はまったく疲れていないのだけど、気持ち的にちょっと疲れているのかもしれない。
(あっ、体が疲れていないから眠気が来ないのか?!ぜいたく病だ)
「気持ち的にちょっと疲れてる」とは便利な言葉だ。
ずるいけど、ちょっとその「気持ち疲れ」ってやつに逃げておこう。

そんな夜は、愚痴をたれることにします。

一人の時間が多いと、心の中に愚痴がたまる。
最近のもっぱらの気に障ることは、

アナタタチ、なんでそんなに声が大きいんだあああ

ということ。

私は部屋で文章を書いたり読んだりしているときに音楽をかけない。
なので集中したいときほど、部屋外の音がよく聞こえてしまう。

人々の声が、容赦なく侵入してくる。
アパートの外の通りで、携帯で話している声。(数メートル向こうにいる人に呼びかけるかのごとく大きな声をあげる)
そして、多くは、ケンカしてるっぽい声。
(ことばの端々から、明らかに怒って罵っているのが聞こえる)
そして全部とは言わないけど、たいてい、痴話げんかである。
痴話げんかにしたってテンションのレベルが、これまで知っている痴話げんかの比じゃない。
金切り声をあげていたり。機関銃の早さで怒鳴っていたり。
(大声で早口って、けっこうエネルギー消耗するよね。ストレス発散になるだろうね。こっちはストレスもらうけど)

私の部屋にダイレクトに伝わってくるのは、恐らくすぐ前の部屋と、上の階の部屋。
特に甲高い女性の声で、語尾を「〜〜〜〜」って、くねくねと引っ張るのを聞くと、
怒ってる声であろうと、猫なで声であろうと、なんかこう、イライラする。

この間は、聞こえる声のテンションがあまりにもエスカレートするので、思わず仲裁に行こうかと思った。
いや、もちろん後が怖いからぜったいに行けないけど。
頼むから外でやってくれ。…アパートから半径500メートル外で。

そんなわけで、家でも外でも傍若無人な声に悩まされるのであった。
(「声が大きい。」http://samtill.blogspot.kr/2014/03/blog-post_2682.html
そのうち慣れるのかなー。


2014/05/29

市場(シジャン)の風景。

最寄りの駅近には安売りスーパーがあるし、
歩いて1分のところにコンビニもある。
隣りまちには大型スーパーのe-martもある。
でも、時間があれば近くの古びた市場でぶらぶら買い物するのが好きだ。


鍾路にある広蔵市場なんかは、有名になっちゃって観光客であふれかえっているけれど、
こういう生活密着型の市場は、わりと古めの町ならまだまだ活用されている(と思う)。

通りがかるだけで辛い。



基本は、道路の地べたを活用。


お惣菜はだいたい赤い。


魚は比較的高いな、と思ってしまう。
一人暮らしではなかなか手が出ない。まず量的に。


よく買うパン屋。
朝行けば焼きたてが手に入る。ほんとにおいしい。



そして風景。





 






大規模団地育ちが多い韓国の友人たちは、むしろ、こういう伝統市場で買い物をしたことがほとんどないと聞いて、ちょっと驚いた。

大型スーパーのガラガラ押す「カート」が大量消費経済を生んだ、と聞いたことがある。
カートがあると大量に買う。すると車が必要になる。車が売れる。すると駐車場が必要になる。スーパーは大型化する。品物が増え、大量消費化する。

例外なく伝統市場は苦しい状況なはずだ。
じつを言えば、野菜などは特に新鮮でもないし、
乾物は何年ものホコリにまみれていたり。
まあ衛生に敏感な人には、市場はなじまないかも知れない。

でも古いタイプである私は、こういうところの方がなんとなく安心する。
暮れなずむころ、この路を通ると、法事(チェサ)のたびに実家に満ちていたおかずの匂いがする。
それで、いつもほんのちょっとノスタルジックな気分になる。


2014/05/27

言葉をちゃんと身につける方法。

先週、恐れ多くも、大学の授業で話す機会を得た。
ピースボートの活動の話をすることになったのだが、日本では何度かそういう機会があったから慣れているものの、韓国語で話をするとなるとさすがに、緊張する。

それなりに準備したものの、従来の怠けグセ故、リハーサルを何度もきっちりやるところにいたらず、プレゼンテーションと原稿一回読みでいざ本番。

自分では、それなりにできると思っていたし、それなりに話せたと思っていた。

終わった後、その授業の受け持ちに先生と、インターンの子に尋ねてみたところ…反応が微妙。

先生が比較的率直に言ってくださるタイプで幸いだった。
「内容は良かったのですが」という前置きの上で、曰く、話がいろいろ散らばってまとまりがなかった、強調点がなく淡々と進んでしまった、そして、言葉がたどたどしいので長い文章を話すと前後の文脈がつかめず、聞くことに集中しなければわかりづらかった。と。

がびーん。
確かに思い返してみれば、自分でも「言葉を紡ぎだすこと」に必死で、流れに強弱をつけることもできなかったし、
上手く表現できない言葉をごまかすように、だらだらと喋ってしまった部分もあった。
何より、学生たちが自分の喋りをどれほど受けとめてくれているのか、そこに気を配る余裕もなかった。独り言に等しかった。

初めて、歯噛みするほど悔しく思った。自分自身に。
いままで、会話レベルでは「わたしネイティブスピーカーじゃないんで言葉がぎこちないけど勘弁してくださいね〜」という簾に隠れて、ごまかしていた自分を感じた。
言葉がちゃんとできないことを常にコンプレックスに感じながらも、真っ向から指摘されると無駄に傷ついたり、いじけたりしていたのだ。

別に、必ずしも発音ただしく流暢に喋るために練習する必要はない。
ただ、言葉を自分のものにするためには。
人前で話すことが、何よりも力になるのだ、ということを、今更ながら改めてわかった。

見返すのは怖いけれど…これから、録画された自分のプレゼンを繰り返し見て、練習しなきゃ。



2014/05/24

選挙キャンペーン。

来る6月4日に、統一地方選挙が行なわれる。

セウォル号事件の対応で政府・与党はそうとう信頼を失っているものの、
対抗する野党にこれといった希望も見られないまま、選挙の盛り上がりを期待するのは厳しそうだ。

という、新聞的な感想はさておき。
5月22日から公にはじまった選挙キャンペーン。
ついつい、日本のそれと比較して見てしまう。似ているけど非なりでおもしろい。
以下、単純な街頭キャンペーンの観察日記。

まず、
でかいんだよね…看板が。



これでもか!と言わんばかりの横断幕。


と思ったら、見上げればさらに上がいた。



「○○をよろしくお願いしまーす!」の声が完全に交じりあってる。
対抗馬ぴったり並んでのアピール合戦。



わざわざ税金を無駄にするポスター用掲示板を設置しなくとも、
ありもんで貼っちゃいます。駐車場裏。




通りがかる人々は、何かしらああだこうだと言ってます。


街頭で言いっぱなし政治論議ができるというのは、大事なことだと思う。

以上、
選挙戦初日の観察日記。

なお、候補者の名前をそのまま写真に出しているものの、個人的にどこの誰を支持しているというものではありません。




2014/05/10

ご近所美容事情。

とにかく気分転換がしたかったので、一日ビューティー散策計画を試みた。
といっても、カンナムやなんやらの小洒落エリアに行くのにびびって、結局地元で済ませてしまう。
住んでいるところの近くはやたらに美容院が多いけど、値段からみるにそれほど凝ったスタイルは期待しない方がいい気がした。
手近で広めなところに、勇気を出して入ってみる。

いらっしゃいませ〜
と甲高い声で、一瞬夜のお店?と思ってしまった派手めのオンニたちが三人出迎えてくれた。
荷物を預けると、さっさと空いている台に座らされる。
ワタシ初めてのご利用なんですけど。聞かないわけよね、「どんなスタイルをお好みですか?」とか「ふだんヘアケアでお悩みのことはありませんか?」とかさ。
ただひと言「どうなさいます?」と聞かれたから「傷んだ部分をカットで」と言った。
すると、お姉さん、うなずいてハサミだして、手際よくサクサクサクサク。
洗わないのね。ドライカットなのね。そうですよねシャンプー別料金ですもんね。でもそもそも聞かないわけね、洗うのか洗わないかとかさ。
「前髪は?」「あ…き、切って下さい」「重めにですか?」「ハイ」
みごと、ぱっつんと切ってくれました。
(さすがにそれはと思い、こうタテにすいて自然な感じにして下さいと注文したが)
ものの15分くらいで切り揃い終わり、鏡を見るとなんともボサボサな感じ。あー失敗した…これじゃ別の店に行って切り直しかも…と泣きたくなっていたのだけど。
ところが、ブラシを入れてブローが始まると、あら不思議。つややかにキレイにまとまったではないか。
さっきまで「ちっ…」と思ってたお姉さんが急に熟練美容師に思えてきた。
無駄口をたたかぬ熟練美容師のお姉さんは最後にひと言「傷んでますね〜」と。
でもそのためのトリートメントとか、良さげなシャンプーとか、お勧めしたりしないわけね、あくまで…。
そんなワケでトータル30分くらいで済んでしまったヘアカット、12000ウォン(約1200円)也。
※韓国の友人に聞いたところ、普通のオシャレエリアの美容院に行けばちゃんとカウンセリングもするし費用もそこそこするとのこと。あくまで町の美容院の例です。

調子に乗って、家のすぐ近くのずっと気になっていた「エステ」の店を訪ねてみた。
コンビニの上の二階にあるそれは、「女性専用フェイシャルエステ」という看板を掲げているものの外からはまったく何の店やらわからない。でもまあ料金表は掛けてあったので怪しくはないだろうと、思い切ってドアを開けてみた。
中は意外に広々してて、清潔で、真ん中の台に女性がひとり施術を受けていた。
顔は白いパックに覆われ、上半身はぽろーんとむき出しになっている。そのむき出し肌をおばちゃんが一生懸命マッサージしていた。
ドアを開けてすぐに目に飛び込んだ光景がこれだった。
「女性専用」とはいえ、配達のおっちゃんとかが万が一ひょいとドア開けたら、どうするのさ。

あいにくというか、幸いというか(そして全く予想外に)、予約がいっぱい埋まっていて、そこでは何もせずに帰ったけれど。
エステとかマッサージとか、こんな地元でもそれだけ日常的に活用されてるってわけね。さすが。
ソウルの地元密着型リアル美容法を体験したい方は、ぜひ周辺部の町へ。
ハードル高いけどな。


2014/04/30

こもる日々、思っていたこと。

論文を書き終えた。
正確にはドラフトを書いただけだから終わってはいないんだけど。
考えてみれば韓国に再度来てからのこの2ヶ月間、いや、遡ってみれば去年、無謀にも十数年ぶりに大学で勉強することになってからのこの間、ずっと心の重しになってた論文が、何とか形になったのだから感慨深い。そもそも、ろくすっぽ英語でメールすらも書けない自分が、英語で書いたってだけで何だか大層なことをしてのけたような気がしている。

この10日間くらい、ずっと家にこもっていた。
それは、集中力がなくてじっとしていられないタチの私にとっては、とても苦痛だった。
何より、人と会わず、会話しない日々が続く、ということが自分には堪え難いのだ、ということを改めて思い知った。
そんなわけで、多少おおげさに「大変だった」感をアピールしているかもしれないが、
気持ち的に辛かったのは、べつの理由がある。

個人的集中期間に入ったその日に、全羅道の珍島沖で「セウォル号」が沈没するという事件が起きた。
正直にいうと、こんな大事故になるとは予想しなかった。昼、事故のニュースを見て、ああ大変だ!とは思ったが、恐らくほぼ全員救出されるだろうと勝手に思ったのだ。
が、この惨事は丸2週間たった今も続いている。
そのかん、毎日パソコンに向かっているために、ついついニュースを見ては、ますます悪化するとんでもない状況に愕然とし、気持ちがどんどん沈んだ。
Facebookも、悲惨なニュースももう見たくもないのに、見ないと何か大切なニュースを聞き逃すような焦燥感にかられて無闇に見ていた。
この感覚は、なにかに似ている、いつか体験していると思った。

事件が起きた数日後、やりとりした先生に宛てたメールに、私はこんなことを書いていた。

ずっとパソコンに向かいながら何も助けにならない自分の無力を思いつつも、
今回の事件は、単なる事故ではなくとても大きな社会問題を含んでいると、
日がたつにつれ思います。
事故の真相究明はもちろんですが、もっと深く社会と政治背景を追求する必要のある、
長い事件のような気がします。

日本ではどれくらいの話題になっているのでしょうか、気になります。
個人的には、友人たちのフェイスブックの書き込みを眺めていると、
この事件の受け止め方に大きな温度差があると感じています。
韓国の友人たちの書き込みはいまも、
ほぼ99%がセウォル号についての悲しみと怒り、焦燥感を綴る内容です。
代わって、日本の友人たちの書き込みにこの事件に触れる人は、
事故2、3日後からほとんどいなくなりました。
良いとか悪いとかではなく、優しいとか冷たいとかではなく、
この共感を区切ってしまう「国」とは一体なんなのだろう、と考えています。

語弊を恐れずに言えば——、私はこちら韓国で、ある種、
東日本大震災および福島原発事故後の日本での茫然自失の空気感を感じています。
大きな怒りが、政府そして「韓国というシステム」に向かっているように感じます。


いまの韓国社会のひずみを表している、というのは、
韓国「発展」を追い求めて、急づくりでこしらえた現代のもろさが露呈したように思うのだ。
それこそ、ちょっとの衝撃でぐしゃりとつぶれてしまう安普請の建物みたいに。
この事件に関連している「社会の問題」というのは多岐に及んでいる。安全対策の軽視、責任をとらない会社と組織、非正規雇用だった船長、「高校生」である子たちの現在と将来、他国との関係性と救援の問題。
どれも簡単に言うことはできないし、私がなにか出来るわけでもないけれど、
これから少しずつ、知っていこうと思っている。自分なりに。

まだいまも捜索活動は続いているし、この国全体が喪に服している空気がある。
でも、もうそろそろ怒りの噴出が、何かしらの形になって社会を動かすのではないかという気がしている。


2014/04/13

ハンメからの手紙。

実家の祖母(ハンメ)から、ソウルの私の家にハガキが届いた。


ハンメは就学年齢のころ学校に行けなかったので、字の読み書きがうまく出来なかった。
働ける限りを尽くして働いて、婆ちゃんになっても働き、ようやく仕事をリタイアした80歳前後になって、夜間中学校に通った。
そこで、文字の読み書きや算数やお絵描きを教わった。
夜間中学では当然最年長だったが、先生方にずいぶんかわいがってもらったらしく、学校に行ってるころ婆ちゃんは楽しそうだった…と思う。
その頃、私は実家を出ていて一緒に住んでいなかったので、じっさいどうだったか分からない。今になって、夜間中学に通っていたハンメを記録しておけばよかった、とちょっと悔やまれる。

そんなハンメが、孫を思って一生懸命慣れない手紙を書いてくれた…
という美談ではなくて、じつは私が自ら「この住所でちゃんと郵便物が届くか確認のために何か送ってくれ」と実家の妹にお願いした。すると妹が祖母に「久しぶりに何か書いたら」と勧めてみた。その結果物である。

受け取ってみるとほのぼのと嬉しく、…そしてツッコミどころも満載で微笑ましい。
「これから寒くなるからからだにきをつけて」
…これから春ですよーハンメー。それとも花冷えを心配してのことか。
詩と絵もほっこりしていいなあ、と思ったけど、右下に小さく
「ボケの花」。
…自虐ネタか?!

生まれたときから一緒に住んでいたけれど、十数年前に実家を出てしまった私が、家族の中では一番祖母に接する時間が少ない。
老人と一緒に住むというのが、ほのぼのした話ばかりではないというのは、想像に難くない。
ずっと一緒にいる実の娘である母、そして娘の婿である父が、数十年にわたる祖母との一つ屋根の下の暮らしでどんな葛藤があったかということも。
家族の大変さというものから、長い間どこか逃げてきた自分の後ろめたさが、私には実はある。

今は三人とも幸い元気に自力で暮らしているが、いつか来るかも知れない「介護」の時期をふと考えると、自分があまりにも未熟でなんにも準備ができていなくて、空恐ろしくなる。
いつになっても自分の生きることに精一杯で、親孝行も婆ちゃん孝行も、ろくにできなくてごめんねと言い訳しながらもう何年もたっている。
十分に高齢の祖母を、すでに初老な両親に任せっきりで、私は好き勝手に一人でこんなところへ来て、なにしてるんだろうなあ 
と、ハガキを見つめてぼんやり思った。


2014/04/06

もの売る人々。

論文のために、朝からずーっと部屋で過ごすことが多い日々。

我が家は防音がイマイチで、通りに面してることもあって、一人でじっとしていると、否が応でもいろんな音が聞こえてくる。

最近気になるのは、午後4時ごろになると聞こえてくる声。
同じ言葉を同じトーンで繰り返しているのだけど、どう聞いてもこう聞こえる。

 パ〜ラモンヌンスッ
 パ〜ラモンヌンヨーオー

…呪文?
…お祈り?

たぶん道ばたで何か売ってる呼びこみなんだろうけど。
だから、よく聞けば何かしらの単語がわかるはずなんだけど、
もはやお経かキジバトの鳴き声にしか聞こえない。
気になる。謎の売り子。

道ばた売ってるといえば、街角では屋台の他にもいろんな露店があるもので。

野菜とか、
ストッキングとか、
登山用運動靴とか。

それらはまだ分かるんだけど、このあいだちょっと目を引いたのは、

ホヤ。
海産物のホヤ。赤くてごつごつして丸っこいあれです。
交差点の角でホヤ屋。
なぜここで。海が近いわけでもないのに。屋根もなく、リヤカーに乗せてホヤを売るおばちゃん。
朝、通りがかって、夕方また通りすぎたときも、そこでホヤを売っていた。

ほのかに潮の匂いのただよう交差点。

もし次にまた居たら思わずホヤを買ってしまいそうなので、なんとなくホヤの調理の仕方を調べたりしてみたけれど、
それっきり交差点でホヤ屋には出会っていない。




これは近所の露店フーズのなかでも一番ハマっているケランパン(たまごパン)。
去年のカレンダーで再利用包装。…しゃれてる。700ウォンの幸せ。

2014/04/02

サクラ咲く違和感。

先週から急に暖かくなって、ソウルの街並みも花に彩られはじめた。

住んでいる区の区役所の入口で桜が満開にほころんでいるのを見て、あらっ急に春が来た、と思った。山に来て里に来て野にも来るという段階も踏まず、気がついたら急にそこにいた、という感じだった。


桜の花は好きだ。桜を見て日本を想いだす。
が、桜と日本の間のどこかに染み込むイメージが、私は好きじゃない。
多産や生命を象徴するはずの桜が、「潔さ」や「尊き死」や「御霊(みたま)」につながるイメージをいまだに孕んでいることに、苦い気持ちがするのだ。
花にふるさとを想うのはいい。が、花に国を想うことを私は好まない。個人的な感覚だけども。

ソウルでもあちこちで桜を見る。
桜の樹のならぶ街路や公園や大学のキャンパスを見ていて、何だか違和感を感じている自分に気がついた。
「ソウルに桜ってこんなに沢山あったっけ?」という気分。
その違和感というのは…敢えていえば、小さい頃よく行った公園があるとしよう。久々にそこに訪れてみて何か感じる違和感。そういえば、ここにこんな素敵なベンチがあったっけ?いつからあったかわからんが、なんとなく記憶と違う…。
例えて言うならそんな感じです。わかりづらいけど。

繁華街に並ぶ桜は特に、何だか作り物のように見えて、造花じゃなかろうかと思わず花弁に触れてみた。

そうだ、街路や公園で見る桜の樹は概ね細い。わりと樹齢が若いのだろうか。
そういえば、桜の大木というのをここで見ていない。といっても、私の狭い行動範囲内でだから、もしかしたら在る所には在るのかもしれない。
都市ができてから、桜を植えたのかなあ。
いつ頃から?なんで?いつか調べてみようと思った(と言って大抵調べないで終わる)。

そういえば私たちは、野生の桜というのをあまり見たことがないんじゃないか、と思う。

白いレースのような桜が街をかざり、花見だなんだと人々のテンションが上がり、ようやく長い冬が終わるねと服装も心も軽くなる。そんなワクワクする春の知らせが私も大好きだ。
ただ、なぜかここでは、桜よりも、ふっくらした白木蓮や、鮮やかな黄色のケナリ(レンギョウ)や、無造作に散らばっている小さいスミレに似た花に、より春の彩を感じる。

そして今宵はスマップの「世界にひとつだけの花」を我知らず口ずさみながら帰るのだ。



2014/03/25

ゆびきりげんまん。

信号待ちの交差点で。
まだ舌足らずだけど一生懸命おしゃべりしている2歳くらいの男の子と、母親。

"나 이제 안아달라고 말하지 않을거야~"
「ぼくもうだっこしてって言わないよー。」

"그래? 약속이야"
「そう? はい、約束ね。」
小指を出したお母さん。
男の子が小さい小指を絡める。

さらにお母さん。
"그래~ 도장~"
「はい、印鑑。」
親指と親指をくっつけあう。

"그래~ 복사~"
「はい、コピー。」
…こ、コピー?

手のひらと手のひらをぺたんとくっつけあう。

ゆびきりげんまんも進化したものだ。
そう、親子の仲でも契約事は入念に。
「もうだっこしてって言わない」という約束に、印鑑を押しコピーまで取られた男の子よ。
大変な契約をしてしまったと後悔しないことを、祈る。



2014/03/24

花咲くハンメ。

地下鉄の車両のはじっこは大抵三人掛けの優先席なのだが、
おばあちゃまが三人並んで座っているとこんな光景をよく見かける。

・ヘアスタイルは9割が短いちりちりパーマ。

・基本、洋服はカラフル。濃いピンク、紫、てかてかの緑、赤などがお好み。

・途切れることなくしゃべっている。

・会話に一回は教会の話が出てくる。

・それは信仰の話よりも町内会的な話である。

・一人が立っていると「アイゴー、荷物をこっちによこしなさい」「アイゴー、重くないからいいんだよ」と、荷物の争奪戦が始まる。

・どこに住んでいるか/その前はどこに住んでいたか/その辺りは親戚とか息子家族が住んでいた、という話が一度は出る。

・最初から最後まで親しくしゃべっているが、実はたまたま隣りあった知らない人同士。


おばあちゃんたち特有のイントネーションは、出身地のことばなのか、一定の年齢を過ぎたらこういう口調になるのか、それとも時代の移り変わりによるものなのか、わからないけど、その呪文のような淀みのなさが私は好きで、会話に聞き惚れてしまう。
なので、つい盗み聞きしちゃうんだけど許してください。

2014/03/21

ストレンジャー。

去年からここに暮らしてみて、日々韓国のまちや人や生活を、何となくロードムービーでも見るように眺めていることがある。
いや、ロードムービーを撮るように眺めているという方が近いかもしれない。韓国に住んでいる自分という登場人物も含めて。

いま国籍とか国民とか市民権をテーマに論文を書いているので、どうしたって在日コリアンというものを日々ねちねちと考えざるを得ないのだけど、
小難しいことはちょっと置いとくとして、
ただ単純に「違うなあ」と感じる小さい出来事を、わたしはむしろ大事に拾っていこうとしている。トーキョーに生まれ育った朝鮮人である自分が、ソウルで生活しながら、日常レベルで感じる「違い」。
ここに「同じ」を見つけていくのも良いことなのかもしれないけれど、「違い」がみつかる感覚のほうが個人的には面白いと思っている。

外国人じゃないけど
ストレンジャーだから。

そのことについて、傷ついたり神経質になるのではなく、そのまま等身大でどう捉えようか、というのを自分なりにつらつらと考えている。

もちろん「違い」があることでもどかしいことも悔しい思いをすることもまだあるけれど、違いは違いであって「差」ではないから、縮めていこうとは思わない。
(社会的なとか政治的な次元ではまた問題が違うけど、ここではあくまで自分個人的な感覚のはなし。)
生活になじんでいってもっと韓国的になろうとも思わないし、違いを手放さずに日本性を際立たせようとも思っていない。
ただ、この「違うなあ」って感覚は、慣れとともに消えていく、というか鈍くなるものもあるだろうから、今のうちに些細なことでちょっとびっくりしたり、感心したり、呆れたりしたことをしっかり拾っておくのは、大切な気がする。

で、違うものの正体をなるべくくっきりさせておくために、「韓国」とか「日本」とかいう国のくくりで主語を言わないようにしている。
まあ、ときどき面倒になってつい「韓国ってのはさー…」とまとめてしまうけど。(つまり、韓国が、とか、日本が、という言い方をするのは面倒臭がりの発想なのだ)

ソウルのまちの風景に溶けて暮らしながら、日々「似て非なり」とか「近いけど微妙」とか「シュールに違う」とかの感覚を、自分の中に見出している。
そう意識することで、自分の立ち位置を確認しているようにも思う。



2014/03/19

食堂ライフ。

まだ、キッチンの調理道具がちゃんと揃っていなくて、やむを得ず外食がちになる。
さいわい、家のまわりに安い食堂がたくさんあるので困らない。
おひとりメシの好きなわたしとしてはね。

あるときふらっと入った食堂が意外とイケてた。たぶんチェーン店だと思うのだけど。スンデがメインの。
3回通ったら、さすがに顔を覚えられてしまった。

何がイケてるのかというと、おかずに出される青ししとうが美味しいのだ。
なぜか、他の食堂よりも。
ビタミン不足が気になるお年頃なので嬉しい。あとぶっといカクテキも好みの味だ。
生のニラも、微妙に香ばしい…なんだろう、ごま油と少々の砂糖かな?で和えてあるだけなんだけど、妙においしい。


これ、まだメインがきていない状態なのだけど、
これだけでわたし十分満足です。

ししとうをボリボリ齧っていたら、メインがでてきた。マンドゥグッ(饅頭スープ)。


これを出してくれながら、お店のおばちゃんが、
「マンドゥグッには本当はライスがつかないんだけど、サービスしといたわ」と。

え。
嬉しいですけど、なぜ?
そんなにようさん喰らうように見えましたか。
やっぱあれか、前回も前々回も米粒ひとつ残さず平らげたせいか。

ありがたく頂戴しましたが、腹ぱんぱんだよ。

これで5000ウォン(500円)也。ビバ!清貧生活。





2014/03/15

未熟な韓国語。

韓国語がなかなか上手くなりません。

まあ、「上手に」とか「きれいに」言葉をしゃべるというのが、そもそも疑問。
ということを以前このブログに書いたものの。
→ 「きれいな」英語。

これまで自分が知っていて、使っていた朝鮮語は、
語彙が少ない上に、単語の使い方がぜんぜん違ったり、イントネーションが日本語訛り(というか在日訛り)なので、韓国で使われている韓国語、もっと言えばソウル語、に馴染むのに案外苦労する。

リスニングは、大体9割5分は理解できるようになっている。
ときどき分からないのは、固有のことばや、生活会話に染みついている独特な言い回しとか、俗語・流行語、あとオヤジなギャグ(笑いがずれて気まずいことしばしば)。

韓国語ネイティブの人たちが、わーっと喋っている中にいると、
 みんな、流暢に喋るなあ
 あ、そういう言い方があるのだなあ
と、秘かに感心しながら聞いていたりする。

근사하다(格好いい)、대박(すっごい)、깔끔한(さっぱりした)、굳이(あえて)、알아서 한다(自分でやる)
なんていう、何でもない言い回しも、実は最近覚えた。

リスニングに比べて、トーキングの方が難しい。やっぱり一番は語彙力の問題。
日常会話って、いかにさまざまな表現を駆使して、同じ意味でも違った言い表し方をしているのか。言葉に慣れてしまうと気がつかない。
タクシーを降りるとき、「ここで停めてください」「ここで降ります」「ここでいいです」「あ、この辺で」…どれも自然に使うけど、翻訳すれば全部違う単語を使うことになる。
単語の持ちカードが少ないと、応用が効かない。何気ないことなのにうまい言い表し方ができなくて、もどかしい思いをする。

また、喋り言葉の問題はイントネーション。
別にソウル言葉をぴったり真似しなきゃいけないわけじゃないし、訛っていても通じればいいんだけど。
でも、お店で、銀行で、タクシーで、役所で。二言しゃべれば、ネイティブ言語じゃないと知られる。
そのたびに「あ、外国の人ね」と言われ、何とも苦い思いをする。
その瞬間のザワザワした気分と、「言葉がうまくできなくて恥ずかしい」と感じてしまう自分が、たまらなく嫌なのだ。そんな風に自分自身がとらえる必要はまったくないのは百も承知なんだけど。

まあ、言葉はたぶん、程なく慣れていくもの。
きっと1年もすれば、今よりずっと「流暢な」韓国語を使っているだろう。

ただ、こんなふうにまだ少し不慣れがあって、つっかかりがあるときこそ、
見えてくる言葉の面白さだとか、新鮮さみたいなのが、ある。
慣れと引き換えに失ってしまう、新鮮な言葉のひびきを、まあ今のうちに噛みしめておこうと思ってこれを書いた。



2014/03/09

声が大きい。

韓国に住む、韓国語で話す人たちは、
どうしてあんなに声が大きいのか。

カフェで、食堂で、電車で、
そんな大きい声で会話全部を披露してくれなくてよかろう!としょっちゅう思う。
とくにおじさん。おばさん。おじーちゃん。たまにおばーちゃん。あと、若い子たち。あ、ほぼ全部だ…

今日は定食屋でスンデクッ定食を食べていたら、うしろの方の席のおじさんたちの会話がボリューム全開だった。

おっさん1「オレぁ嫌だね。ぜったいオレはアイツとは一緒にできない。奴がどう思ってるか知らねえがオレは奴が嫌いなんだよ」
おっさん2「……。」(何か言ったらしいが聞き取れない)
おっさん1「嫌だったら嫌だよ、オリャぜったい行かねえよっ」
おっさん3「だからオレも一緒に行くってばよお」
おっさん1「なんだい。そんならいいさ、問題ないよっ」

…この会話をほぼ怒鳴りあいレベルでやってる。
どういう状況なんだかよくわからないが、ともかく大した問題ではなく丸く収まってるらしい。
が、なぜか最後まで絶叫のおっさんたち。
恐らく、通常の会話のボリュームレベルが高いのでしょう。
振り返って顔を見ると、声のトーンと裏腹に、案外おだやかな表情で話していたりしてるのでなんだか不思議だ。

外国人の友人たちは、「韓国語の会話はケンカしてるみたい」とよく言っていた。

8割はケンカじゃなくふつうの会話で、2割はけっこう本当にケンカ腰です。個人的概算。

屋台ファーストフード。

どんなにスタバやマクドナルドや「のり巻天国」(という名の安い丼物チェーン店)が全ての街にはびこっても、
ソウルの屋台は、今日もげんきに営業中。

どんなオフィス街でも、買い物タウンでも、ちょっと郊外の街でも、
たいがい道ばたに屋台が並んでいる。
トッポギ、おでん、天ぷら、スンデ(腸詰め)、串焼き鳥、ミニのり巻、トースト、ホットク(甘い蜜をはさんだお焼き)…といったメニューをそれぞれ売っているのが定番。

わたしは間食好きで、「ちょっと小腹が空いた」状態だと何かちょこっと食べないと気が済まないタチなので、ついつい屋台に寄ってしまう。

なぜか、たいがいどこの屋台にもおでんが置いてある。
おでんといっても、魚の練り物の平っぺたいやつを串に差して煮た具、それ一つだけ。
屋台に立ち寄る人を見ていたら、
みな、何も言わずにおもむろにおでんを自分で取って、さっさと食べている。
紙コップに煮汁を好きなだけ注いで勝手に飲んでいる。
食べ終わったら、500ウォンだか700ウォンくらいをポンと置いて、さっさと出ていく。
超ファーストフードだ。江戸っ子もびっくりだ。
寒い時、ちょいと寄って一瞬でおでんを一本食べて、おでん汁を一杯飲む。お腹がほかほかしてしばらくは寒さを凌げる。
そのコスト、たった5分と50円。

(ちなみに、日本から来た友人が煮汁に浮いていた大きな大根を取ろうとしたら、「そりゃダシ用だよ!」とおばちゃんに怒られた。大根は食べてはダメだそうです。)

夜になれば、ちょっと広めの屋台が開いて、丸いプラ椅子に座って温かいものを突きながら焼酎を飲んで語らう人々で賑わう。
電球色のあかりを包んだ屋台のテントが、わいわい賑わっているのを見るのが好きだ。

ちゃんとした店構えのお店よりも、屋台の方に惹かれてしまうのは、なぜなんだろうなあ。


これは、広蔵市場(クァンジャンシジャン)の露店食べもんやストリート。いわゆる屋台とはちょっと違うけど、まあ一応。

2014/03/05

地元カフェ状況。

昨日ようやく部屋にネットが開通した。
それまでは、家の近くのカフェを転々としながらネットをつないでいた。

ソウルはインターネットの電波銀座なので、カフェに入ればほぼ例外なく無料のwifiがつながる。
幸い、新しい家から近い駅まで歩く間、カフェはごまんとあったので、
安いコーヒーと何時間でも居座れる場所を探していろいろ訪ねた。

最初にたびたび居座っていたところは、250円でうっすーいアメリカンを飲みながら何時間でも居られる、どこにでもあるチェーン店。

大体どこでも「アメリカーノ」を頼むと、お茶?と思うようなうっすーいのが出てくるのだけど、作り方をみていたら、エスプレッソマシンで出した濃い原液にお湯をどさっといれているのであった。
それが正しいアメリカーノの作り方なのか。

まあ安くて美味しい珈琲、などというのを求めてはいけませんね。
安いということは必ずどこかが痛みを引き受けているということなので。

とてもラッキーなことに、家のすぐ近くで、
店で豆を自家焙煎している珈琲屋さんを発見。入ってみた。
店内に珈琲の香りが満ちていて、ほっとした気持ちになる。
マスター、やたらに愛想がいい。話し好きっぽいオーラ発しまくり。
ハンドドリップコーヒーはちょっと高かったから、妥協してアメリカーノ(作り方はほぼ一緒だった…)を頼んでパソコンを開いていたら、
「ちょっと味見してみませんか」と、マスターがハンドドリップ珈琲を一杯出してくれた。
一人さびしくカフェ放浪してた身に、これは涙がちょっと出ちゃうくらい染みた。

まあ、やや気になったのは、
そのカフェ、外の手作り看板にやたら「あなたの心の声を聞かせて下さい」「カウンセリング教えます」というのが掲げてあること…。
珈琲が美味しいので通うだろうけど。相談ごとはまだいいです。

もうひとつ、職場として通う大学のカフェは素晴らしくすてき。
国際協力NGOの紹介とか、フェアトレード商品を並べてあったりして。そして店内に樹が生えている。
ただ、個人的にすんごい気になっているのが、ここの笑顔のすてきなマスターが、
社会学者の宮台真司さんにものすごーい似てらっしゃる。
まわりの誰にもわかってもらえないけれど。
行くたびに、宮台さんに珈琲を出してもらっているような気がして恐縮するわたしである。




2014/03/04

地下室暮らし。

そんなこんなで入居したワンルームは、
新築で、白とクリーム色が基調のすっきりした部屋。とてもきれい。
ぴかぴかの冷蔵庫、ドラム式洗濯機、エアコン、洗面所。シャワーのお湯も申し分ない。
もちろん床暖房。インターネット接続済み、新品のテレビもついてる。
何より、備えつけの机の上にもキッチンにも収納がたっぷりあって、すぐに整理整頓できる。
とっても気に入った。家賃はほんのちょっと足が出たが、まけてもらった。

こんなに良い条件だけど、ただ1つだけ問題は、
「半地下」部屋であること。

部屋探しをしているとき、これ、不動産屋に必ず聞かれた。
「半地下(パンヂハ)でもいいですか?」と。…いや、むしろ「半地下はやっぱり嫌ですよねえ?」というニュアンスで。
実際は半地下の部屋に住んだことがないので、どこまで悪いのか実感がない。
確かに、いろいろ調べたり人から聞く中で、半地下は「暗い」「じめじめする」「梅雨にはカビが生える」なんていう情報が目についた。
だからなるべく避けたいと思っていたけれど、この部屋は半地下にも関わらずわりと明るめで(窓は二つ)、新しくてキレイなもんだからじめっぽさも想像がつかなくて、
他の条件が揃いすぎてる、という点が勝って、半地下には目をつぶった。

住んでみて数日。
確かに、暗いことは暗い。起きてまず、朝日が差さないということがさみしい。
(昼間にはようやく光が少し入ってくるけれど)
今まで日当り重視だったわたしとしたことが、何ということか。とんだ選択ミスだったのかも、とやや落ち込んだ。
窓を開けてみると、目線よりやや下、わたしの肩の位置あたりに、外のレンガ敷きの道が見える。
人の足が、行き来するのが見える。
(窓の外には覆いがあるので、外からは見えない。もちろん、防犯のために普段は二重窓をしっかり閉める)

なんだか、人の足よりも下に住むって不思議な感じだなあ。
などと悠長なことを言ってられるうちはいいんだけどね。

2014/03/03

飛び込み不動産。

「とにかく住む地域を決めなさいな。それからいろいろ不動産を回ってみたら」
と、最初に付き添ってくれた友人がアドバイスするくらい、
最初わたしは、住む町で決めるのか、安いところがあればどこでもよいにするのか、コシウォンにするのかワンルームにするのかも決めかねたまま、当てずっぽうに探しはじめた。
インターネットをあたり、地元をあたり、大学の印刷室の親切なおいちゃんに紹介してもらった人の家を訪ね、などなどを経て。
結局、これから勤める職場近くの街で探すぞとようやく3日目にして絞られる。

まず。ネットで「貸します」情報を上げていた(そういう直取引のサイトがある)個人宅をあたる。
連絡先に電話すると情報主が眠そうな声で出て、「ネット見たんですけど」というと「今から部屋を見にきていーよ」という。
そんで直接部屋に行ったわけですよ。カップルで住んでる部屋に。まさに今までまったりしてました、という部屋に乗り込んで、ベッドルームからお風呂まで見せてもらう。
キッチン別、クイーンサイズのベッドを置いた部屋あり、洗濯機スペースもあり、という広さで月家賃は手頃!という掘り出しものだったのだけど…
やっぱりどうも、まったく見ず知らずの人といきなり直契約というのは怖い。残念ながら今回は見学ということで。ペットの犬にわんわん吠えられたけど。

つぎに不動産をあたる。
最初はネットで探した不動産をいくつか回ったのだが、
どれもこれも、話が早い。
ドアを開けて「ワンルーム探してるんですけど」と言うと、「予算は?」と聞かれる。
なるたけ安く、目処としては保証金と月家賃◎◎ウォンくらい…と伝えると、パチパチとパソコンで検索して、「これとこれがありますけど、今から見に行きます?」と。
で、その足で直接内見。
…聞かれないのね。日当りとか、広さとか、他の条件とかさ。
まあ、格安で探していたから迷うことなく家賃下のものから出してくれたのかもしれないけどさ。

その場ですぐに内見できるのはいいのだが。
中には、もう解約することにはなってるがまだ住人のいる部屋もあって(ていうかそのケースの方が多かった)、いま引っ越しの片付けをしてる女性の部屋、具合が悪くて寝ていた女の子の部屋、などなど…どしどし押し掛けてって部屋を見させてもらうのだ。
住人がたは別に気にもしてない風だけど、こっちが恐縮しちゃってまともに見られん。
住んでいるさまがよーくわかって良かったけどね。

そんなこんなで、思いの他サクサクと物件探しは進み、
結果的にまあまあの部屋を獲得できました。
これも、見学その日のうちに契約、翌々日、引っ越し。

これがここではフツーの家探しなのだろうか。
それとも、わたし早まりすぎたのかしらん。





どたばた家探し。

2月最後の週の日曜、深夜、ソウルに到着して、
子持ちのラグジュアリーな友人宅に泊めてもらいつつ、
できれば3日以内に住む家を決めたい。という無謀な計画に出る。

とはいえ、あらかじめアテにしていた物件はあったのだ。
しかし、到着翌日にアテ物件は全くパーになったことを知る。
それで、到着翌日の夜から、またイチから探し始めることとなる。

ソウルの部屋探しでちょっと面白いこと、いくつかメモ。

賃貸にはいくつかタイプがあって、
チョンセ(伝貰)というのが、最初に保証金を相当額ドカンと払っておいて(最低でも一千万円とか)一定期間物件を借りる。退室時に保証金は基本的には全部返してもらえる。結果的に、借り賃はかからない。これが、ちょっと前までは一般的な韓国での家の借り方。
(ざっくりいえば。最近はこの変化形がいろいろあるらしい。)

ちょっと世間を知る人は「月々払うなんてもったいない、チョンセにすればいいのに」とアドバイスして下さる。が、どこに一千万円あるっつーねん、という個人的な問題。

最近は初出金の少ない一人暮らしも多くウォルセ(月貰)も増えている。
これは月払いで日本の賃貸アパートと一緒だけど、敷金礼金の変わりに50万円〜数百万円の保証金を最初に払う。これも退室時には返してもらえる。
韓国の住宅事情は年々世知辛く、ソウル中心部なら月7、8万円くらいが平均だろうか(もっとするかも)

また、韓国独特な携帯の部屋にコシウォン(考試院)というのがあって、ベッドと机で部屋いっぱい、というくらいの小さい部屋を保証金なし・格安で貸し出す。シャワートイレ共同(各部屋についているタイプもある)、キッチン共同で米や調味料は提供してくれる、というところもある。元は脇目も振らず勉強する学生のための部屋。

ハスク(下宿)も一つの建物をシェアして、シャワーキッチントイレ共同、ご飯はつきますよというのが基本。

いろいろ検討した末、わたしは月払いの「フルオプションワンルーム」に絞って探すことにした。
これは、冷蔵庫、洗濯機、クーラーなど基本の家具がついているワンルーム。これらを全部揃えることを考えると、夢のようにありがたい形態だ。


で、次回に続く。



ブログ再々開。

で、続き。

そんなわけで、性懲りもなくブログを再々度開いてみたものの、
もはや「りゅうがくせい日記」じゃなくなるだろうよ、ということで、
看板替えして、またぽつぽつ書いてみることにした。

なぜブログはすぐ挫折するのかというと、
なんだか「ちゃんとしたまとまった読み物を書かねば」という妙な気負いがいつしか生じてしまっていたからだ。と自己分析。
あれこれ考えすぎて、いちいち時間がかかって、なんども文章を手直ししたりして、
結果、三日坊主。

だけどもあるのですよ、なんかこう、この街で一人で過ごしていると、
つぶやきたいというか、ちょっと書き留めておきたい出来事が。
個人的におもしろいなーと思うこととか、シュールだなあと思うことが。

それで、もはや拙い文章力は問題にせず、
日常の何気ないことがらを、なんとなくメモしておくものとして書き始めることとする。
つまりは、単なる日記です。

まあそもそも、そういうものだったのだが。



ソウル、再び。

もはやブログの意味がないくらい時間が空いてしまった。
「ひょんなきっかけで留学」から始まったわたしの韓国りゅうがくせい生活は、
12月をもって一旦授業が修了。
2ヶ月の東京滞在を経て、2014年2月下旬、ソウルに舞い戻ってきた。

大学院は修了したものの、まだ論文が残っている。
去年の末までは、もう日本にとどまって今後のことを模索するなりしようかな…と2割くらい迷いもあったけれど、
なんというか、いろんな魅惑的なものを遮断する生活に自分を追い込まないと、
論文を書き終える自信がない。
それで25mプールのキックターンよろしく、えいやあっと弾みをつけて、
ソウル生活、再び。

もう一つ、ソウルに戻った大きな理由が、新たな職に就くことになったということで。
半分学生、半分パートタイムジョブという生活にしばらくは落ち着きそうだ。

そんなわけで、気持ち新たにブログを再々開してみた。
なぜ性懲りもなくまた?というのは、次回に続く。